第1265話・のしかかる因縁

Side:寿桂尼


 駿河を出て遠江三河と来ました。明日には尾張に入ることになります。東の空を眺めて、私はかつて駿河に輿入れした日を、またもや思い出してしまいますね。


 すでに一廉の当主となった我が子と、今生の別れとなる覚悟で駿河を出てきました。最早、甲斐信濃をまとめ一戦交えることも無理なのは分かっていること。


 斯波と織田は今川家より強く賢かった。ただ、それが今の世ではすべてなのでしょう。


 北条との誼を戻し、斯波との因縁を今こそ終わらせねばなりません。たとえ私の首を差し出すことになっても。


「尼御台様」


「参りましょう」


 供をと申し出てくれたのは朝比奈備中守でした。必要とあらば私と共に命を差し出す覚悟を示してくれました。武士として名もある朝比奈備中守が、戦もせずに敵に命を差し出すと言うてくれたこと。末代まで忘れてはならないことでしょう。


 せめて一戦交えたかったのは私でも分かること。


「恐ろしゅうございますな」


「ええ、まことに」


 織田の治める地は前回来た時よりもさらに変わっております。僅かな年月で三河に新しい川を作ってしまった。街道は整い、無頼の輩も賊も少なく民の顔も明るい。朝比奈備中守が恐ろしいというのは当然のことでしょう。


 あの一向衆の治める地を織田は我が物としてしまったのですから。


 織田もいずれ落ちぶれる日は来るのかもしれない。ですが、私が生あるうちに落ちぶれることはないでしょう。


 私も雪斎和尚も歳を取りました。今から織田と争い、十年も二十年も戦うことは出来ないのです。


 今思えば、久遠が尾張に来るまでが今川にとって唯一の機であったのでしょう。


 私は、私の定めをまっとういたします。




Side:朝倉宗滴


 もうすぐ尾張へと入る。昔はこの程度の旅で疲れを感じるなどなかったものを。今は僅かな疲れを感じる。


 斯波家から届いた婚礼の招待。殿に願い出てわしは自ら赴くことにした。これが最後の尾張行きになると思うてな。


 年をい、よわいを重ねるごとに体が動かなくなる。そのことが口惜しい。


 出来ればわしが動ける間に斯波家との因縁をなくしたかったのだが、それはもう叶うまい。


 朝倉一族ばかりではない。越前の者らも斯波家に降るなど望まぬ者が大勢だ。わしが勝てぬからと言うたとて素直に聞く耳を持つ者は多くはあるまい。


 織田が一族や家臣から所領を召し上げておることが羨ましくなるほどよ。朝倉では殿やわしとて思うままにならぬ。


 朝倉一族もいつの間にか愚かな者が増えた。今ある地位や所領が当然だと思う者があまりに多い。かつての斯波家の没落が、明日の朝倉家だと危惧する者が少ないのが嘆かわしい限りだ。


「そなたは楽しそうじゃの」


「役目をまっとうしておるだけでございまする」


 若いとは羨ましくなるわ。真柄の悪童は旅を苦にせず楽しげにしておる。


 此度はこの悪童と養子の孫九郎を連れてきた。わしになにかあれば孫九郎が織田との橋渡しをせねばならぬ。真柄の悪童も同じく誼を持って橋渡しをしてくれればよいのだが。


 この婚礼で因縁をいかに軽く出来るか。それに尽きるの。


 わしはいずこまでやれるのであろうか。




Side:久遠一馬


 なんでこんなに仕事があるんだろうねぇ。噴火と婚礼と花火と重なったからだけど。縁側でのんびりと昼寝するのにちょうどいい天気なのになぁ。


「ほう、寿桂尼と宗滴が来るのか」


 今日は義輝さんが来ている。義輝さん、婚礼の警護に兄弟子の皆さんと一緒に護衛の側として参加するらしい。将軍としてはさすがに出られないからな。


「寿桂尼殿は敵対をしない道を探しているようなんです」


 義輝さんは因縁ある今川と朝倉から、当主に準ずる人が来ることに少し驚いたようだ。それだけ先祖から続く因縁って重いんだよね。


「察するに余りあるが……、出来るのか?」


「難しいですよね」


 遠江と駿河。隣り合う領地にあるだけに過去の因縁が細かく言えば幾つもある。ごめんなさいと謝るだけで相当な覚悟がいる。先祖の因縁を忘れるのかと一族だって怒るだろうしね。


 義輝さんもこの件に首を突っ込むなんてしない。下手に介入すると双方から恨まれることくらい承知のことだ。


「山が火を噴いていかがなるかと思うたが、盤石か」


「遠いですしね。それにこういう時こそ、真価が問われます。逆手にとってしまえばいいのですよ」


 義輝さんもやっぱりこの時代の人なんだなと思う。僅かなりとも不安があったのかもしれない。


 天変地異そのものの責任まで取りたくないというのが、遥か未来に生まれたオレの本音だ。きちんと災害対応をすると被害は抑えられる。


 飛騨と北美濃の収穫は落ちるだろうけど、それなりにやれることもやるべきこともある。むしろ新しい領地である飛騨と北美濃で、人を土地から切り離せるなら長い目で見ると得をすることだってあり得る。


 人口の過度な一点集中は論外だけど、ある程度の集約は行政サービスを考えても必要になる。百人にも満たない山奥の村に、清洲と同じ行政サービスを届けるのは費用対効果が悪すぎる。


 まあ、山とか木材も貴重な資源だ。噴火が落ち着いたら北美濃や飛騨にも人を戻さないといけないね。


「婚礼が済めば、一段落だな」


「ここからが大変なんですけどね」


 義輝さんとしてはやはり六角が気になるんだろう。この婚礼は事実上の三国同盟となるものだからな。


 オレは正直、それはあまり心配していない。対立や喧嘩をしても話せる状況は出来つつある。むしろ懸念は遠江・駿河・甲斐・信濃だろう。


 貧しく荒れているそれらの国をどうするのか。頭が痛い。ほんと北畠と六角が味方でよかったよ。西も東もとなるとさすがに無理がある。


 美濃・三河・伊勢の改革を急ぐ必要があるな。ちょっと手を入れると生産力が上がるところは意外にある。


 無量寿院? あそこは知らないよ。周囲を固めた以上、大規模な一揆を起こす力もない。暴発するのか、領民が逃げるのか、衰退するのか。選ぶのは彼らだ。



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