第1304話・衝撃は響く

Side:太原雪斎


 尾張から驚天動地の知らせが舞い込んだ。尾張武芸大会に方仁親王様が行啓なされるとのことだ。にわかには信じられぬが、すでに織田領では支度が進んでおるという。


 御屋形様にかような知らせをお伝えするのは忍びないが、致し方ないか。


「何故、尾張ばかりにかようなことが……」


 先年には関白様が尾張を訪れられ、此度は方仁親王様とは。近頃にはめっきり力を落とすことが増えた御屋形様が、さらに気を落とされた。


「朝廷や公家衆ですらも尾張を捨て置けぬということでしょう」


「まさか……されど……」


 此度はいったいなにがあったのだと力なく憤る御屋形様に、尼御台様はことの真相と言えることを口にされた。


 さすがは公家の出というところか。拙僧もそうであろうと思うておる。


「尾張ばかり栄えてゆくのを見て、主上や公家衆も思うところがあるはず」


 朝廷や公家は元来、あまり鄙者の上洛を好まぬ。かつてはそのような者らが都を荒らし、天下を乱したこともある故、当然であろうがな。とはいえ畿内の外であまり力を持つのも喜ばぬ。


 近年の織田の動き。一番気にしておるのは朝廷と公家なのかもしれぬ。


 織田が上洛に前向きではないというのは周知の事実。領国を富ませ、まるで都が出来たようだと噂になることに焦り動かれたとみることも出来る。


「良いではありませぬか。斯波と織田の権威が上がれば、今川が従うに相応しくなるのですから」


 尼御台様はかような苦しき立場にも一切ぶれずに、ただ御家の行く末を見ておられる。この御方が健在なのが今川の幸いであったと言えような。




Side:武田晴信


 此度は親王様が行啓か。あそこだけは同じ日ノ本と思えぬ知らせが届くわ。


「親王様が尾張に行くということは、公方は尾張を認めておられるということか」


 親王様のことも懸念ではあるが、これでひとつはっきりした。足利家は大きゅうなる守護を疎むと聞くが、近頃の六角の動きを見ても今の公方はかような様子が見られぬ。むしろ頼りにされておるのか?


 細川が内乱で忙しいことに嫌気でもさしたか。


 もっともわしには関わりのないことだがな。武田家は今、苦しい立場で存亡の機を迎えておる。


 同盟を結ぶ北条も決して楽ではなく、援軍を頼めるほどの信もない。今川は北条と織田の機嫌を窺いつつ、こちらを攻めることを止める気はない。


 今では信濃先方衆ばかりか、甲斐の国人すら今川の調略が入っておろう。戦で奮戦したとて守るのに精いっぱいなのだ。近頃では父上の頃を懐かしむ者が増えたと聞くほど。


 戦をせずとも領地が増える織田と、戦をしても領地が増えぬ武田か。幼子でもいずれがいいかと問われると答えは分かりきっておるわ。


 されど、守らねばならん。代々守り通してきた。武田家をな。わしは甲斐源氏の棟梁なのだ。


 如何すればよいのであろうか? せめて信濃が落ち着けば駿河遠江を相手に攻めに転じることも出来るのだが。肝心の信濃は相も変わらず。武田も好まぬが今川も好まぬ。いつまでも信濃の中で争うておりたい者ばかり。


 踏ん張らねばなるまい。今が一番苦しい時であろうからな。


 いずれ光明が見えるはずだ。




Side:小笠原長時


 今川がまた信濃で武田と戦をするようで、信濃国人に書状を出しておると知らせが届いた頃。尾張から驚くべき知らせが舞い込んだ。


 方仁親王の行啓とはな。斯波と織田は己らで天下でも狙う気か?


 斯波とは同じ守護という名が恥ずかしゅうなるほど力の差がある。そもそも武衛殿は何故、己を凌駕りょうがすると評された力ある家臣を信じて従えられるのだ?


 織田内匠頭など見ておるだけでも恐ろしゅうて、わしならば信じられぬが。


 織田もさっさと今川を攻めればよいものを。さすれば、信濃の憂いがひとつ消える。いや、さすれば武田が力を戻すだけか。


 武衛殿に援軍を求めても変わらぬであろうな。今度は織田が憂いとなるだけか。それに北の村上は斯波家と縁があり、木曽家など信濃に関わりとうないと美濃との関わりばかり強めておるほど。


 口惜しいが、最早信濃では小笠原の守護家など頼りなしということか。


「せめて我が城を取り戻したかったが……」


 斯波と織田は領地を召し上げることに熱心だ。仮に援軍にて城を取り戻しても、返礼も出せぬわしでは従うしかなくなる。行きつく先は結局、俸禄での城の明け渡しか。


 武士として戦に勝てぬ我が身の不徳といえばそれまでだ。口惜しいが晴信と義元を相手に戦をして勝てるだけの力がわしにはない。


 されど、わしにも意地がある。晴信と義元に一矢報いたいのだ。


 なんとしてもな。




Side:北条氏康


「叔父上、驚かれぬの?」


「驚いておりまするな。されどあり得ぬと思うほどではありませぬ」


 親王を領国に招くか。つくづく先を行かれるわ。都から遥々尾張まで親王を招くなど、いかにしてよいのか、わしには見当もつかぬ。


 尾張はいずれ大きゅうなるとの叔父上の見識は確かであったが、織田はそれを遥かに超える早さで動いておる。


 まことに尾張から天下……、いや日ノ本の統一をする気か?


「父上も一度尾張を見ておかれるべきかと思います」


 僅か数年で、その目が曇りておりさえせねば誰が見ても追い越されてしまったことに家臣らはいかんとも言えぬ様子であるが、先にあった武衛家の婚礼にも出た新九郎は驚きもせずむしろ前を見ておる。


 その姿に家臣らの顔つきが変わる。


「尾張か」


「あそこは己が眼で見ねば分かりませぬ。尾張はさらに前に進んでおってもな事ではありません」


 今川の様子がいささかおかしい。恒例となりつつある武田攻めかとは思うが、次は今までにない戦をするのか大掛かりな支度をしておる。さらに寿桂尼殿からは誼を結び直し深めたいと丁寧な文を幾度も届き受けた。


 まさかとは思うが、武田と謀ってこちらを攻めぬとも限らん。今関東を空けるわけにはいかぬな。


 尾張は近頃では武士ばかりか、寺社からも領地を召し上げておると聞く。もう領地をそれぞれに与えて国を治める政をする気がないのであろう。


 上手くいくのかと懐疑の先立つところではあるが、尾張ではむしろ寺社から領地を差し出したのだとか。


 このまま尾張は日ノ本の統一に向けて動く気か? 最早三好と血縁を得ても、大きな力にならぬのではあるまいか。


 誼あるしんほうの国を治めておるはずの織田が一番悩ましいとは困ったものだ。




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