第1308話・行啓のあれこれ

Side:久遠一馬


「彦右衛門殿、太郎左衛門殿。お願いね」


「はっ! 誠心誠意、務めて参ります」


 一益さんと太郎左衛門さん。少し緊張気味にも見える。大丈夫かな?


 親王殿下の行啓を護衛するために、義統さんと信安さんたちが上洛することになった。護衛は義輝さんが総大将となり、義統さんが補佐する形で行われる。


 余談だが、義輝さんの官職である『右近衛大将』は、内裏内の警護や御幸の際の供奉を担当する常設の官としての役目が本来ある。また義統さんの官職である『右兵衛督』は内裏周囲の警備や御幸・行啓の際の供奉・雑役という役目があるんだよね。


 別にそれを意識したわけではないのだろうが、この機会に朝廷のために働くことになる。


 尾張からは他にも武官と警備兵からの選抜隊も上洛することになり、ウチからもふたりを中心に何人か出すことになったんだ。


 親王殿下の護衛ということで名誉あることだけど、緊張もしているようだね。長旅だからリラックスしてほしいけど。


 護衛は織田、六角、北畠以外に、三好からも出すことになるようだ。今回も幕軍として行動する。人数は四千から五千になるようで、これ以外にも通過する領地の側で警護の兵を出すだろう。


 朝廷の側は帝の輿を担ぐ集団である八瀬の童子や、公家衆なども同行する。そちらだけで千から千五百人は人数がいるようで結構な大人数になるが、これでも減らしたほうなんだと思う。


 次の帝となるお方が遠方に行啓というのは、近年では当然あることではない。こっちも大変だけど、朝廷の側も大変だろう。


 ああ、若狭の細川晴元は蚊帳の外になる。この行啓から始まる帝の譲位と上皇陛下の尾張御幸が成功すると、彼の立場と権威はかなり落ちるはずだ。どうするんだろ。


「江馬は領内を押さえられぬようでございます」


 ふたりを見送ると仕事に戻るが、飛騨の江馬領が相変わらず荒れているようだ。流民となった人が織田領にもかなり来ているようで、村人が避難中の村に勝手に住み着こうとする人なんかもいる。当然ながらそういうわけにはいかないので、美濃に行かせて他の地域から流れてくる流民と同じく賦役でしばらく働いてもらうことになる。


 江馬領との境界は警備兵や北伊勢の一揆の罪人衆なんかを置いて警備しているけど、江馬領内で争いになったりしているところがあると資清さんから報告があった。


「うーん。領境を固めるしかないね」


 江馬家。特に無能でもないし、領民を虐げているというわけでもない。ただ、この時代の人は農民だろうとヤクザみたいなもので怖いからなぁ。


 織田も今は、よそ様の領地に手を出す余裕はない。頑張って治めてほしい。あそこ鉱山があるらしいけど、開発する余裕が今はないし。


「無量寿院の石碑に刻む文でございますが、これでいかがでございましょう」


 続けてやってきたのは太田さんだ。無量寿院には山門の前と奥の本堂の真横に目立つように石碑を置くことにしている。日ノ本から追放となった坊主たちの悪行や問題点を記した石碑だ。


 その石碑に刻む文章は評定で決めることになるが、ウチからも私案として提出することにしたので頼んでいたんだ。


「うーん。いいんじゃないかな? エルどう思う?」


「いいですね。あとは罪人がいずこの家の出かも、きちんと残しておきましょう」


 石碑にはきちんと罪人の名前も残す。文字数の関係で詳しい情報まで書けないが、織田家として彼らがどこの誰か残しておくべきか。


 そっちは織田家の文官にお願いしよう。決して悪行をうやむやにはさせない。いつの間にか織田が悪者になっていたりするからな。寺社が相手だと。


 そうならないように打てる手はうっておこう。




Side:柳生家厳


「まさかこの歳で礼儀作法を学ぶことになるとは……」


 わしも人並みに礼儀作法は知っておるが、親王殿下が相手となると話は変わる。もっともそれは久遠家中も皆同じなようで、姉小路殿やその家中の者から教わっておる。


 次の帝となる御方が行啓なされる。しかも来年には譲位が行われて、譲位された帝が院となりて尾張に御幸なされるなど、今でも信じられぬわ。


 わし如きが親王殿下や院のお相手をするとは思えぬが、殿のめいにより、家中の主立った者は院や親王殿下からお声が掛けられてもいいようにと礼儀作法を学んでおる。


 武芸ではすっかりわしを超えた倅も、こればかりはいささか苦労をしておる様子。もっとも苦労というならば、織田の者は皆が苦労をしておるのだが。


「ありがとうございました」


「絵師殿も皆もようなられた。この様子ならば恥じることもあるまい」


 本日は絵師の方様が同席されて学ばれておることから、姉小路殿が自らお越しになられておる。公卿家であり殿よりも身分は遥かに高いはずが、随分と気を使われておるのが印象深い。


「しかし、親王殿下の行啓とは。吾も驚かされるわ。飛ぶ鳥を落とす勢いと言われる織田家中の皆が、一様に困っておるのを見ると申し訳ないが少し安堵するがの」


 飛騨の国司であったと聞き及ぶが、自ら織田に降ったとか。さぞ悩み、もしかすると屈辱に耐えたのやもしれぬな。ところが尾張では数少ない公卿として引く手数多だからな。


 安堵した。本音であろう。かようなことを言えるのもまた公家というお立場ゆえか。


「昼食でもいかがかしら?」


「おお、それはよいの」


 絵師の方様が昼食に誘われると嬉しそうな顔をされた。御家の料理は他家とは一味も二味も違うからな。礼儀作法を教えに参られた時には毎度誘っておる故に、楽しみにされておるのやもしれぬ。


 柳生の里はいかがなっておるであろうか。姉小路殿を見ていて、ふと思い出す。


 戻ることは二度とあるまいな。尾張柳生家は立場も禄も確かなものなのだ。隠居したわしですら忙しいことはあるがな。


 行啓と御幸が世に広まれば、いかがなるのであろうか? 争い、一所懸命に生きることしか知らぬ者らはいかに思うのであろうか?


 かような者らが素直に降れるような手助けでも出来ればよいのだが。武芸も倅に及ばぬわしだが、一所懸命な者らの心情は分かるつもりだ。


 わしに出来ることはそのくらいであろう。なにか考えてみたいものだ。




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