第1289話・鎮圧

Side:滝川一益


 帝の勅を得て、公方様のめいで戦か。かつての日々を思うと信じられぬわ。


「太郎左衛門殿、忍び衆は?」


「すべて退かせた」


 一揆勢の中には忍び衆が潜り込んでおるが、鎮圧が迫りて退避させた。御家の武器には潜り込んだ味方すら無事では済まぬものが多いからな。


 此度の御家の陣は後ろにある。御家から参陣した者は火砲隊と称しておる、火縄銃や金色砲を扱う者らのことで、他には織田家の衛生兵の本陣も兼ねておる。


 ジャクリーヌ様は前にお出になられぬということと、衛生兵は代えが利かぬということもあり陣は後方だ。


 もっとも御家におると前に出ずとも武功の機会は多い。久遠家にしか出来ぬことが多い故にな。


「ふたりとも催涙薬の使い方は覚えたね?」


「はっ!」


「風向きだけには気を付けるんだよ。死ぬほどじゃないけどね」


 すでに一揆勢には降伏を促しておる。斯波・織田・六角・北畠という軍勢に多くはさすがに勝てぬと理解して降伏してくる。


 されど意地になっておる者や、無量寿院を許せぬと退かぬ者も相応におる。根切りかと思われたが、ジャクリーヌ様の策で生け捕りにすることになった。


 催涙薬。なんでも涙が止まらなくなり、目が痛くなるとか。材料は主に唐辛子だというから驚きだ。それを火にくべて煙を一揆勢に流れるようにすればいいのだとか。


 あまり我らばかり武功を挙げては妬まれるのだが、致し方あるまい。


 ジャクリーヌ様は後方で衛生兵らと共に、降伏してくる者らを受け入れる差配をされるというので、わしと太郎左衛門殿で風上にて支度をする。風下には無量寿院もあるが、それも加味してのこと。


 あそこが大人しくこちらに従うとは誰も思うておらぬからな。


「ではやるか」


「ああ」


 周囲を御家の者らで固めて、皆が頭巾と特別にあつらえた眼鏡で身を守る。


 枯草などで火を強くする。そこに若草、生木なまきなどくべて煙が出るものを燃やす。さすがに夏ということもあり暑いな。風上から最後に催涙薬を放り込む。


 ここまでは事前に試したが、さすがにいかほど効くのかは試すことが許されなかった。風が一揆勢と無量寿院のほうに流れていく。


 味方には煙がこちらの策だと教えておるし、煙が収まるまでは危ういので動くなと言うてあるが、いかになるのやら。


 こちらに近い一揆勢が苦しみだすと場の様子が一気に変わる。まさか煙で目が痛くなるなど思いもしなかったのであろう。何事だと騒ぎだし逃げ出す者まで現れる。


 すべての一揆勢に煙を送り届けることは難しいが、山門の前におる主立った者が浮足立つと一揆勢は途端に総崩れとなる。


 煙が晴れるのを待ちきれぬ者らが、かなたこなたで攻め始めたので、こちらは慌てて火を消す。あとで文句を言われねばよいがな。




Side:北畠具教


 苦しむ一揆勢に味方は静まり返った。久遠勢が新しき策を講じるというので恐ろしきことが起こらねばよいがと臆しておった者も多い。


 一揆などそう扱いが変わるものではない。蹴散らして村に返すのが常道であろう。従わねば根切りも覚悟せねばなるまいが、飯を与えるといえば大半は降る。


 殺さずに生け捕りにする策と聞いたが、目の前で苦しむ姿を見せられると恐ろしきよと思うのが心情か。従わぬ者を槍や刀で討つのは当然でも見知らぬ策には臆する。人というものの愚かさを見せられるわ。


「これは無量寿院への策でもあるのでしょうな」


 ぽつりとつぶやく者の言うとおりだ。このまま無量寿院の坊主どもには、この責めを負わせることになっておるのだ。さほど多くないが、こちらの領地にも損害が出ておる。公方様の名で、寺領にて一揆を起こした罰を与えることになる。


 素直に降れば良し。降らぬ時は……。


「そろそろ良かろう。煙があるところには行ってはならんぞ!」


「はっ!」


 織田は余裕があるが、こちらは常に武を示しておかねばならぬ立場だ。家中とて一枚岩とは言い難い。力の差は歴然だ。


 織田と争うつもりはないが、臣従するまでは体裁は保たねばならん。皆もそれを分かっておるのだ。わしの下知で一斉に陣を飛び出していった。




Side:無量寿院の高僧


 秋までの辛抱だ。そう思うておると、一揆勢の向こうに北畠、六角、織田の軍勢が現れたとして騒ぎになった。


 助けが来たのかと喜ぶ者もおるが、それはあり得ぬと知る者らは慌てて山門に飛び出していった者すらおる。


「やはり謀か?」


「知らぬ。いずれにせよ敵であろう」


 残った者で今後のことを話し合う。ここまでくれば謀か偶然かはいかようでもよいのだ。謀に気付かぬ己の不徳というもの。


「このまま籠城しかあるまい。ここは勅願寺ぞ。武士如きの好きにさせてはならん」


 あの様子では末寺は討たれたか封じられたか。いずれにせよこちらに味方する者が現れることは当分あるまい。されど、ここは真宗の総本山なのだ。武士如きに汚されるわけにはいかぬ。


「それは分かるが……」


「肝心なのは防げるかであろう? 織田自慢の金色砲を」


 いよいよ本性を現したことで、それ見たことかといきり立つ者もおるが、要は勝てるかどうかということに尽きる。学僧も僧兵もかつてないほど少ない。兵糧と銭はあるが、包囲されては外から買い入れることは難しかろうな。


「各地からの上納を奪われるな。向こうは無理攻めをしないのではあるまいか?」


「あの盗人どもが!!」


 一揆勢だけならば秋の稲刈りで退くと思うたが、武士がくれば退かぬこともありえる。織田は銭や米を余るほど持っておるからな。


 ただ、奴らは奪うことしか考えておらん。無理攻めをしてくるとは思えぬところもある。御寺に上納される米や銭を奪うことを狙い包囲で済ませることも考えられるが。


 さて、いかがするか。




「申し上げます! 織田方より煙が上がり、その煙により目が痛くて敵わぬと騒ぎになっております!!」


「たかが煙で騒ぐな!」


「さにあらず! ただの煙でございませぬ! 一揆勢も同じく目が痛いと動けぬ間に総崩れとなり、次から次へと討ち取られております!!」


 その知らせに言葉が途切れた。


 毒か? 織田からということは毒かなにかで一揆を根絶やしにする気か?


「まさか、奴ら。御寺の民を根絶やしにして丸裸にする気では……」


 誰ぞの悲鳴のような声が聞こえた気がした。いかに総本山とはいえ寺領の民がおらなくなれば困るというもの。


 織田に道理は通じぬ。まことに我らを根絶やしにする気なのではと思うと背筋が冷たくなるのを感じた。




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