第1251話・とある兄弟のその後
Side:久遠一馬
四月も半ばになる。アーシャの出産が迫っている。毎度のことながら心配だ。ケティたちのおかげもあって元の世界と比較しても安全な出産だけどね。
東三河と飛騨の検地と人口調査が本格的に始まっている。ただ、飛騨はもうすぐ加賀の白山が噴火するはずだ。苦労が絶えないな。
「当然の動きなんだよね」
稲葉山城の道三さんから文が届いた。飛騨の江馬領が揺れているらしい。
江馬はそれなりの家なんだよね。ただし史実に鑑みると飛騨国の石高は多く見積もって三万八千石。江馬の戦の記録として残る『八日町の戦い』があるけど、そこで江馬の兵力は三百騎。ちなみに相手は姉小路を乗っ取った後の三木で千名だったらしい。
はっきり言って警戒する必要もないように思えるものの、それはオレがそういう情報を持っているからであって、飛騨では有数の勢力なので道三さんたちは警戒しているみたいだ。
江馬は以前から姉小路さんや三木さんと争っているので、飛騨の情勢が突然変わったことで戸惑っているんだと思う。姉小路さんと三木さんの臣従以降、慌てて織田のことを探り、対抗出来そうな周辺の勢力を探している。
織田に敵対する気もないけど、姉小路と三木を追うように臣従も今のところあまり積極的ではないみたいだ。
史実みたいに武田もいないしなぁ。越後の長尾も織田と争いそうな江馬に肩入れするとはあまり思えない。どうしようもないと思うんだ。
ああ、揺れているのは江馬家ではなく江馬領になる。春になり農繁期となったことで多少なりとも人が動く季節だ。織田領となった地域との暮らしの格差が江馬領で知られつつあるらしい。
冬場の支援があったことが知れたことで、騒いでいるところや動揺しているところがあるようだ。
因縁がある地域だからな。負けたり不利になると困るんだろう。もともとさほど変化のある地域でもないので、すぐに暴発とか一揆まではいっていないらしいけど。小競り合い程度はあるようでこちらも応戦している。
「あまり気にしなくていいかと」
あそこも長く持たないだろうな。エルもそう考えているようだ。
日を改めて、この日の評定では津島神社と熱田神社、それと願証寺の末寺の所領整理が正式に決まり、寺社奉行から報告があった。
神田などの儀式で使う分の田んぼと、一部は自前で農業をやるための田畑を残したが、徴税権に関しては神田で免除した以外は返上することになる。
この件はすでに噂として領内に広まっており、他の宗派もどうするか検討しているとの報告を受けている。
ただ、この件はデリケートな問題だ。こちらはあまり急かすことなどしないで淡々と領内を整えていくほうがいいだろう。
しかし評定も人が増えたな。古参も新参者も政治に参加する必要があるので、身分や立場を考慮しつつ評定にはその時々で広く家臣を呼んでいるんだけど。
「矢作川の新川。作業はほぼ終えておりまする。水路や堤の仕上げをしておりまして、来月中には終わると考えております」
土務総奉行の氏家さんから矢作川の報告があると寺社の報告と違い、評定衆から喜びの声が上がった。
この時代だと国家事業クラスの大工事だったけど、伊勢から大量に人を移して賦役をさせたことが決め手となって早く完成したようだ。
これ、途中からオレもあまり関与してないんだよね。基本の計画は史実と地形を考えてウチで用意したものの、あとは尾張の賦役で慣れた人に現場を任せた結果だ。
これで西三河は矢作川の氾濫を今までより減らせてよくなるはずだ。現状では綿花の栽培が盛んだけど、今後は米や大豆に雑穀など幅広く植える予定だ。
河川の改修は願証寺がだいぶ折れたし、次は木曽三川で考えるべきだろうか。エルたちと相談して計画をたてておこう。
Side:吉良義安
ふと松平殿の顔が見えた、喜んでおるようであるが、僅かにいかんとも言えぬ顔をしておった気がする。最早、三河を三河者が治めることはあるまい。
織田では一族ですら所領を手放した。今更領地を欲するなどありえぬことだ。
矢作川か。あの川が大水になったせいで吉良家は多くを失った。いや、愚かな吉良家が自滅しただけと言うべきか。
「息災であったか」
「はい、兄上」
評定も終わると日が傾いておった。屋敷に戻る前に、沢彦和尚の下で出家しておる弟に会いにきた。
あの日、乱心者として大殿に斬り捨てられるかとさえ思うた弟も、今では落ち着き、仏の道で精進しておるようだ。
苦楽を共にした西条吉良の一族も家臣も腹を切り、残りは日ノ本の外に島流しとなった。久遠殿の話では決して楽ではないものの、飢えずに生きているとのこと。それだけが慰めのようなものだ。
「矢作川の新川が出来るそうだ。もうわしやそなたのように、あそこの大水で恥を晒す者は二度と出ぬのであろうな」
我らは祟りが起きたのだと、罰が下ったのだと嘆き恐れておった。ところが織田は、矢作川の大水がいかんのならばと新しい川をつくってしまった。
あの時、わしの城にやってきて、怯える我らを呆れたような顔で見ておった久遠殿の奥方の顔が忘れられぬ。
『己の不手際を不吉なことのせいにするな!』 そう怒鳴られたあの時をわしは終生忘れぬであろう。
己のやるべきことをせずに祟りや仏罰だと恐れるとは、武士として恥じねばならぬ。
「精進するのじゃぞ」
「畏まりました」
あまり多くを語らぬ弟と別れて清洲の屋敷へと戻る。仮に織田が三河に来ずとも吉良家は似たようなことになったであろうな。
今川と松平に翻弄されてかつての栄華にしがみつくだけであったはずだ。
「もう、日が暮れるの」
東の空はすでに夜の闇に包まれておる。三河の領国であったところでは、武士も民も飯を食い、寝る支度をしておる頃か。
清洲ではこれから帰る者や飯屋で酒でも飲もうかと言うておる者もおって賑やかだ。
屋台と言うたか。道端で酒を飲ませるところも増えたな。家臣らはたまに行くのだと聞いた。そこまでいい酒ではないようだが、それなりの味で飲めるのだそうだ。
働けば飢えずにたまには酒でも飲める。そのような国を相手に争うたところで勝てるはずがない。
我ながら愚かなことをしたものだ。
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