第1305話・飛騨の地の異変
Side:久遠一馬
景色がすっかり秋に変わりつつある頃、リンメイが産んだ
武鈴丸はどういうわけかベッドメリーが好きな子で、起きている時間は工業村から贈られたベッドメリーを見て喜んでいることが多い。
一緒に行きたいと言った大武丸と希美も連れて津島神社に行ってきた。
沿道には多くの領民が待っていて、武鈴丸の初宮参りを喜んでくれた。大武丸と希美は人に見られることに慣れているのか堂々としていたのが印象深い。
肝心の武鈴丸は津島神社に入った頃に寝ちゃったけどね。一緒に暮らしてはいないけど、時間がある時には会いに来ている。本当は一緒に暮らしたいんだけどね。オレたちは歩みを止めるわけにはいかないので仕方ないところだ。
時代的には家族が一緒に暮らさないのは身分がある人はよくあることなので、むしろ周りのほうが違和感はないようだ。
大武丸と希美は次々と生まれる弟や妹を可愛がっている。嫉妬するかなと思ったけど、周りに大人が多いからね。そんなことはなかったようだ。
家臣の子供たちにお市ちゃんとか孤児院の子供たちと遊ぶので、集団生活には慣れつつある。教育をどうしようかなとエルたちとは相談しているところだ。
「そうか。受け入れる者がそんなにいるか」
那古野の屋敷に戻ると、伊勢亀山の春から知らせが届いていた。甲賀衆の一部では、俸禄化に従い領地を六角家に献上するところが出たらしい。実は甲賀望月家が最初に実行したんだよね。あとは旧滝川家の所領を継いだ者とか、ウチに人を多く派遣しているところから俸禄化が進んでいるらしい。
「利もありまする。戦になっても人を出さなくても済みまする。さらに家を分けて御家に仕官をさせたい者が多うございますので」
留守を任せていた望月さんとこの件を相談するが、甲賀衆はウチの仕事をしている人が多いので、領地のメリットが薄く感じるところもあるんだろう。決め手はやはり望む者をウチで受け入れることか。
義賢さんが義信君の婚礼の見届け人となったことで、織田と六角の関係が安泰だと見た人が多いことも理由らしいけど。
無論、土地に拘る人もいる。ただし、そういう世の流れなんだろうと見ている人がそれなりにいて、暮らしが成り立つならと従う人は思った以上に多い。
「大変だろうけど、お願いね。気長に使ってやって」
「心得ております」
一時雇いと仕官ではいろいろと違いを学ぶこともある。新参者の教育は望月さんが担当するようなので心配はいらないけど、結果を急がないようには言っておいた。
「東海道が落ち着いたからね。もう少ししたら甲賀の暮らしが楽になることを探そう」
あそこには信楽焼があるんだよね。尾張でも瀬戸にある焼き物村や知多半島の常滑でも焼き物はある。ただ、焼き物村は白磁を基本とした磁器の生産で手いっぱいであるし、常滑も既存の陶器の生産で余裕はない。
まあ環境に配慮をした焼き物の生産をするようにと、指導しているからということもあるけど。
あと土山茶とかも史実では有名で、すでに存在はするが生産量も質もあまりよくない。テコ入れをする必要があるだろう。
田んぼに拘らないとそれなりにやっていけるはずだ。北近江よりは早く成果を出るようにしてやりたいなぁ。義賢さんも頑張っているし。
Side:江馬領の領民
「ならん! ならんぞ!!」
本家の爺様が顔を真っ赤にして怒鳴った。
「そう言うがなぁ。おらたちこのままじゃ飢え死にだ」
加賀のほうにあるお山が火を噴いた。ここらにもちらほらと灰が降っていて、稲も育ちが悪い。
山がお怒りなんだ。おらの家は食うものもあまりねえ。噂に聞く尾張に一家揃って行こうと決めたが、本家の爺様が怒鳴り込んできた。
「他所に行って食えるはずがない! そんなことも知らぬ愚か者が! 大人しくわしに従っておればいいのじゃ!」
近くにある三木様のところの村じゃ、米が採れないからと村ごと美濃に移り住むことにしたと出ていった。暮らしが楽になるなんて思ってねえ。ただ、腹を空かせた我が子が亡くなるよりはいい。
爺様には悪いが、おらは誰が領主様でもいいんだ。飯が食えりゃあな。
「江馬になどいつまでも従えるか!」
「織田は双方に年貢を納めることは許さぬと言うておるのだ! 江馬とは縁切りだ!!」
頃合いをみて夜にでも逃げるべく数日ほど隙を窺っておると、村が騒がしくなった。村の若衆でも血の気の多い奴が長老衆に食って掛かっていた。
「村のことはわしらが決める! 己らは黙って従え!!」
「商人も寄り付かねえ村で、いつまで待っていなきゃならねえんだ! 江馬なんぞ、織田が恐いと震えあがっているだけだろうが!」
そういや、商人も来なくなったなぁ。塩がもう残り少ねえ。
年寄りは二言目には耐えるしかないと言うばかりだ。だけど死んでしまえば終わりだ。死ぬなら悔いぬように死にたい。
「おのれぇ! 許さぬぞ!!」
血の気の多い男が長老のひとりを殴り倒すと、周りの年寄りが脇差しを抜いた。
「やんのか!」
「村の掟を乱した者は成敗する!」
ああ、今のまま江馬様に従うべしと言う者と、江馬様と縁切りをして織田様に従うべきという者がとうとう互いに手を出してしもうた。
おらはそんな者らを見て逃げるように家に急いだ。
「おっ父?」
「逃げるぞ。急げ!」
今しかない。争う声が聞こえる今なら逃げられる。
すでに日が暮れている。村を出れば追っ手は来られまい。幼子を抱え、一家で着の身着のまま家を捨てた。
僅かに振り返ると、槍や刀まで持ち出して争っておるのが見えた。ありゃ死人が出るな。珍しいことじゃない。村の掟に従わねえ奴は、村から追い出されるか殺されるかだ。
ふと人の気配を感じると、他にも逃げ出す奴がいた。小作人の奴らだ。本家や親に仕えてわずかな飯を食う者は、次の冬は生き残れないのは分かりきったことだ。
織田様の領地まで逃げれば誰も追ってこねえ。そういう噂を聞いた。近隣の村でもよく逃げる奴がいて連れ戻すべく追いかけるが、織田様の領地に入られると追えないと怒っていたと聞いたんだ。
もうたくさんだ。不作になれば本家の奴らばかりが飯を食う。
いずれにせよ死ぬならあんな村、捨ててやる!
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