第1277話・若武衛様の婚礼・その五

Side:久遠一馬


 婚礼三日目、この日は今までにない宴になる。


 信長さんの時もそうだったけど、本来、初日は花嫁さんが静かに過ごすはずだけど、今回はそれを省いている。その代わりに三日目の宴を用意したんだ。


 三日目は子供たちの宴になる。これ、義信君の要望があったものなんだよね。きっかけは正月にあった子供たちの新年会だ。


 この時代だと重臣や一族の子を近習として付けることで、将来の側近となる。ただ、どうしても限られた子たちだけになるので、上下関係と序列が固定されてしまう。単純に良いとも悪いとも言えないけど。


 だが尾張には学校がある。学校という身分も老若男女も問わず学ぶ場所は、そういう時代では貴重であり革新的なことでもある。


 現在の尾張だと下剋上や謀叛が起きにくい体制になりつつあり、身分を超えた交流が害にならないんだよね。


 形式としてはお膳で食事をする旧来の宴のスタイルだ。これも勉強と社会経験の一環でもある。


 ウチの牧場の孤児の子たちも、一定年齢以上は学校に通っていることもあり招かれている。みんな楽しみにしつつ、贈り物を用意していたようだ。


「新九郎殿はご立派になられましたね」


 この日、ウチの屋敷に西堂丸君改め新九郎君を招いた。あれから六年くらいか? 大きくなるわけだなぁ。立派な若武者と言っても過言ではない。


「いえ、まだまだですよ。尾張は変わりましたね。争いもなく、皆が飢えを恐れることなく働ける」


 尾張に着いてから宴の席などで何度か話をしたけど、忙しかったこともありようやくゆっくりと話す時間が取れた。


 あの頃は驚き興味深げに見ているだけだった新九郎君が、今は尾張の国や体制をリアルな現実として受け止めてくれている。


「尾張も上手くいっていないこともあれば、悩むこともありますよ。ただ、皆が力を合わせられる国にはなったと思いますけど」


「めろん牛乳でしたか。婚礼で飲んだあれで、あの頃を思い出しました。私も武芸に励み学問を積みましたが、久遠殿はあの頃より遠く感じます」


 エルが運んできた冷やした紅茶を飲んで、少し驚いた顔をした新九郎君はあれからの日々を教えてくれた。


 北条は史実よりは多少いい状況だろう。地震の対処も早く、尾張との商いも盛況だ。とはいえそれは史実を知るオレが思う感想だ。尾張を自分の目で見た新九郎君からすると、変わり続ける織田と変われなかった北条に思えるのだろう。


「急いてはいけませんよ。周りをご覧ください。今川も武田も決して楽ではありません。関東管領上杉など越後にいるままでございましょう」


「エル殿……」


 まあ北条でも織田に学べるところは学んで変えたいと考えている。風魔、まあ野盗紛いの連中だったが、正式な身分と役目を与えて史実と違って北条家の一員となっている。


 ただし、検地はもともとしていたし、この時代では先進的な統治をしていた分だけ、それ以上の変革には苦労をしている。


 古河公方と関東管領山内上杉の権威は健在だ。土着の武士の扱いも変えることなど現状では無理だろう。なにより経済を理解しておらず経済発展を出来ていないことも大きい。


 現状の北条では攻められやすくなる街道整備も難しく、農業改革も見よう見真似なせいか成果が上がるところまでやり切れていないんだよね。


 新九郎君は尾張に憧れてくれていたのかもしれない。同じように相模の地を豊かにしたい。その思いがある分だけ、現状に苦しんでいるようだ。


 義統さんと斯波家の権威の有難さを痛感する。北条にはないからなぁ。


「ああ、婚礼も終わり落ち着いたら、また領内を案内致しますよ。なにかの参考にはなるかもしれません」


「ありがとうございまする」


 他国のオレに本音を明かしてくれたこと。北条の嫡男としては駄目なのかもしれない。でもね。友達だから。出来る範囲で力になりたいと思う。


 紡いだ縁は決して無駄じゃないはずだ。




Side:斯波義信


 婚礼三日目。わしも妻となったいねも、今日はいささか気が楽だ。宴に招いたのは顔見知りの者らだからな。


「絵をお持ち致しました!」


「おおっ、そなたまた絵が上手くなったな」


 皆が心のこもった贈り物をしてくれる。留吉は先年学校で行なった文化祭の時の南蛮絵を描いてくれた。これほどの南蛮絵を描けるのは、今のところ三人しかおらぬ。一馬の妻のメルティと滝川慶次郎と留吉だけだ。


