第1300話・過行く季節を思い
Side:久遠一馬
アーシャの子供である遥香の百日祝いがあった。遥香は大人しい子なんでニコニコとみんなを見ていたのが印象的だった。どちらかと言うと成長著しい大武丸と希美のほうがはしゃいでいたかもしれない。
無量寿院の後始末は、やはり相応の苦労がある。無量寿院そのものは幕府軍で占領したのでいいのだが、末寺はそれぞれで従えるしかない。北伊勢は織田が、中伊勢以南は北畠が主に従わせる必要がある。
北畠のほうはいいのだが、北伊勢には織田が引き渡したあとに無量寿院が送った元北伊勢の武士たちがいる。
末寺は織田としては元のお坊さんたちに返還するつもりだが、それに抵抗する人もいる。織田には従うが寺は自分たちのモノだという主張だ。一定の言い分は認めつつ、元のお坊さんたちを基本として他に移すなり、その下に付くなど、いろいろと交渉しているようだ。
中には真面目に寺を営んでいる人たちもいるので、一概に排除は望ましくないらしい。
ただ、大半のところは一昨年の一揆の被害から回復すらしていないところなので、無量寿院に引き渡す時に放棄した復興計画を再度始める必要がありそうだ。余計に費用がかかるが、これもいずれ無量寿院に請求することになる。
あとはようやく領地の問題が解決したので、街道整備や治水に田畑の整理など出来ることから始めることになる。元から力のある土地なので、頑張れば数年で見違えるようになるだろう。
「ちーち、うみ!」
「そうだな。海だな」
今日は学校と孤児院の子供たちの合同野営をしている。大武丸と希美はそろそろ大丈夫かなと連れてきたんだけど、希美が嬉しそうに海を指さしつつ駆け寄ってきた。
この手の行事は大人が手を出さないということになっていて、子供たちが率先して働き準備をする。義信君が元服した影響で子供たちのリーダーが変わっているね。
学校自体は未だに通っているものの、子供たちの授業というよりはより専門性のある学問を受けている感じだ。同じように時間を見つけて信勝君も通っている。成長と共に自然と高等教育に移る人が増えたのは本当に嬉しい誤算だ。
「ちーち! かい!」
「おっ、たくさん拾ったなぁ」
大武丸は孤児院の子供たちと一緒に貝殻を拾って見せてくれた。海に来ると貝殻を拾う習慣になったみたいだね。子供たちは。一種の遊びみたいな感じだ。
「火には気を付けるのです」
ああ、幼少組である女の子たちのリーダー格はお市ちゃんらしい。年齢が数えで八歳だ。女の子だからかだいぶしっかりしてきたからなぁ。
お市ちゃん、先週も斯波と織田一族の子供たちを集めて子供だけのお茶会をしている。これ本当に評判いいんだよね。子供たちも楽しみにしているようで、オレもいろんな人からその話を振られることがある。
相変わらずエルたちが教えたと勘違いしている人が多いんだ。
「こら、沖に行っては駄目だぞ!」
「はーい」
海のほうはギーゼラと大人たちが、子供たちが溺れないか見守ってくれている。当然周囲には要人警護をしている警備兵もいて、危険がないように配慮はしてある。
「ほら、大丈夫だよ。痛いの痛いの飛んでけ!」
当然転んだりして擦りむくくらいの子供もいる。今日はパメラも来ているので、軽い手当てをしてあげているけど、それも楽しげに見えるね。
オレはエルやリリーたちと一緒に幼子のみんなと海を楽しむ。気分は保育士さんだ。
Side:千種忠治
役目の合間に元領地の寺に足を運んだ。先日の謀叛で自害した者らに無量寿院の沙汰を教えてやろうと思うてな。
思うところもあるが、それでも代々仕えた者らだ。あのようなことになったことは、わしの不徳と致すところも大きい。今更悔いても仕方なきことだがな。
大殿も守護様も厳しい御方だ。仏門の者らを日ノ本から追放するとは。死罪でよいので妻子を残してほしいと泣いておる者も多いと聞く。真宗は妻帯を許しておるからな。余計に日ノ本からの追放が恐ろしいのであろう。
「義父上、そろそろ……」
「ああ、ゆくか」
あれだけ疑心があった婿殿とも争うことがなくなった。互いに思うところはあると思うが、千種の家を残したいという思いは同じだ。
尾張では大恥を晒したと笑い者にされるかと覚悟しておったが、今のところ左様なこともない。神戸殿が教えてくれたが、織田では失態を笑うことを暗黙の了解として禁じておるのだとか。
長年織田と争うた三河の松平や、家中から不届き者が出た吉良家ですら厚遇されておるというのだから驚きだ。
元は久遠家の家訓であるとか。失態は恥じるのではなく糧として学べ。かようなことを綺麗事ではなく、まことにやっておるとは信じられぬほどよ。
「ここも変わるのであろうか」
「はっ、川の堤と街道は整えるとのこと。ただ千種街道は当面は据え置くと」
秋の稲刈りまで持たぬかと思うた元の領地では、織田の名の下で賦役を行ない食いつないでおる。遠くには賦役をする民の姿が見えた。
家中には一家や一族の主を亡くした者も多いが、不満はあまり聞かれぬ。皆、安堵しておるのだ。家が存続したことをな。
「あそこは仕方あるまい。保内商人どものために整えてやる義理はない。東海道において己らに先んじて使わせろと言うたとか。わしでさえ呆れるわ」
「東海道はいずれの者らが先んじて使うか、出す銭の額で決めるとか。かようなことを言える織田が羨ましくもありまするな」
「商いでは久遠家の右に出る者などおるまい」
いずれの者がいいか銭を出す額で決めるなど、他家でやれば商人があの手この手で阻止しようとするであろう。されど尾張だとそれが許される。尾張一の商人でもある久遠殿が認めるのだからな。
織田に臣従をして知ったことは多い。新参のわしのところにすら、臣従して早々に久遠殿から久遠家で扱う品の贈り物が届いた。いかなるわけかと思うたら、知らぬでは恥をかくというので家中の主立った者には贈っておるのだとか。
家柄くらいしか誇るところのないわしのところに寄越しても、なんの利もないであろうに。
ただ、商人の間でも久遠殿への信は厚い。商いや利を奪うのではなく、皆の商いが立ちゆくように差配されておるとか。おかげで無量寿院への謀も最後まで露見せなんだ。
今ではほぼ唯一知らなんだ宇治山田の者らが、無量寿院が敗れたことで貸し付けた銭や払いが滞ると慌てておるとか。
臣従して良かった。梅戸の殿も先日そうこぼしておられたな。
ふと見上げると、秋の雲が見えた。
夏もあとわずかか。
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