第1288話・幕府軍

Side:ジャクリーヌ


 無差別蜂起という最悪の事態は免れたわ。織田と北畠では投降を呼びかけることで降る者も多い。


 衛生兵特製重湯のおかげで助けられた人も多いわね。


 ただ、憎しみが深すぎて、止まらない人もいる。


「諸将、帝よりの勅である。これをもって上様は無量寿院領における一揆鎮圧を命じられた」


 アタシは孫三郎様と共に伊勢亀山城に来ている。六角からの援軍と北畠の具教黄門殿らが集まって軍議が開かれることになったためだ。


 六角からは六角左京大夫殿が将として来ていて、幕臣の三淵弾正左衛門尉藤之殿も軍監としている。北畠からは具教黄門殿だね。


 帝の勅。これの効果は絶大としか言いようがない。勅の書状に皆で頭を下げるところなど恐ろしいとすら思える。


「一揆勢はいかになっておる?」


「はっ、北伊勢の元国人らが幾人か加わり一揆勢をまとめたことで周囲に損害はあまりなく、無量寿院を包囲するように布陣して攻め立てておりまする」


 肝心の上様は菊丸殿として北美濃にいるはず。火山の被害が見たいと塚原殿と旅に出たから。代将として左京大夫殿が率いることになる。


 家柄的に織田では不足だし、斯波の名前で将となるのもあまり好ましくはない。上様がおられることになっている六角家の左京大夫殿が一番いいのよね。


 ただ、六角の軍勢は三千、北畠も同様ね。織田は警備兵と荷駄隊などを含めずに五千ほど動員しているわ。これ以外にも北伊勢の末寺の始末に兵がいるけど、直接無量寿院にかかわるのは一万一千になる。


「では一揆勢には降伏を促し、鎮圧するということでよろしいか?」


 左京大夫殿は淡々と軍議を進めた。事前の打ち合わせ通りとはいえ、大変な役目ね。


 複雑な策は不要よ。北畠と六角に負担が偏らないように配慮はいるけど。兵糧など物資は織田が提供することで話は付いている。これは前回の長野と北畠の戦の戦訓ね。補給という体制を整えられない友軍が厄介になる。


 一揆勢は戦をしたいわけじゃない。降伏を許せば降る者も多い。そこまでは大きな障害はないはず。


「肝心の無量寿院はいかにするのであろうな」


 話も終わろうとした頃、口を開いたのは具教黄門殿ね。懸念は同じということか。


「北畠殿、勅が出ておる。さらに上様には寺社への検断権があるのだ。双方に逆らうと?」


「都合が悪うなると聞こえぬ耳を持つのが坊主というもの。かつて帝と公方様を巻き込み、後継争いをしたのはいずこの一派であったか知らぬわけではあるまい」


 具教黄門殿の言葉に三淵殿がまさかと言いたげな顔をするけど、無量寿院は素直に従わないでしょうね。ましてそのまま彼らの利権と寺を認めるなんてありえないというのが、こちらの結論ですもの。


 まあ、問題ないでしょう。無量寿院を落とす支度はしてある。領民の信を失った寺など物の数ではないわ。




Side:無量寿院の僧


「おのれぇ。民風情が御仏に仕える我らに逆らうなど」


 あれから六日。所詮は烏合の衆なのだ。蹴散らせば諦めるかと思うておったが、思うたよりも粘っておるわ。


「何故、一揆勢に我らの寺の旗印があるのだ!」


「知るか! いずこかの寺が降ったのであろう!!」


 今のところ一揆は防げておる。仏罰を恐れぬ罰当たりどもだ。迎え討つのは容易い。以前よりは減ったが、一年や二年は寺に籠れるだけの兵糧はある。直に各地の寺にもこのことが知れるであろう。さすれば味方する者も出ようし、風向きも変わる。


 そもそも一揆勢に兵糧はないはずだ。長く持つまい。懸念は織田が一揆勢を助力せぬかということだが……。


「それより末寺からの兵が一向に来ぬのは何故だ?」


 それと、末寺のことか。ここ本山の近隣には寺が幾つかあるが、同じく籠城しておるか、すでに落ちたところばかりだ。無事である伊勢の寺には兵を挙げて一揆勢を蹴散らすように書状を出したが、一向にくる気配がない。


 北伊勢はともかく、ほかのところには昔から変わらぬ寺がいくつもあるというのに。


 まあ、よい。酒でものんでおれば終わるであろう。


 所詮は愚かな民なのだからな。




Side:久遠一馬


「へぇ。中はそうなっているのか」


 面白い人から書状が届いた。安濃津の商人で、以前に飛鳥井さんの密書を密かに運んできた人だ。塩を買い入れたいと無量寿院が密かに人を送ったようで、中の様子を聞きつついくらか売ったらしい。


 外と違い、中はそこまで慌てていないようだ。秋の収穫には一揆勢もいったん解散するとみているようで、勢いが落ちたら報復する気でいるみたいだ。


 まあ、一揆相手にあの規模の宗教の本山が落ちたなんて話は聞いたことはないし、士気はまだまだ落ちていないらしい。


「いかがいたしまするか?」


「褒美を与えていいよ」


 ほんとグレーゾーンどころか黒とはっきりしている商人なんだけど、こっちにもきちんと筋を通して他の人じゃ寄越せない情報や利益を寄越す。


 実はこの手の商人はそれなりにいる。信秀さんの意向で使えるうちは泳がせておくことになっているんだよね。杓子定規で扱っても流通が滞るだけだし、仕方ないところもあるけど。


 敵対相手に阿漕なことをしているという事情もあるので、根気強く指導して改善させていくしかない。


「よほど自信があるみたいだねぇ」


 無量寿院では宴もしているようで書状を読んだジュリアが呆れたように笑うが、それにはさすがに資清さんも少し顔をしかめていた。


 もっとも坊主に対する価値観は、元の世界とこの時代ではまったく違う。元の世界の価値観では、戒律を守り清貧にて国や民のために祈ることを理想とするのだろう。


 この時代では宗教関係者は特権階級だ。平等という概念がない時代であり、神仏に仕える特別な存在である坊主が領民よりいい暮らしをして贅沢をするのは、ある意味当然のこととして受け止められている。


 神仏の教えを守り広めることが役割であり、そのためには寺を守るための武装も、生きるための食べ物や酒も許されるというのが彼らの本音であり認識だろう。戒律でさえ寺を出ると素知らぬふりをして破っているからな。


 仏教あっての日ノ本であり国だというのが彼らの言い分になる。さすがに帝は現人神なので別格だが、武士が相手では上から見ている人たちだ。


 そう見ると非道な破戒僧に見えるが、武士がもっと酷い統治なのでまだ比較として寺社はマシだったんだよね。織田領以外では。


 自分たちの特権と地位は決して揺るがないというのが彼らの認識になる。実際、無量寿院を潰すのはオレたちも無理だしね。オレは本音では潰したいけど、織田領にも高田派はいる。彼らに対する配慮も必要だ。


 それに勅願寺という肩書きがどこまでも重くのしかかる。無害化して大人しい寺にしてしまうしかない。


 朝敵というわけではないので官軍ではないけど、幕府軍として統治に失敗した無量寿院を成敗して正しき姿に戻す。


 これ、本当の室町幕府の正しい姿なんだよね。義輝さんはあまり興味ないらしいけど。


 ちなみに名目は騒乱の鎮圧だ。無量寿院の討伐じゃない。この辺りは勅願寺という体裁やらいろいろ考えた結果だ。


 まあ、責任問題は当然ケジメをつけてもらうことになるけど。




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