第1250話・晩春の日のこと

Side:ジャクリーヌ


 上洛は面白かったね。尾張に戻ったアタシは雷鳥隊の指導を再開する。


 元の世界風にいえばレスキュー隊。とはいえまだまだ未熟で話にならない。そもそも民を救うという概念に乏しい。民などそのうち勝手に増える。そう考えている者は織田家にだっている。


 もっとも伊勢の無量寿院の状況などもあって、そういう価値観はだいぶ減ったけどね。


 織田領のほうがいいからと領民が増えるどころか逃げていくんだから。


 レスキュー隊との違いは雷鳥隊には武芸の稽古もあることか。当然の嗜みといえばそうだが、自衛のための訓練は必要だからね。あとは医師としての勉強も最低限だけどさせている。戦場で衛生兵として運用することも現時点では想定しているためだ。


 医師としての勉強は、主に外傷の処置や蘇生のための応急処置などになる。


「ねえ、そろそろ避難訓練とか対処法の普及が必要じゃない?」


 今日は美濃の牧場から戻ったマドカが雷鳥隊の訓練を見ていたが、唐突に疑問を口にした。


「そうなんだけどねぇ」


 それは前々から考えられていたことだ。ただし、この時代でも災害の対応は、長年の経験からその地域によって違いはあるものの実行している。海沿いで地揺れのあとには津波を恐れて逃げることだって知っているからね。


「そもそも命が軽いんだよ。天変地異が起きても田んぼや農具や漁具を守るために動くからね」


 問題は命を第一に動くよりも、生きるために動くことだ。海沿いだと船や漁具を津波から守ろうとするし、野分などがあっても田畑を守るために危険を承知で川に行ってしまう。


 自分の命よりも家族や一族、村の仲間の命のために動くことが当然なのよね。


「まずは清洲城での訓練なら出来るでしょ」


「そこからか。そうだね。指南書を作っておくよ」


 アーシャとケティが学校と病院では避難訓練をしていたはず。工業村でも万が一の時には命を粗末にするなと命令を出している。


 まずは城詰めの奉公人から教育していくか。若武衛様と勘十郎様は教育を受けたし、ふたりに協力してもらうべきかね。身分のある者が率先して動くとみんな従うんだよ。


「そういえば美濃の牧場はどうなんだい?」


「悪くないよ。孤児院出身の子たちが頑張ってくれているから。向こうだと扱いが別格で最初は驚いていたけどね」


 大殿が美濃側の者たちに自分の直臣と思えと書状を出していたからね。身分としては久遠家家臣だからそこまでおかしな扱いはどのみち受けなかったとは思うけど。


 馬は早いところ中型馬を普及させたいところなんだよね。雷鳥隊でも欲しい。身分的にそこまで高い者がいないせいで、馬の扱いに慣れていない隊員が多いんだ。


 頑張ってほしいもんだね。




Side:久遠一馬


 尾張と伊勢では義信君の婚礼の話題が広まりつつある。そもそもこの時代では立て札で命令を一方的に伝えることはあっても、積極的に広報活動なんてしない。


 もちろん織田家は例外で、かわら版や紙芝居でこの手の情報は領内に伝えることをしてきた。ただしこの件だけは未だに正式な発表をしていない。これに関しては無量寿院の一件が原因になる。


 そろそろ噂くらいは伝わるだろうけど、味方だと思っている北畠が養女とはいえ斯波家と血縁が出来て、六角が見届け人として加わると知ると暴発しかねない。


 日程は今年の花火大会に合わせる形で調整している。すでに北畠では準備も進んでいて問題もないと聞いているので大丈夫だろう。


「そうか。主上がそのようなことを……」


 伊勢神宮を参拝した菊丸さんが尾張に戻ってきた。上洛の話などをしつつ情報交換しているんだけど、やはり帝に拝謁したことに驚かれた。


「足利家の不徳の致すところだな。本来、足利家が帝を守り盛り立てねばならん立場なのだが」


 拝謁の内容を話すと、なんとも言えない顔をされた。将軍として現状に責任を感じるのだろう。義輝さんだけの責任とは言い切れないけど。それが通用しないのが天下人だ。


「ですが、現状では難しいことですよ。あっちを立てればこっちが立たずですから」


 気持ちは分かる。ただ、安易に動くと世が荒れるのが将軍という存在だ。そういう意味では公家衆の評価も病の割に悪くはなかった。どうしても病弱な将軍ということで強い者を好むこの時代では評価が下がりがちなんだけど。


 病の身で必死に天下を治めようとしている。そう見ている人が多かった。まあ、表向きはというところだろうけど。


「仕方あるまい。いずれオレが責めを負う。それより尾張は坊主も変わったな。近江や伊勢を旅して改めて思うたぞ。坊主を変えるなど神仏かそなたくらいであろう」


「私の功ではありませんよ。お坊様たちは誰よりも世の流れを感じているのだと思います。私もお叱りを受けることがあるくらいです。特に無量寿院の一件では身勝手を許すなと怒っている者が多いので」


 話はそのまま菊丸さんたちの旅に変わった。北伊勢では襲われたと聞いたけど、それ以外にも北伊勢では目を背けたくなるような寺があったらしい。


 それと比べて尾張の寺社は変わった。もともと知識人であり理解が早いこともあるけど、より良い世の中のためにと過激な思考をする人もいて抑えが必要なくらいだからね。


 菊丸さんばかりじゃない。たまにオレの功績だと言われることもあるけど、むしろオレは助けられている側だからなぁ。


 寺社奉行を設置したことで彼らの意見も上がってくる。医療活動や教育に関しても意見書がいくつか上がってきたほどだ。


 政教分離したいんだけどな。だけど彼らも真剣に領内のことを考えてくれている。知識人である寺社に対してお前らは政治に参加させないとは言えないよな。


「あー! きく!」


「きくだ!」


 難しいなと考えていて会話が途切れた時。廊下から部屋を覗いた大武丸と希美が菊丸さんを見つけて嬉しそうに入ってきた。


 人払いをしていたので、あとはエルしかいなかったんだよね。ちょうどふたりの世話をしている侍女さんがそれに気付いて顔を青くして頭を下げた。


「ははは、少し見ぬ間に良い顔をするようになったな」


 まあ、ちょうど話は終わるところだったので構わない。子供たちは元気なくらいでいい。資清さんにあとで叱られるかもしれないけど、それも勉強だ。めげないで頑張ってほしい。


 今夜は塚原さんたちを誘って宴でもするか。





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