第1256話・発展の様子

Side:久遠一馬


 五月になった。ジュリアの産休が明けて仕事復帰した。本人はもっと早い復帰をしたかったらしいけどね。まあ、前例を重んじる時代なだけに今後出産をした女性が休めない前例を作るわけにはいかない。


 今は二毛作の麦の収穫の季節だ。それが終わると田植えをして梅雨を迎える。


 祭りの季節が近づいている。まずは熱田祭りだ。今年の花火大会は津島なので、そこまで混雑するわけじゃないけどね。昨年に花火見物に来た人が、今年も熱田神社を参拝にくることは考えられる。熱田は準備で忙しいらしい。


 それと良い報告と悪い報告がある。


 良い報告は無量寿院の末寺。混乱と飢えで大変らしいものの、田植えをある程度終えたと報告があった。あそこは元領民たちが、二毛作の麦を寺領引き渡し前に掘り起こすなどして収穫出来なくしている。従って早い時期から田植えを出来るところはしていたらしい。


 もっとも人手不足と飢えで例年の半分も植えていれば御の字だというが。まあ、一般的にこの時代では田植えが直播きだからな。播くまでの準備が大変なんだけど、そこは無量寿院の末寺に入った反織田の人たちも率先してやっていたらしい。


 もともと半農の武士が大半だから、当然なんだろう。


 悪い報告は飛騨の江馬との領境が少し騒がしい。江馬家は自重している。こちらを敵に回す気などさらさらなく、大人しくしているのだけど、領民はそうもいかない。


 入会地。いわゆる共用の土地だ。薪を拾ったり草を刈って肥料にする土地。そんな入会地や係争地に関して、織田側は臣従した村の言い分で守る義務がある。


 双方の話を聞いて裁きをと出来ないんだ。江馬領は他所の土地だから。また臣従する村の言い分を突っぱねることも難しい。守ってやらないと従わないからだ。無論、本当にそこがその村の管理する土地か調査するようにはしている。


 ただし、冬場に飢えることなく支援があった織田領と、なにもしていない江馬領では天と地ほどの差がある。加えて物価がまったく違う。内陸で貴重な塩などが顕著で値段がまったく違うんだ。


 塩や雑穀など生きるのに必要なものは、こちらで統制していて必要とあらば支援金も出している。無量寿院じゃないけど、塩の値が違い過ぎて一部で騒動が起きたと報告があった。


 係争地に関しても小競り合いに織田は警備兵が出ていくので、江馬領との諍いが頻発しつつある。そのような些細な積み重ねが増えている。


 江馬はどうするんだろうか? 守ってやらないと領民は織田に鞍替えすると言い出すだろう。とはいえ江馬を支援する勢力もないと思うんだけど。


「避難訓練か。いいかもね」


「新しい人も増えているし、清洲城は広くて己が行かない場所は知らないからね」


 ジャクリーヌから災害対策の必要性を指摘された。この時代の人も知らないわけじゃないけどね。集団生活というものにはあまり慣れていない。代々変わらぬ人たちが仕える城ならいいけど、今の清洲城は人が増えているからなぁ。


「でも、加減が難しくないか?」


「そこは考えたよ。役目によってやらせることをあらかじめ決めておくんだ。あとは避難経路と避難場所を決めて迅速に避難させる」


 人命最優先でと言えば楽なんだけど、役目とか身分があるからなぁ。ジャクリーヌからは災害マニュアルの原本を受け取る。必要最低限のマニュアルだ。あとはこれをたたき台に織田家の皆さんと話し合い、具体的なものを決めていくことになる。


「ああ、工業村の指南書は別に用意したよ。あそこは特殊だからね」


 他にも人口密集場所と海や河川沿岸のマニュアルと、工業村での災害マニュアルがある。工業村は特に必要かも。あそこの職人たちも命懸けで高炉を守ろうとするし。


「雷鳥隊から指導員は出せるの?」


「出せるよ。人員が多くないから数は少数だけどね」


 尾張南部だと、すでに他国からの移住組が多くて人口が数年で急増しているからな。旧来の惣村や町のように隣近所みんな顔見知りではない地域もある。こういう災害対策は本腰を入れる頃なのかもしれない。


「分かった。八郎殿、これ目を通して意見をまとめておいて」


「はっ、畏まりましてございます」


 評定には先に報告しておくけど、具体策は先に資清さんたちに検討を頼む。身分やこの時代の常識に価値観などを考慮して実現性を高めてもらうんだ。この作業が重要なんだよね。




Side:石田正継


 幾人かの者らと三河にて役目をこなしておるが、見渡す限りに広がる畑に見入ってしまった。


「ここがすべて木綿の畑とは……」


 近江では田畑はそれぞれに持ち主がおり、その境があちこちにある。従ってこのような一面に広がる田畑など見たこともない。


 尾張では田畑をまっすぐ四角く整えておるところを時折見かけるが、この地はそれ以上になんの境もなく、ただ畑が広がっておるのだ。


 矢作川の新川もまた驚くべきものであった。曲がっておるのが当然の川において、出来うる限り曲がらぬように造られた川は、まことに人が造ったのかと疑いたくなるところだ。


「一昔前は尾張者だ三河者だと争うておった地なのだがな。今ではそういう者も随分と減った」


 案内役の者は驚くわしに気分が良いのか、これまでのことを話してくれた。


 属国の扱いなどいずこも同じだ。本領と比べると厳しくなるもの。されど織田は違うのだという。飢えぬようにと食いものを与え働ける仕事も与える。


 最初は異を唱える者も多かったという。織田の力に恐れつつ機を窺っておったとか。それがいつの間にやら、そのようなことを考えることもなくなったと土着の者が語るのは恐ろしくもある。


「わしも少ない所領を手放した。一族の者には随分と文句も言われたがな。されど時勢には勝てぬ。松平の謀叛人が一槍交えることも出来ずに敗走したのを見て以降は、誰も織田に逆らおうとはせぬ」


 武士の意地。先祖代々の土地。それはなによりも重いはず。それが……。


「逆らうより働いたほうが豊かになるからな。腹も膨れて酒が飲めるとたいていの者は納得する」


 わしの顔を見て察したのだろう。案内役の男は近頃の様子を教えてくれた。


「今度、娘が嫁ぐのだがな。婚礼道具は良い品を揃えられそうなのだ」


 領地を失っても面目を失うわけではない。そう語る男に、織田の恐ろしさを痛感する。


 家中ではいよいよ遠江攻めかと噂があるが、さもありなん。三河が裏切る心配がないのだ。機が熟したといえばそうなのであろう。


 これほど変わるとは。領国の違いを容易く乗り越えるとは。


 信じられぬな。





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