第1272話・若武衛様の婚礼
Side:久遠一馬
花火大会も終わった。あちこちから報告が上がってくる。良かったこと悪かったこと、一部には献策もある。変わったなと思う。
花火が終わると津島以外の近隣も忙しくなる。清洲の町や熱田神社や蟹江の温泉に、那古野の銭湯町などがある。ここ数年は花火見物の人たちが帰りに寄り道をすることが増えたようだ。関所廃止の恩恵だろう。
一般的に領民だとお土産を買う習慣もないし、余裕もまだないようだ。といっても津島神社の護符とかは飛ぶように売れているらしいけど。
領外からの見物人は身分があったり裕福な人もいるので、いろいろ買っていく人たちがいる。
「へぇ。凄いね」
「はっ、褒美を出しておきまする」
面白い報告をしてくれたのは資清さんだった。留吉君と絵師の雪村さんが版画絵を売りだしたらバカ売れしたらしい。木版印刷自体は昔からあるものだ。知っている人は知っている。ただし織田手形を見たふたりが、木版印刷による絵を制作したらしい。
メルティが基礎的な指導をしたようだけど、あとは孤児院の子たちが印刷を手伝ったようでウチの屋台で売ったようだ。
黒一色の単一な絵になるものの、もともと水墨画を得意とする雪村さんが加わったものだからいい出来なんだよね。
木版印刷による絵の制作は、史実では江戸時代に入って確立していく技術なんだけど。
ふたりとも売り上げを孤児院に入れたようでリリーから報告が上がったようだ。
絵は買える時代じゃない。絵師に描いてもらうしかない。当然安くはないし身分がないとまず描いてもらうこと自体無理なことだ。
ところが版画絵ならばちょっと頑張れば誰でも買える。売れて当然だろうな。
褒美は多めにしよう。これ地味に影響あるだろうなぁ。かわら版に挿絵を載せるレベルじゃないしさ。
オレももらった。これ絶対未来で名が残る一枚になるね。大切に保存しておこう。
「ばーん!」
「ばーん!」
仕事が一息つくと子供たちの様子を見に行く。大武丸と希美と家臣の子たちが楽しげに走り回っているけど、『ばーん!』ってなんの遊びだ?
「花火ごっこだって」
一緒にいた春が教えてくれた。ああ、花火か。だから両手を広げて騒いでいたのか。鉄砲かと思って少し微妙な気持ちになったよ。
こうして見ると花火の影響が大きいことが分かる。来年は一緒に見たいなぁ。うーん。無理そうだけど。
一緒に遊んでやりたいけど、清洲城に行かなきゃならないんだよね。花火から間一日空けて、今夜は義信君の婚礼なんだ。すでにエルは登城して料理の手伝いをしている。子供たちは春に任せよう。
「凄いな」
那古野と清洲の町はどこもお祭り騒ぎだった。領内の主要な町では今日から三日間、お酒・餅・菓子の振る舞いが行われる。信長さんやオレの婚礼を超える規模でお祝いする手筈になっているんだ。
賦役も領内全土でお休みになっていて、昨日の賦役では三日分に相当する報酬が臨時で配られているはずだ。
飛騨や北美濃は白山の噴火の影響で避難をしているところもあるけど、予定通り婚礼は行われる。
まあ、花火大会の見物人がまだ尾張にいるので、臨時の警備兵とか相応の働いている人たちも多いけどね。
馬車がスムーズに進めないほど道が混むのは久々だ。道は広いし、みんな空けてくれるんだけど、なにせ人が多い。元の世界の歩行者天国のようだ。
清洲城もバタバタしていた。台所は宴の料理の支度で忙しいし、婚礼の儀ということでなにかと大変なんだ。
義統さんの時とは比べものにならない規模の婚礼になるけど、今の斯波家の規模だと妥当な感じなんだよね。信長さんやオレの婚礼を派手にやったこともあり、同等かそれ以上の婚礼が必要になる。
ただ、伝統と違うところも多々ある。養女を嫁に出す北畠家からも晴具さんと具教さんが揃って婚礼に参加することとか、婚礼の作法や流れもこの時代の一般的な武家のものとは変えたところがあるんだ。
この件は義統さんを中心に入念に話し合った結果だ。尾張だとウチの価値観がかなり浸透している影響だろう。婚礼もオレたちの婚礼を参考にしたところがある。
異なる価値観との共存という意味では、尾張の人たちはすでに慣れていると言ったほうがいいのかもしれない。
婚礼にて花嫁さんの家も参加して、見届け人として六角家が参加する。正式に婚礼の儀に義賢さんが出る意味は大きいと言える。血縁はないが、事実上の同盟だと内外に示すことになるはずだ。
「エルたちも、今日は忙しそうだね」
清洲城のオレの部屋はもぬけの殻だった。料理の手伝いでエルたちは朝から来ているはずなんだけど。セレスは警備の指揮をしているし、ジュリアもそっちを手伝っているみたい。
各屋敷と牧場村では振る舞いの手伝いでてんてこ舞いだし、各地にある寺社なんかも町での振る舞いの手伝いをしてくれている。ほんと、織田領だと寺社が末端で手伝ってくれているから物事が上手くいく体制になっているんだよね。
オレも手伝うか。いろいろ雑用とかあるはずだ。
Side:斯波義信
風に乗って町の者らが騒ぐ声が聞こえてくる。
婚礼の相手は幾度か顔を見た者だ。器量も悪うない娘だ。これまでに父上のところには方々から縁組の話があったと聞くが、すべて断っておったと聞き及ぶ。
『まことに信じるに値するのは内匠頭と一馬くらいだ』とは父上の言葉だ。無論、他の者を信じておらぬわけではないと思うが。他家他国との
斯波家は今、かつてないほど隆盛を極めておる。わしの婚礼に都から近衛公がおいでになられて、朝倉と今川という因縁の相手すら来るほどに。
『決して思い上がるな』と父上にはよう言われる。父上が斯波家の隆盛を喜ぶところは公の場以外では見たことがない。
立身出世と家の繁栄。誰もが望むところなれど、いざ己が身にとなると悩みも深きことが多いということであろうな。
「若武衛様、いかがでございますか?」
ひとりで物思いに耽っておると、一馬が姿を見せた。あちらこちらと手伝いに歩いておるとのこと。父上や内匠頭殿と茶でも飲んでおればよいものを。
「少し騒ぎにすぎるのではあるまいか?」
「私、内匠助や織田尾張介の婚礼以上にしないと駄目ですしねぇ。私も己の時は質素にしたかったんですよ」
この男、時折、己の立場を忘れておるのではと思うことがある。久遠家と日ノ本の民の婚礼は世に示す絶好の機会であろう。それを質素になど出来るものではない。
「ああ、料理は期待していいですよ。エルたちが張り切っていましたから」
ささいなことを変えるだけで争いとなる世で、この男は平然と世を変えてしまう。父上は婚礼の作法や慣例も一馬と共に変えてしまわれた。
残すべきことは残して、変えるべきことは変える。元は内匠頭殿が言うたこととか。畿内に習うのではなく久遠に習えばいい。今の尾張の姿そのものであるの。
好きに生きて好きに死ぬ。一馬の願う明日はそのようなものなのではあるまいか。
ふとそんな気がした。
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