第1241話・その地は……

Side:ジャクリーヌ


「さて、どうなるかね」


 面白いことになった。セレスには笑い話ではないと言われたが、アタシは面白いとしか思えない。


 司令はこの時代の人にとって特効薬とも劇薬ともなる男だ。本人にその自覚はあまりないようだけどね。


 戦場で育った子供は戦場で生きる術しか知らない大人になるという。この時代はまさにそんな時代だ。当たり前の平和な時代しか知らない司令と、この時代の人では越えられない大きな壁がある。


「なるようになるわ。目の前の今と真摯に向き合い生きる。私たちとてそれは変わらないのよ。こういうことは私たちより殿のほうが向いていると思うわ」


「ですが、少しばかり危ういところもあります」


「そうね。でも大丈夫よ。きっと」


 セレスは常に最悪の想定をするからか、不安げだけど。メルティは確信めいた信頼があるらしい。もともと人の心理を読むことが得意だった。この世界に来て以降は、人として生きることを楽しんでもいるようだね。


 都も都で問題が山積みだ。各地から一旗揚げようと集まる人は多いけど、実際には集まる人を活かす場などない。結果として治安と衛生面が悪くなる。さらに利権が複雑過ぎて、おいそれと手を出せないのも改善が出来ない理由か。


「しかし、なんで都まで来て羊羹を作らなきゃならないんだろうねぇ」


「前回エルが作ったのを献上したから、今回も楽しみにしているのよ。それに保険は何事にも必要でしょ?」


 アタシとメルティとセレスは、武衛陣の者たちと朝から羊羹を作っている。都まできてこんな作業をと少し愚痴りたくなるが、保険か。相変わらず抜け目がないね。


 会談の結果は私たちにも分からない。あまり上手くいかなくても献上品と羊羹で誤魔化すってわけか。まあ、敵に回らなきゃいいだけだからね。今は。




Side:近衛稙家


 あの男、まことに天が遣わした神仏の使者なのか?


 あれほど晴れやかな御顔をされた主上は、長年お仕えしておる吾でも初めて見たかもしれぬ。『朕の祈りは通じておった』。一馬と会われた主上はそうこぼされた。


 名のある高僧と会われた時でさえも、あのような御顔をされたことは一度たりともなかったことだ。


 変えてしまうかもしれぬ。あの男ならば。この乱世を。


 大樹が、主上が、あの男を信じるとするならば、この荒れた世を変えるべく天命を持った男なのだ。


「勝手なことを言ってしまい、申し訳ございません」


 さて、一馬の顔でも見るかと武衛陣を訪ねると、いの一番で頭を下げた。危ういことを言うたという自覚もあるか。


「よい、主上は良きひと時であったと仰せであった」


 出来ぬな。この男に神仏の使者なのかと問うことは。神仏の使者であっても、この男は人だ。まだ若い一馬に日ノ本を背負わせてしまうのは、あまりに忍びない。


 吾の言葉に若武衛以下、皆が安堵しておる。正直、吾も同じだ。


 朝廷が今の尾張と争うようなことがあってはならぬこと。それこそ新皇と名乗った平将門以上の脅威となってしまう。


 尾張は畿内や都がなくても困らぬように治めておる。一刻の乱ではないのだ。畿内を厄介な地として見限るようなことになれば……。


 それに、この男ならば……もしや……。


「なにか望みはあるか?」


「……畏れながら、少し都を見てみたいですね。前回はまったく動けませんでしたので」


「それは良いの。せっかくじゃ。吾が案内致そう」


 思わず笑い出してしまいそうになった。これほどの事を成して、なにを望むのかと、ふと気になった。それが、町を見たいとは。欲がないと言うべきか。己の力を軽んじておると言うべきか。遥か尾張から出て参ったのだ。当然のことと言えばそうであろうが。


 面白き男だ。




Side:久遠一馬


 良かった。致命的な事態だけは避けられたらしい。


 価値観の違いは埋めようがないほどある。オレとしてはたいしたことのない一言が致命的な怒りになることだってあり得た。


 どっと疲れたね。


「ここが大内裏だいだいりですか」


「ほう、その言葉を知るとはの。今は内野と言うておる」


 近衛さんに頼んで、みんなで都見物が出来ることになった。公家との宴とか予定もあるので、午後から少し近所を歩いてみることになった。


 一面に広がる荒れ地……。というか、なにもなく草が生え放題の場所。周りの荒れ地と不釣り合いに伝統がある建物も少しある。


 大内裏。近衛さんいわく今は内野と呼んでいるらしい。


 かつて平安時代には帝が政務をする大極殿など行政施設があった場所になる。今はほとんどが野原となっていて、神祇官の官庁ぐらいしか残っていない。あと確か北側を北野社が勝手に占拠して私有しているはず。


 ちなみに余談だが、史実ではこの大内裏の跡地に秀吉が聚楽第を建てている。秀吉、凄い偉人だし功績もある。だけどここに自分の屋敷を建てるとか、どうかしていると思う。


 朝廷や公家にとって、いや、日ノ本にとってここは聖地のようなものだ。だからこそ内野と言いつつも手を付けずに今も守っているんだ。そこに成り上がり者が聚楽第を建ててしまうなんて。


 よくやったなと思う。オレなら出来ない。


 話を戻すが、本来朝廷の施設である図書寮の候補地にはここもあったはず。そもそも先ほど帝と会った内裏も、本来は帝の私的な住まいなんだよね。


 そこすら荒れているのが今の朝廷だから。


「内匠助。都はいかがすればようなるのであろうかの?」


 近衛さんは寂しげな顔で内野の地を見ていた。そんな近衛さんを気遣ってか、誰も口を開かない。


 そんな中、近衛さんの問いかけにまた頭を悩ませる。


「一言で申せません。なにかをすればいいと言えるほど容易いことではないかと。言いにくくございますが、公家や寺社の皆様も相応の責を負う覚悟をしなくては、変わることは難しいのではと思えます」


 おそらく近衛さんはオレの返答を分かっているはずだ。なにかを変えるということは綺麗事じゃない。


「そうじゃの。ここに大内裏があった世が戻ることは二度とあるまい。されどな、吾ら廷臣、主上と朝廷を守らねばならぬ」


 政治にベストなんて滅多にない。歴史という参考資料があるオレたちでもそれは一緒だ。


 みんな悩んでいるんだなと思う。帝も近衛さんも。


 先例主義なのはその通りだろうけど、変えることを必ずしも駄目だとは思っていないようだ。『守らねばならぬ』という一言がすべての根源なんだろう。


 この内野。どうなるんだろうか。この世界で聚楽第のような屋敷を武士が建てることはないだろう。


 ここは朝廷の地として、新しい時代に合わせて再建開発するべきなのかもしれない。


 広くなにもない内野を見てそう思う。



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