第1266話・超えた者

Side:北条氏親(西堂丸)


 幾年が流れた。あの夏のことは今も昨日のように思い出される。


 あの時にはなかった蟹江湊の賑わいに、幾年と思えども、その実、六年ほど前の夏に思いを馳せる。大叔父上と共に訪れた尾張は、私にとって羨むようなものばかりの国であった。


 あれから織田も尾張も留まることなく大きくなっておる。北条は変われなかったというのに。


「若殿、参りましょう」


 共に参った十郎氏尭叔父上に促されて那古野へと向かう。大叔父上は正室の栖徳寺殿が亡くなり、此度はこれなんだ。久方ぶりに尾張に来ようかと楽しみにされておったのだが。


 織田はやがて北条家と並び立つかと思うたが、すでに超えられてしまった。己は武士らしく出来ないと笑っておられた一馬殿は、今や日ノ本でも知らぬ者はおらぬかもしれぬ。


「お久しぶりでございます」


 清洲城に行く前に那古野の病院に立ち寄った。


「西堂丸殿?」


「はい。今は新九郎氏親と名乗っております」


 薬師の方ことケティ殿は私を見て少し驚いた顔をされた。ケティ殿はあの頃とあまり変わらず若々しい。


「お腹はどう?」


「はい。近頃はすっかり良うなりました」


 ずっと文と共に薬を頂き飲んでおるが、ここ数年はかつてのことが嘘のように良うなった。


「うん。もう薬は要らない。よく耐えた」


 近頃は薬の量が減っておったが、此度の診察でとうとう薬が不要とお墨付きを頂けた。


 一刻は北条家の跡取りとしては頼りなしとすら言われたこともある。あの六年ほど前のことがなければいかがなっておったかと今でも思う。


「西堂丸殿! うわぁ。立派になったね!」


 込み上げてくるものを堪えておると、パメラ殿が姿を見せた。こうして顔を合わせられたことがなによりも喜ばしい。


 家柄でも立場でもなく、私を見て喜んでくれる。これが久遠家の奥方たちであったな。


 さあ、清洲に行こう。三郎殿や一馬殿に会いに。


 私は、おふたりに教わったことを胸に北条家の嫡男としてやってきたのだから。




Side:六角義賢


 近衛公と山科卿と共に東海道にて伊勢に入った。


 街道沿いはいずこも荒れておらず、賊もおらぬ。これがかつて商人でさえ使えぬと避けた東海道だとはな。


 此度は尾張を見聞させるために千名を超える者を連れてきておる。他家ならばこのような数でくれば決して良い顔をせぬであろう。他にも花火見物にと別途尾張に来ておる者がおるはず。


 ところが此度は織田の誘いなのだ。


「属国がこれほど穏やかとは」


 途中で通った甲賀の様子も大半の者は驚きであったようだ。領内が落ち着いており、織田領と比べても遜色ないほどだったのだからな。


 今や甲賀は織田領、いや久遠領のようなものであると知らぬ者が家中には多い。宿老ともなると違うが、大半は甲賀に興味もないのだ。近頃は素破が減ったなと思うたところで、それで終わりだからな。


