第1302話・旅立つ者

Side:無量寿院の僧


「嫌じゃー! わしは行かぬぞ! 悪いのは織田じゃ!! 織田じゃ!!!」


 東海道を東に来て桑名より久遠船に乗ると、尾張も間近だ。蟹江の湊に一際大きい黒船が見えると、乱心したように叫ぶ者が出るとは。


「ええい、止めぬか! 我らは真宗の教えを説く身ぞ」


 身を整えられぬことから髪と髭が伸び、縄を打たれておる体が痛んでも、我らの信心は変わらぬ。それ故に乱心した者を一喝するが、その声さえ届かぬと見える。


「許さぬぞ! わしは許さぬぞ!!」


「分かった、分かった」


 あまりに煩く騒ぐ者に、我らを見張っておる兵が口を塞いだ。


「我らとて、かようなことはしたくないのだ」


 僧とてさまざまならば、兵もさまざまか。我らのことも仏道を踏み外した下法者と蔑む者もおれば、同情しておる者もおる。


 一概に愚か者と笑えんな。


「なんと賑やかな湊だ」


 船を降りると、その光景に誰かがそう呟いたのが聞こえた。確かに見たこともないほどの賑わいと活気だ。同時に我らを見て騒めくのが分かる。


 乱心した者がなにかを騒いでおるが、口を塞がれておるのが幸いだ。


 我らはそのまま湊の牢に入れられた。


「……粥だ」


 その夜、いつ以来であろう。妻子と会うことが許されて、白い米の粥が出された。流罪の地が罪により違うことで、我らと妻子は別のところに流されるようだ。


 牢の中で今宵が終生の別れとなる。


「ううぅ……」


 泣いておる者も見受ける。かつての日々を思い出したのであろう。僅かな塩と梅干しが添えられておる。久々の妻子と食う粥はわしでさえ涙が出そうになるほど美味い。


 そのまま眠れぬ夜を過ごすと、翌朝。日ノ本を離れるべく船に移される。


南無阿弥陀仏なむあみだぶつ


 妻子の姿を目にしかと留めて、日ノ本の最後の姿を見て念仏を唱える。我が身が地に落ちようとも真宗の教えだけは絶やさずに済んだ。それだけは感謝せねばならぬ。


 遥か地の果てから、わしは祈ることしか出来ぬがな。


 妻子よ、日ノ本よ。皆に、よき明日とならんことを。




Side:京極高吉


「四郎次郎よ。ひとまずそなたは見て学べ。行啓が終わったら教える故にな」


「はっ」


 養子として迎える四郎次郎に京極家当主として相応しきことを教えつつ、方仁親王様の行啓の支度もせねばならぬとは。


 かつては先代の公方様のお供をして都落ちしたこともある。管領殿と共に若狭にも行ったこともな。最後には公方様の怒りを買うて、隠居をすることにしたというのに。今更かように忙しくなるとは。


 新しきことをしておる織田にも不得手なことはあるか。久遠家の者が多くを支えておるが、久遠家の者とて知らぬこともある。さすがに公家衆や親王様を受け入れるとなると、わしのような者の知見ちけんが役に立つというわけか。


「氷雨の方。このことじゃがの」


「ああ、その件ですか。いかがしましょう」


 ただし、久遠家の者は他の者とまったく違う。こちらの意図を汲んですぐに差配して動いてくれる。ひとつ教えると十は理解すると言うべきか。


 かように学徳を積んだ者らならば、今の織田の勢いが止まらぬことも分かるというものだ。


「あまり仰々しくせずともよいが、かようにしてはいかがかと思うての」


「そうですね。それならば出来ます。こちらで手配しておきます」


 恐ろしいほどよ。女の身で生まれた地を離れ、異なる外国にて、かように立身出世出来るとは。


 されど、ここならばわしにもやれることがある。京極の家を残せるというものだ。都にいかずに良かったと心底安堵するわ。





Side:久遠一馬


 無量寿院の一件は裁きが終わり次第、幕臣から帝の勅を返還してもらった。荒れる寺社を治めて、帝の勅を速やかに返還したことで義輝さんの名声は上がっただろう。


 武芸大会に関しては、出場者たちが方仁親王殿下が来訪されることで目の色が変わった。生涯でも一度あるかないかの名誉が得られる機会だ。当然だろうけど。


 彼ら武闘派は武芸の修練と同時に礼儀作法の習得にも励んでいる。直に問答する機会があるかどうかなんて分からない。ただ、オレが帝と話したことは尾張でも広まっている。もし機会があれば困ると皆さん慌てて学んでいるところだ。


 姉小路さんとか京極さんはおかげで大忙しだ。こういう時に礼儀作法を知っている名門は有利だなと実感する。


「いやはや、かような機会に恵まれるとはの」


 ああ、この件で面白そうにしている人がひとりいる。塚原さんだ。名のある人だけど、さすがに親王殿下クラスとは会ったことがないらしい。


 塚原さんの立場は今でも斯波家の客分となっていて強制は出来ないけど、旅に出ないなら同席して会う可能性が高い人だ。というか親王殿下への解説をお願いしているんだよね。


 親王殿下は武芸の試合なんて見たことがないだろうし、分からないと面白くないだろうからね。塚原さんが断るなら具教さんに頼むことになるんだけど。


 冊立さくりつ、立太子の儀を済ませていないので親王のままだけど、次の帝に内定しているお方だ。ほんとどう応対していいか義統さんも悩んでいるくらいだ。


 ちなみに行啓の支度で一番頼りになっているのは京極さんなんだよね。姉小路さんと北畠晴具さんもいるけど、ふたりとも都に滞在した経験もない人だ。今の都や朝廷を一番知っているのは京極さんだから。


 今回の件で家禄以外の役職手当が一気に上がった人でもある。本人は戸惑っていたけどね。隠居するつもりだったくらいだから。


「せー、せー」


 あきらを抱きかかえながら塚原さんは余裕の様子だ。ああ、あきらは『はーは』を覚えたが、最近よく顔を出す塚原さんを『せー』と呼ぶ。多分、ジュリアが先生と呼んでいるからだろうけど。


「じーじ!」


「じーじ~」


 輝が羨ましいのか、大武丸と希美が膝の上に乗ると、塚原さんはご満悦にも見える。


 ちなみに塚原さんは清洲の屋敷に道場を建てていて、完成次第そこでも武芸を教えるそうだ。前にお酒を飲んだ時に話していたことだけど、菊丸さんを外に連れ出した責任を感じているようなんだよね。


 鹿島は少し遠いからな。すでに拠点をほぼ尾張に移しているし、このまま尾張に骨を埋める覚悟があるように思える。


 ウチも支援は惜しまない。もとはと言えば具教さんも義輝さんも、塚原さんと親交が出来たおかげで生まれた縁なんだ。


 塚原さんのおかげでこちらも予測よりも早い世の中の流れになったが、同時に流れる血を減らせたと思えるのも確かだ。


 人生の先輩であり、危険なこの時代で旅をしているだけに、生きる知恵というものは並みの人とはケタが違う。


 傍にいてくれるとほんと助かるんだよね。


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