 ほかにも襟巻や反物など、皆がくれる贈り物に嬉しくなる。


「ケイキだ」


 婚礼の宴の始まりはケイキになる。今宵は酪を使ったケイキだ。白よりわずかに色が入っておる、くりーむというものを使っておるのだとか。


 皆、今日のために作法を学んだのだろう。静かに切り分けられたケイキを食うていく。されど、その顔は言葉より雄弁じゃの。中には口元が汚れておる者までおるわ。


「うわぁ」


 宴は久遠家の鯨料理になる。運ばれてくる膳に皆が喜びの声を上げた。


 この日のために水軍衆が鯨を獲ったのだ。塩漬けにしておらぬ鯨なだけに尾張でも珍しい料理が並ぶ。


「さあ、皆。遠慮せずに食べよ」


 酒は出しておらん。ケティが若い者に酒を飲ませるのはようないと言うからの。尾張では元服前に酒を飲ませぬようになった。それでも皆は楽しげじゃ。


 ああ、宴の席にはかつてわしの近習をしておった者らもおる。わしが学校に行くのを拒んだせいで近習を外された者らだ。あの後しばらくしてアーシャの計らいにより、学校で学ぶことで許された。


 城から出ることもなくあ奴らと過ごした日々。今思えば、わしもあ奴らも世を知らぬわっぱでしかなかったな。


「美味しゅうございますね!」


 先日の花火のことで皆盛り上がり、元服して働いておる者は己の役目や仕事について語る。大人の宴とは違った良さがあるの。


 留吉のように新たな才を見つけた者もおる。学問に秀でたおかげで身分出自が心許こころもとないにもかかわらず清洲城で奉公しておる者も少なくない。


 学校とは、人の才を見出してやる場だ。あそこがある限り尾張は安泰であろう。


 一馬。恐ろしい男じゃ。父上や内匠頭殿より若いというのに、己の意思を継ぐ者を育てておるのじゃからの。


 この者らと共に領地を守り、より豊かにしていかねばならん。


 二度と乱世に戻らぬようにな。それがわしの務めであり、定めなのかもしれぬ。




 ◆◆

 天文二十三年六月十六日。斯波義信が婚礼を挙げた。相手は織田信秀の娘でいね。南伊勢の北畠晴具の養女として義信に嫁いでいる。


 これは蟹江同盟としての婚礼であり、旧来の婚礼とは違う形での婚礼であった。見届け人として六角義賢が出席していて、久遠家の習わしから養父であった晴具と義兄である具教も出席するなどしている。


 一方、先年に久遠諸島を訪れた斯波義統の命により、旧来の婚礼の作法や慣例を見直しており、両家が揃うことや宴の時間の変更。また三々九度などを公の場でするなど現代の結婚式の礎となっている。


 また領内各地では酒や餅に菓子も振る舞われたようで、津島天王祭の花火大会から続けてお祭り騒ぎだったと記録にはある。


 この婚礼には近衛稙家、山科言継などの公家から、今川義元の母である寿桂尼、朝倉宗滴など斯波家と因縁がある者や、武田信繁、小笠原長時、北条氏親など親交がある者たちも出席していた。


 斯波家は今後の日ノ本統一のことを考えて、過去の因縁について考えていた時期でもある。今川と朝倉に対してはこれが圧力でもあり、譲歩と謝罪を促す策だったとも言われている。


 尾張では中世武家社会の変革を進めていた頃であり、これ以降、婚礼の形式が変わることになる。




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