第1309話・秋の午後
Side:足利義輝
「しかし譲位とはまた……」
観音寺城に戻りて左京大夫と話をするが、ここも大変なようだな。左京大夫も疲れが見えるわ。
「かつては即位を止めた管領もいたとか。恐ろしく銭が掛かることだ。やれるときにやっておきたいという考えもあろう」
一馬の話では、譲位と行啓と御幸で織田が出す銭は一万貫にも及ぶと言うておった。左京大夫はそれを求めた朝廷も出す織田も恐ろしいと思うのやもしれぬな。
公家衆は織田をいかんとしても己が下に治めたいのであろう。尾張を見て先行きを案じるのは仕方ないことだ。さらに譲位どころか即位すらままならぬからな。機を見るは得意ということか。
もっともこれが朝廷の思うままになるのかは分からぬがな。
「尾張を見た親王殿下と主上はいかに思うのであろうな」
行啓と御幸。元は主上の願いだったと聞く。されど内裏からお出になられぬ親王殿下と主上にあの国を見せるのは、公家にとって果たして良いことなのであろうか?
「織田もただでは起きぬということでございまするか」
「当然であろう。かような甘い者らでないことはそなたも存じておるはずだ」
いずれ、一馬は朝廷にも変わることを求めるであろう。主上を頂にした世を変えることはあるまいが、今の世に即した朝廷であるべきと考える男だ。少なくとも畿内のみを天下と称して見る世は終わる。
東は奥州から西は九州までをひとつとせねばならぬ。この一件はかような日ノ本を統一するための布石になろうな。
懸念は、主上や親王殿下と公家とて、各々の立場と思うことに違いはあることか。愚かな争いを始めねばよいがな。
Side:近衛稙家
尾張から届いた銭を見て唖然とした。鐚銭も悪銭もない整った銭が二千貫も一挙に届いた。
吾らは銭など不浄なものと蔑むこともあれど、こうして整った銭を見せつけられるとそうも言っておられぬのだと理解せねばならぬか。
この後、幾度かに分けて譲位と行啓御幸の費用が送られてくるという。かつての細川京兆ですら一家だけでかような銭を出したことはあるまい。六角、北畠、三好も出すというが、斯波と織田はまさに桁が違うわ。
吾から持ち掛けたことなれど、恐ろしくなるの。叡山や石山なら出せなくもあるまい。されど武家がかような銭を軽々と出すとは。
「まあ、これで行啓が叶うの」
そもそも尾張への行啓など吾らもよく知らぬこと。書を紐解けば先例があるやもしれぬが、今の朝廷が同じことをするのは難しかろう。
正直、体裁を整えるだけでも苦労をしておるわ。都を捨てて戻らぬ公家も珍しゅうない世だ。行啓に必要な品々も、蔵の中や近隣の寺社を探しておる有様じゃからの。
とはいえ親王殿下にとっては最初で最後の旅かもしれぬ。無論、殿下も承知のこと。故にこの行啓を殊の外お喜びであらせられる。一度くらいは都を出て山や海をご覧になっていただきたいものじゃ。
大樹も此度は久方ぶりに上洛して警護を務める。これで世が少しでも治まってくれるとよいのじゃが。……難しかろうな。
譲位はまだ内密のこと故に漏れておらぬであろうが、譲位と御幸まであると知れると細川京兆が騒ぐのは目に見えておる。爪弾きにされて面白うはずもないからの。
都が荒らされぬと良いのじゃが。そればかりは案じてならぬわ。
Side:久遠一馬
早いところでは稲刈りが始まっている。収穫の秋だ。
田植えと稲刈りの時期は一年で農作業が忙しい季節になり、賦役で暮らしている人たちが一時的に故郷の村に戻るのはすでに風物詩となりつつある。
元の世界でも田植え休みなんてのがあったと聞いたことがあるけど、そんな感じなのかもしれない。
オレは今年も孤児院の子供たちと一緒に稲刈りに行く予定だ。一通り経験しておくことは大切なことだからね。
尾張には一足早く山科さんたちが到着した。こちらの受け入れ態勢の確認と応対や礼儀作法の指南が目的だ。
すでに織田家としても移動や武芸大会に関する予行演習を一部では行なっていて、問題点の洗い出しを進めている。
行啓ですら近年では珍しいのに、武芸大会の観覧なんて前例がない。入念な打ち合わせとテストは行なって当然だろう。
それと道中通過する街道に関しても、改めて賊などが出ないように調査と賊狩りをしている。親王殿下の行啓を血で汚すのは良くないからね。事前に準備は万全にしておかなくてはならない。
ああ、頑張っているのは武士ばかりではない。領民や寺社の僧も同じだ。東海道は行啓のために少しでも通りやすいようにと、急遽賦役で整備をしている。六角と話し合い、鈴鹿峠などは特に入念に整備を頑張っている。
街道の草刈りや倒木の撤去、また難所では待機所の用意などやることは山ほどあるが、日数の関係上出来ることと出来ないことがある。
農繁期だというのに、みんな朝から夕方まで頑張ってくれている。郷土愛が強いとも言えるね。地元に親王殿下が来られるということで自発的に働いてくれる人すらいるくらいだし。
衣食足りて礼節を知るなんて言葉もあるけど、まさにその通りなんだなと思う。義統さんや信秀さんに恥を掻かせられないと言ってくれる人もいるんだとか。
まあ、飢えない今の暮らしを守りたいという思いが強いのだろう。近隣ではまだ飢えるのが当然の時代だからね。
「こっちだよ!」
「まてー」
庭では子供たちが
ロボとブランカは赤ちゃんのところだろう。すっかり落ち着いたんだよね。二匹は。
「殿、茶などいかがでございましょう」
少し庭を見ていると千代女さんがお茶を持ってきてくれた。熱いお茶が美味しい季節になったな。
「あっ、まーま!」
「大武丸、いかがしました?」
「あそぼ!」
お茶を飲むオレの横で庭を眺めていると、大武丸が千代女さんを見つけて駆けてきた。
ちなみに千代女さんとお清ちゃんのふたりも、子供たちの扱いや呼び方についてエルたちと同じでやっている。嫡男の大武丸だけを優遇しないことや、呼び方も名前の敬称なしにしているんだ。
「少しだけですよ?」
大武丸たちにとってはふたりもマーマであり、ふたりにとっても子供たちは我が子のように可愛がってくれている。
そろそろふたりにも子供が出来るといいんだけどね。
まあ焦るほどでもないけどさ。
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