「やはり花火を見に行く者が多いようでございますな」


 東海道の人の多さは花火見物か。


 わしはもう決めておる。斯波と織田と共に新たな世を築くと。今の世のすべてが不満なわけでもない。されど、六角の家を残さねばならぬのだ。


 そろそろこの乱世を終わらせるべきではと思うしの。父上でさえ成し得なかったことだ。今こそ成さねば、日ノ本はこのまま乱世が続くやもしれぬ。


 さあ、ゆくか。




Side:北畠晴具


「捨て置け」


 無量寿院から密使がきた。斯波との婚礼の真意を問いたいようだ。今更なことをと呆れてしまうわ。わしはこの件を隠してなどおらぬというのに。


 織田の娘を養女として輿入れさせるということで、無量寿院ではこの輿入れが織田を偽るためにわしが謀をしたのだと勝手に考えておったのであろう。


 されど、いずこからか六角が見届け人としてくると知ったようだ。さすがにわしが本気だと推察すいさつしたか。


「世情や世の流れを見極められぬ坊主など要らぬ」


 無量寿院はもう捨て置くことで話がついておる。伊勢においても織田と北畠に逆らってまで無量寿院に従う寺はほぼあるまい。


 なにがあろうとも己らだけは盤石だと、勅願寺に驕った寺などわしは知らぬ。


 戦をせずに領国を広げて、さらに所領を召し上げておるのだぞ。そのような相手に勝てるはずがあるまい。


 織田が寺社を疎かにするというのならば、また話も変わるが。丁重に遇しておるではないか。


 この婚礼が終われば、わしは蟹江に移ることになる。正直、面倒事が減って清々するわ。




Side:久遠一馬


 熱田の武尊丸たけるまると牧場の遥香はるかが那古野の屋敷に来ていた。忙しくて会いに行けないので、シンディとアーシャが連れてきてくれたらしい。


 ロボとブランカは匂いを嗅ぎつつ、子守りは任せろと言いたげに近くに座った。はなたねふうみのりも最近は慣れたようで、ジュリアの子であるあきらと武尊丸と遥香の周りで楽しげに遊んでいる。


 こうして見ると子供が育つのは早いなぁ。


 子供たちと牧場の孤児のみんなとゆっくり花火を見たいんだけどな。今年も無理そうだ。義信君の婚礼もあって来賓が多いんだ。


 一緒に花火見たいのに。


「今川はどうするんですの?」


「さあ? どうするんだろうね」


 子供たちを代わる代わる抱いていると、シンディが今川について聞いてきた。今川の件はオレが決められることじゃないんだよね。


 まあ、前回寿桂尼さんが来た時にこちらが提示した、今川をまとめることは現時点では出来ていない。ただあれ自体、無理を承知で言ったことだしね。尾張で死なれても困るから帰すための方便でもある。


 封建体制だが、絶対王政ではない。当主やその母親の意思だけで因縁の解決なんて不可能なんだ。今川で言えば斯波家との戦で武功を挙げた家が家中にあるし、下手すると当人が生きていたりする。


 義統さんに頭を下げて遠江を返すなんて言い出すと今川は空中分解しても驚かない。


 シルバーンからの情報だと、今回こそ命懸けで事態の打開をしたいようだ。寿桂尼さんは義元とも別れの盃を交わしてきた。


 彼女の場合は、斯波と織田と今川の和睦をずっと探っていて、北条との関係改善や和睦のきっかけをと特にここ半年ほどは精力的に動いていたほどだ。


「命を懸けただけだと無理だろうね」


 彼女の決意と努力は凄いと思うけど、命を懸けただけでこちらが大幅に譲歩するのは難しい。前回ならいざ知らず、今回だと遠江を返して駿河一国安堵も無理だろう。


 すでに織田は領地をそのまま認めることはしていない。飛騨の姉小路家だって領地整理をしたんだ。今川だけ一国安堵は出来ない。


 そもそも因縁を解消してもマイナスがゼロになっただけだ。配慮する義理もないんだよね。


 こちらには義輝さんもいる。そろそろ戦うのか臣従するのかはっきりする必要がある。


 まあ、それはあくまでもこちらの事情と意見だけど。


 今川には今川の事情と意見があるだろう。今回はそれをお互いに本音に近い形でぶつけられれば十分かな。


 そもそも他国との外交交渉とは、お互いに意見や要望を伝えることから始まる。今までは停戦の延長をしていただけで、お互いの関係や今後は棚上げにして話すらしていないし。


 戦争は外交の延長だなんて言葉が元の世界にあったが、それはこの時代でも通じることだ。特にこの時代だと身分や家柄や過去の因縁があって、なかなか対等な外交交渉なんてしないからね。


 今まではお互いに濁してきたことを今回は話し合う必要はある。結果はオレにもエルたちにも見えないところではある。


 立場としてはこちらが圧倒的に強いので、向こうがこちらにどこまで合わせるかになるだろうけど。それは寿桂尼さん次第だろう。




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