第1249話・無量寿院の春

Side:久遠一馬


「公家というのは厄介な者らよの」


 上洛の報告をした評定が終わると、義統さんに呼ばれて一緒にお茶をのむことになった。


 先ほどの評定ではそこまで踏み込まなかったものの、義統さんは公家に思うところがあるらしい。


 今のところ総じて上手くいっている。ただ、義統さんは苦しい時代を経験しただけに、手のひら返しをするように周りが変わることも知っているのだろう。


 現在の評定には公家でもある姉小路さんもいる。発言には気を付けねばならない。面と向かって厄介とは言えないだろうね。


「変えるべきところは変えて、残すべきところは残す。朝廷と公家衆も多少は変わっていただかなければならないでしょうね」


 このまま近江より東で独自に生きるならば、放置して献上品を贈っていればいいだろう。長い目で見るとそれで済まないことは確かだけど。


 織田を公儀として中央政権にする。それはほぼ確定だろう。帝と朝廷は実権を手放して権威の象徴として残るべきだ。王の上に立つ者。まあ、天下人が王を名乗るかは別として、政権担当者と帝を分けるのは必要なんだよね。


 公家衆は文官として武士との区別をゆくゆくはなくしていくべきだろうね。


 新しい世でも彼らの生きる道はある。ただ、それが気に入らないと言われる可能性はあるんだよね。難しいところだ。


「やっぱり清洲の町はいいね」


 一通り仕事を終えると那古野の屋敷に戻るために城を出た。町が荒んでいないというのは心理面でも大きな影響がありそうだと思う。


「都は未だに荒れておりましたか」


「以前よりはいいよ。でもあそこは面倒な地だから」


 城から続く大通りには多くの人が見えて、鉄で補強した尾張型大八車や馬借の馬なども見える。資清さんと馬車に乗ってそんな景色を眺めながら那古野に戻ることになる。


 イメージする都と話で聞く都。実際に見ないとなかなか理解しきれないところもあるのかもしれない。織田家でもそんな感じだ。


「都を整えるなら公方様がするべきなんだろうけど。足利家にはそこまでの銭もない。税は朝廷や寺社や公家がもっていたりするし。それとあそこは守るのが大変なんだよね」


 都をどうするのか。今日の評定でも少し議論になった。現状の献上を続けることに異論はない。織田領にも朝廷の御料所とか公家の荘園だったところがある。その権利関係を今のところ棚上げに出来ているのは、年に四度の献上品があるからだ。


 史実だと豊臣秀吉が検地をして権利関係を整理したが、今の織田ではまだそこまで出来ない。


 都を知る者からすると、都をもう少しなんとかしたほうがいいのではという意見もある。とはいえ複雑な歴史と権力が入り乱れる都の整備を、現状では手を出すべきではないだろう。


 三好は都を押さえてはいるけど、治めているわけではない。占領軍みたいなものか。実権なんてたかが知れていて出来ないことのほうが多い。


「何事もままならぬものでございまするな」


「内裏の修繕と図書寮で多少は落ち着けると思う。あとは様子を見るしかないかな」


 帝を思うともう少しなんとかして差し上げたいと思うところもあるけど、簡単じゃない。オレたちが更なる混乱と争いを招いては本末転倒になる。


 無量寿院の件も油断出来ないし、東もいつ情勢が変わってもおかしくはない。織田もそこまで余裕がないんだ。


 今はひとつひとつ頑張るしかない。




Side:とある村の男


「飯はあるか?」


「へい! 汁と菜物に魚があります!」


「おお、それでよい。すぐに持って参れ」


 旅のお坊様に飯を出して空を見上げるとお天道様が見えた。


 生まれ育った村は田仕事をして生きている、いずこにでもある村だった。そんな村が変わったのはおらたちも賦役で働いた蟹江の湊が出来た頃だったか。


「尾張は飯が美味いな」


「ありがとうございます!」


 今ではこのお坊様のように、清洲に向かう者たちがこの村で休んでいくことが増えた。馬に水と餌を与える者も多く、水は銭を取ってないが、餌はよく売れる。


 村にある寺では街道を行き来する者が休めるようにと受け入れていて、決して大きな寺じゃないが、寄進も集まっているようでそろそろ傷んでいた本堂を建て替えようかという話もあるほどだ。


 関所を作ることを禁じられた頃には怒っていた奴もいたが、今ではそんなことを言う暇もないほど忙しい。


 村では飯屋を開いて、みんなで働いている。子が多い奴のところだと、蟹江の商家や職人に奉公に出すやつも増えたんだ。


 この村はもともと飢えるほどでもなかったが、それでも食えぬ者をみんなで世話していたんだ。それが今では忙しくて人手が足りないほど。


 もうこの辺りだと入会地で隣村と争うなんてしてねえ。魚肥なんてものが買えるし、薪や炭だって買えるんだ。


 噂に聞くところによると伊勢はまだ苦労が多いらしいけどな。尾張はもう違う。


 おらたちは二度とあんな暮らしに戻りたくねえ。




Side:無量寿院の僧


「何故、田仕事をさせぬ! 早うやらねば間に合わなくなるぞ!!」


 上人が去り、無量寿院は変わってしまった。我こそが次の上人だと勝手に振る舞う者が高僧に増えたのだ。


 それはまあよい。わしのような者には関わりのないことだ。


「されど、幾度、民を行かせても、貧しき暮らしに逃げてしまいまする。また末寺に入った者らは本分を理解しておらぬ者ばかりで……」


「ええい、言い訳など聞きとうない!」


 民も武士も皆、無量寿院を敬い従うことが当然だと考える高僧は、理由を言うても聞いてくれぬ。


 初めは良かった。田んぼをくれてやるというと行きたいと望む民も多かったからな。ところが行った先には家もなにもかも持ち去られた村の跡と、荒らされて手入れもされておらぬ田畑しかないのだ。


 一から家を建てて田んぼを耕すのは大変なのだ。わずかな雑穀は与えたが、種籾などは貸し付けると言うており、秋に収穫したとて民に残される米は僅かしかない。


 そんなところで信心や教えのために貧しく苦しい暮らしをせよと言うても、従う者など限られておる。ただでさえ仏と称される織田に見限られた寺だと噂になり、商人ですら見向きもしなくなりつつあるというのに。


 それに高僧らが末寺に入れた者も良うない。あれは織田を恨む賊と変わらぬではないか。畏れ多くも本堂にて、近隣から奪った飯や酒を食らい、女を攫ってきては抱く。僧としてのお勤めを果たせとは言わぬが、せめてもう少しやりようがあろう。


 僅かな者は末寺の寺領に住み着いたが、田んぼを耕すよりも無法者らと共に近隣から奪うことばかりしており、田畑は捨て置かれておる。


 高僧らはそんな事情を聞きもせずに叱咤するばかり。


 いかにせよと言うのだ。




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