第1301話・秋の始まり

Side:北畠晴具


 蟹江の町をそぞろくと民の活気に驚かされる。まことにここが数年前まではなにもない地だったとは思えぬの。


「これは北畠の大御所様、よい鯛が手に入りましたのであとでお持ち致します」


「おお、それはすまぬの」


 そぞろの途上とじょうで屋敷に出入りする魚屋に出くわした。倅が尾張によく来ておるせいか、ここではわしも皆に声を掛けられることがようある。


 戦のない世など世迷言をと思うところもあったが、こうして尾張にきょを移してみるとそれが遠くないと思い知らされる。


 町には珍しきものも多い。『紙芝居』『人形劇』『似顔絵描き』など、霧山では見ることが出来ぬものもある。


 少し足を延ばせば屋台というもの売りがおる。これがまた珍しき料理を出しておるところがあって面白い。もう霧山に戻らずともよいと思えるわ。


「大御所様、宇治と山田の商人が参っておりまする」


 屋敷に戻ると面倒事が待っておった。大湊に倣えばいいものを己らは違うのだと勝手をしておいて、今更助けを求めるか。


「何卒、御とりなしを伏してお願い申し上げまする」


「とりなしてやってもよいが、そなたらはこれから先いかがする気じゃ? 時には織田に従い、時には勝手をする。商人というのはそういうものじゃとわしは思うが、織田はそのような者を嫌う。そなたらが万が一、わしのとりなしを潰すようなことがあるなら、織田の前にわしが許さぬぞ」


 宇治と山田をまとめる商人の顔が驚きに変わる。相応の礼は持参したようじゃ、かようなことを言われるとは思わなんだろう。


 無論、とりなしはしてやってもよい。神宮の門前町なのだ。誰も潰す気などないのだからな。されど、この者らは己らの立場を分かっておらぬと見える。


「桑名、堺の二の舞いになるのではないのか? わしはそなたらのために戦などせぬぞ。今一度、よう考えて参れ」


 無量寿院が落ちたことで貸し付けや売り掛けの銭が踏み倒されると焦るのも理解はする。されど表では織田の頼みを聞くふりをして、裏では無量寿院にあれこれと横流ししておったのだ。わしでも安易に許すことはするまい。


 返答に窮する者らを諭して帰らせる。


 商人という者らはもう少し世が見えておるかと思うたのだがな。武士が商いを知らぬように商人は政や戦を知らぬということか。


 困ったものよ。




Side:近衛晴嗣(前久)


 都は譲位で慌ただしくなった。院の御所、仙洞せんとう御所の造営もせねばならぬが、なにより最後に譲位が行われたのは九十年前の寛正五年というほどだ。書物に書かれてはおっても、誰も取り計らったことがないことになる。


 公家でさえあちこちに逃げておって、畿内にすらおらぬ者もおる。かようなままで譲位をするというのだ。日々の暮らしに難儀しておった公家にとっては天地を揺るがすほどの出来事と言えよう。


「父上、あまりに性急過ぎるのではありませぬか?」


 譲位を来年の春までに行い、院となられた主上が来年の夏には尾張へ御幸なされるということが決まっておる。されど、あまりに性急だとの声もあるのだ。吾は父上にそれを直に問うてみた。


「理解はするがの。こういうことは迅速に行うことが肝要じゃ。織田の動きは早いからの。それにあまり時を掛けると都と主上を捨て置くような公家らが騒ぐ」


 織田か。畿内に足を踏み入れておらぬというのに、すでに世は尾張を中心に回っておるということか。


「大樹は織田と共に行くと腹を括った。このまま、かの者らが日ノ本を飲み込むやもしれぬ。機を逸してはならぬのじゃ」


 足利・斯波・織田・六角・北畠・姉小路・斎藤・松平・吉良。すでに多くの者らがひとつとなりて動いておる。父上は度々尾張に行かれるからか、それをよくご存じではあるのだが。


「御所は三好に任せる。我らは譲位と方仁親王様の行啓を恙なく行う支度をせねばならん」


 言うほど容易いことではないのだが、致し方あるまいな。都にも畿内にもあまり目を向けぬ織田を御するのは苦労する。


 戸惑う者はおるが、今のところ異を唱える者はおるまい。都におる公家衆には大樹から譲位に関わる銭の助けもあるとの話がある。これも銭の出所は織田であろうがな。


 若狭管領は知れば異を唱えるであろうが、都に来ることも出来ぬ男など、捨ておくしかあるまい。昵懇の者らもおるが、そろそろ庇いきれなくなっておるくらいだ。


 世が変わるというのはかようなことなのであろうな。




Side:久遠一馬


 八月に入った。尾張は秋の気配が見えてきている。


 領内の田んぼの生育はまずまずか。冷夏だったせいで甲斐や関東辺りでは米の生育がよくないと報告もある。


 北美濃と飛騨の混乱は今のところ大きくはない。避難が功を奏したのだろう。東三河に関しては検地や人口調査が終わったところもある。今後やることは変わらない。街道と治水を賦役で工事して田畑を整えるだけだ。


 無量寿院に尭慧さんが入った。尾張高田派のお坊さんたちと一緒にだ。いつまでも幕府軍で管理していても無駄だし、戦費や末寺の始末代を払うという条件が付いたが、寺の存続を許されたというだけでも、文句が出ることはないだろう。


「宇治山田は予想通りか」


 具教さんから文が届いた。宇治山田が慌てているらしい。


 大湊とか北畠とか六角とか、みんなこそこそと無量寿院と商いをしていることまでは掴んでいたようで、自分たちも同じことをしただけで扱いが変わると思わなかったようだ。


 しかしこちらの策を誰も洩らさなかったとは。この時代の人たちも凄いね。誰がどこまで知っていたのかということもあるけど、薄々察していた人はそれなりにいるはずだ。


「尾張物と当家の品の卸値を少しばかり上げる程度でいいでしょう。一度は警告が必要です」


 エルと対応策を相談するが、具教さんからは伊勢神宮の手前もあり配慮を頼むと言われている。無量寿院への貸し付け金と売掛金が回収不能になるので、あまり罰は与えられない。


 戦支度の武具なども売っていたようで、無量寿院側の資料では相当な額になるようだ。ちなみに借財関係は、無量寿院で勝手をした人たちに請求しろという結果となった。


 無量寿院、尭慧さんが退いたあとにトップがいなかったんだよね。決まる前に勝手に寺を私物化したようなものだという解釈だ。


 まあ、該当者はもうすぐ蟹江に来て、そのまま地の果てに追放されるんだけど。取り立てに行くならご自由にというところだ。


「さすがにこちらが動いていたことに気付いたようでございますな」


 今日はこの案件に関わる湊屋さんも来ているが、宇治山田が織田主導で密売をしていた事実に勘づいたと大湊の会合衆から知らせがあったらしい。


「放置していいよ。このまま大人しくなるならいいし。いずれにしろ武田と今川や堺への密売は裁くから。今回は追い詰める必要もない」


 大湊は知らぬ存ぜぬで通したらしい。証拠の証文とかこちらは残していないので騒ぐ以上のことは出来ないだろう。


 銭の回収は形を変えて補填すればいいだけだしね。


 さて、宇治山田はどうするかな?



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