第1278話・今川の決断
Side:久遠一馬
三日間の婚礼は無事に終わった。招待客の皆さんとはこの後も茶会や宴などある。これも外交だ。
六角と北畠とは話すことが多い。織田農場と名付けたプランテーションのことや街道の整備に改革のアドバイスなども要る。あとは両家の家臣に向けて友好をアピールするような宴も別途用意している。
新九郎君は竹千代君に頼んで学校見学に行ってもらった。ふたりは関東訪問以降、何度か文をやり取りしていたくらい親しいからね。
さて、婚礼も終わって、いよいよ動いたのは寿桂尼さんだった。今川の今後のことについて話をしたいと打診があった。信秀さんの命でオレとエルが同席する。
「前回、格別のご高配を賜ったこと恐悦至極に存じます。この度、今川として織田に臣従することをお許しいただきたく、駿河から参上致しました」
義統さんと信秀さんの顔がピクリと動いた。さすがに驚くよね。劣勢だったとはいえ駿河遠江は健在だ。東三河の大部分を失っても、流されるままに遠江を崩壊させなかった手腕は確かだ。
一戦も交えないで因縁の相手の家臣に臣従をする。面目を重視するこの時代ではあり得ないことだ。
「因縁というのは困ったものよの。わしも忘れてしまいたいと思う時があるが、そうもいかぬ。寿桂尼殿、それは今川家の総意と受け取ってよいのか?」
「もちろんでございます」
義統さん、あんまり喜んでいないね。因縁のことは少しうんざりしているところもあるからな。正直、嫌いな相手、恨みがある相手の体裁やら面目に配慮なんて、したくないのが本音だろう。
元の世界でいえばそれでも付き合うのが大人といえるけど、この時代だとそこまで社会が成熟していない。
「今のままでよいのではないのか。商いはしておろう。あとは関わる理由もあるまい。こちらはいろいろと手一杯でな」
拒否とまでは言えないけど、覚悟と理由が知りたい。義統さんの言葉にはそんな思いが込められている気がする。
まあ、当然だろうね。お父さんが戦にいって負けた挙句に、強制的に坊主にさせられて帰ってきたんだ。子どもなら激怒するだろう。
「今のままでは今川に先はないと考えております。所領もすべて献上いたし、織田の法に従います。ただひとつ。武田と雌雄を決す時を今しばらくいただきたく、伏してお願い申し上げます」
義統さんと信秀さんはさらに驚き、こちらを見て思案する様子を見せた。
さすがは史実で今川家を最期まで守った女傑だ。義統さんの否定的な意見をものともせずに、畳みかけるように議論を臣従に傾けた。
さて、どうするんだろ。この件。オレも信秀さんも口を出せないんだよね。
「あい分かった。よう決断したな。心中察するに余りある。互いに今後も苦労はあろうが、良しなに頼む」
「ありがとうございます」
根負けしたように義統さんは承諾した。まあ、この場で決まったのは臣従をすることと所領を明け渡すことだけだ。具体的な条件などはこれから詰める必要がある。本音をいえば雌雄を決するなんて迷惑なんだけどね。
領地は荒れるし、因縁が深まる。史実でもこの時代の因縁が、二十一世紀になっても地域間の対立として残っていたところもあるはず。
とはいえ迷惑だからやるなとは言えない。今川にとって最後の意地なんだ。オレから見ると若干八つ当たりに見えるけど。まあ、今川と武田も過去には因縁があるしね。どっちもどっちなのが実情か。
「また所領が増えるの」
寿桂尼さんが下がると、義統さんがなんとも言えない様子で呟いた。
「おめでとうございますと、言うべきでございましょうか」
「因縁は消えまい。獅子身中の虫となることもあり得る。めでたいと素直に喜べぬの。寿桂尼殿がおるうちは良かろうが」
信秀さんが義統さんの微妙な心境を慮って声を掛けるが、やはり本音は喜んでいないか。ほんと、これで因縁が終わるわけじゃない。終わらせるにはこれからいろいろと配慮や関係改善の努力が要る。
言い方が適切か分からないけど、落ちるところまで落ちないと誇りは残るだろう。それが恨みとなって史実よりも今川との因縁は残る可能性がある。
「甲斐と信濃のことも早急に考える必要があります」
「であろうな。武田も小笠原も黙っておるまい」
エルが口を開くと信秀さんはため息をこぼした。
関東はお隣が北条なので、すぐに大きな影響はないだろう。ただし恨みが溜まっている武田と小笠原との三つ巴の因縁は、今回の臣従でより深まることになる。
小笠原と信濃救援を名目に介入しておきながら一方的に織田に臣従して終わるとか、この時代でもどうなんだよと言いたくなることだ。
本当、六角と北畠と同盟出来て良かった。西も東もとなると大変なことになるところだったよ。
Side:寿桂尼
間に合った。その安堵でいっぱいです。
今川など要らぬ。滅ぶなり野垂れ死ぬなり、好きにしろと言われるかと覚悟もしておりました。
「尼御台様……」
唯一供をしておった朝比奈備中守が悔しさを滲ませております。武衛様も悩み困っておられたのでしょう。
ただ、今しかないのです。私と義元殿で責めを負い、龍王丸に今川を託す。そこまでしてようやく斯波と織田の治世で生きていけるというもの。
「明日いかがなるかは分からないもの。ですが、今川にはもう先がないのです」
惜しむべくはもっと早く動くことが出来ていればと思いますが。北畠と六角や北条は友誼を深めて上手くやっております。私はそこに今川も加えたかった。
斯波と織田もひとつ間違えると荒れるでしょう。ですが、今のところそのような兆しはない。少なくとも久遠内匠助殿がいるうちはないと見るべきだと思います。
武田や小笠原に先んじて動けたことで、今は良しとしましょう。
これで今川は生き残ることが出来る。
◆◆
天文二十三年六月。斯波義信の婚礼後、今川義元の母である寿桂尼が、斯波と織田に対して臣従をする旨を伝えたと『織田統一記』にある。
同時代は因縁が珍しくなく、今川家は斯波家と遠江を巡って因縁があった。ところが久遠一馬の尾張来訪で今川と斯波の立場は急激に変化をしてしまい、追い込まれた末の出来事であった。
一馬来訪前には西三河の半ばまで勢力圏に治めており、織田はかろうじて三河安祥城を押さえているだけであった。それが数年で東三河の吉田城を残すのみとなっていたことが決定打となったようだ。
流通に関してはすでに織田に支配されていたらしく、寿桂尼は大内義隆の葬儀の際に因縁解消のために自ら人質となると申し出て、織田から嗜好品の価格引き下げを得ている。
この時は織田が人質を取らぬ方針であったことから駿河に帰国しているが、その後、寿桂尼は義統や信秀と約束した今川の意思統一に奔走していたことが窺える。
同時代の女性では一馬の奥方衆に注目が集まるが、寿桂尼ならば並び立つのではと言われるほど彼女の力量は確かであった。
因縁ある今川を格下の織田への臣従でまとめたその力量には、義統や信秀も驚いていたと伝わる。
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