第1299話・変わりゆく世を思い
Side:久遠一馬
「
「う~、うぁ!」
さすがのジュリアも、娘が自分のいないところで言葉を話したことは少しショックだったらしい。
もっとも輝は、あれ以来まだ言葉を話していない。自分を抱き上げてくれる母に喜んで騒いでいるだけだ。
「赤子というのは気まぐれじゃの」
そんなジュリアの姿を塚原さんは面白げに見ていた。昨日、美濃から戻ったようだ。
北美濃と飛騨は思ったよりも大変らしく、避難させて正解だったみたいだね。
残っているのは寺社の僧などだ。寺を空に出来ないからと残っている人が結構いる。こちらとしては支援物資を送り、彼らとの情報伝達を密にしつつ領内を賊などが荒らさぬようにしているところだ。
実際のところ田畑は駄目になっているところもあるが、歩けないほどでもないし火山ガスなども織田領内は出ていないので問題はない。
飛騨の江馬領が織田領との格差とか前々からの積み重ねもあって不穏だけど、今のところ一部の領民が逃げ出している以外は大きな動きはないようだ。
「それにしても宗滴が尾張で静養とはな」
菊丸さんは自然の猛威に大いに勉強になったと言っているが、それ以上に宗滴さんの件を驚いている。花火を見たらそのまま旅に出ていたからなぁ。この件を直接話すのは今日が初めてになる。
仔細は知らせを出したので知っているものの、宗滴ほどの人が他国で隠居などまず聞いたことがないことだ。
「年寄りがいつまでも若い者を従えるのは、良うないのやもしれぬの」
「師よ。なにを言われる」
「若い者は年寄りを超えねばならぬ。されど宗滴殿ほどになると周りも遠慮しよう。そうしておるうちに下の者が育たぬ」
ただ、この話になるとなんとも言えない顔をしたのは塚原さんだった。
まあ塚原さん自身は未だに負け知らずだ。ジュリアとの手合わせを除けば。あれは勝敗を付けるのを止めただけに思えるし。
菊丸さんやお弟子さんたちが驚くのも無理はない。だけど身体能力は確実に若い人には劣る。経験や技でカバーしているが、自身の限界と向き合うだけにその手の話に敏感なのかもしれない。
言っていることは一理あると思う。歴史として見ると朝倉宗滴亡き後は景鏡など僅かな者しか活躍していないが、時代背景とか情勢とか一概に劣るとも言えないものがある。
若い時には若い時の経験がいる。宗滴さんのように朝倉家が独立した頃から苦労をしている人と、強い朝倉家しか知らない人ではやはり経験に差が出るのは仕方のないことだ。
「隠居後には隠居後の楽しみでも持つべきだろうね」
母と呼ばないまま、輝は遊んでもらって満足したのか眠ってしまった。そんな娘を愛おしそうに眺めていたジュリアがふとそんなことを口にした。
生きるのに精一杯だということもあるし、この時代だとどうしても完全な隠居というのはしない人が多い。隠居したとしても出家して、なんだかんだと政とかに関わるしね。
楽隠居出来る体制とか仕組みもいるかなぁ。文化面の振興も必要かもしれない。身分のある人から文化と言えるものを日常で取り入れて趣味とする。そのくらいの余裕が今後は必要だろう。
織田家だと忙しすぎて隠居した人も働いているからなぁ。あれも良し悪しなんだよね。即戦力だし、当人たちも喜んで働いているけど。
Side:三好長慶
「しかし譲位とは。思い切ったことをなされますな」
松永弾正が思案する様子でそうこぼした。わしもそれには同意する。掛かる銭は主に織田が出すという。六角、北畠、それと本願寺も出すであろうな。無論、わしも幾ばくかは出すが。
「都と朝廷を捨て置かれるのではとの危惧。思うたより深刻であったらしいな」
「それはそうでございましょう」
動いたのは近衛公や二条公だとか。尾張という地はそれほどまでに違うということか。斯波と織田は、いずれの守護や寺社よりも朝廷を重んじて献上品を贈っておるというのに、それで満足出来ぬとは。
「それで、例の尾張賦役はいかがだ?」
「やるべきでございましょう。銭を出してくれるというのです。否という理由もございませぬ」
譲位に関する書状が観音寺や清洲から幾つも届いておる。中でも細かい差配の指南として清洲から届いたものに面白きものがあった。都におる職のない者を集めて、内裏や院の御所となる地である陣中を守る土塁を築いてはいかがかとあった。
わざわざ費用を負担するというのだから、これが織田でなくば謀かと疑うほどだ。自らの銭を出して、何故、他家の功となることを指南してやらせるのだ。見方を変えるとわしが物足りぬと愚弄しておるようにも思える。
もっともわしは上様に忠義を誓った身だ。これも三好が苦労をしておることを承知の手助けなのであろうが。
「まさかわしが御所の造営を差配するとはな」
内裏の修繕も終わっておらぬというのに、すでに院の御所を造営する話が進んでおる。あくまでも上様の命であるがな。
尾張も公家も恐ろしき者らよ。
Side:今川義元
伊勢無量寿院が落ちたと知らせが届いた。驚きはない。されど、まさか帝の勅を得て公方様の命で戦をするとは。
「明日は我が身か」
雪斎が苦悩しておる。公方様は織田贔屓だということは近年の様子で察するが。それにしても真宗の勅願寺を容易く落としてしまうとは。恐ろしい。
武田を叩き、武門として僅かな面目を得て臣従するか。それとも得るものがないまま家の存続のみで臣従をするか。いずれにしても後がないのは同じこと。
何故、かような世になったのであろうな。今までと同じでよいではないか。公方様の下で守護が領地を治める。それのなにが不服なのだ。
「すべては今川の御家を残すため」
無念さを滲ませながらも言葉少なく語る雪斎をふと見ると、歳を取ったなと思う。
互いに歳を取った。わしと雪斎はここまでのようじゃな。今更、織田と十年も戦をするなど出来ることではない。
隠居をして雪斎とともに仏門に戻るのもよかろう。世がいかに変わろうが、共に祈る日々というのも悪うない。
もう信秀には付いていけぬわ。
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