第1240話・帝の思い。一馬の思い
Side:織田信秀
「保内の商人もその程度か」
一馬の代わりに商務総奉行の名代として働いておる八郎より面白き報告があった。保内商人が東海道の通行を他の者より先んじて遇しろと言うてきたとか。嘆願は構わぬ。されど、少し脅してやると逃げ帰ったというのだから呆れるわ。
あそこは六角と蒲生が利を認めておるはず。多少の配慮はいるのだが。
「それならば、あまり難しいことはありません。皆にそのことを広く知らせて、一番銭を出した商人たちから順に遇してはいかがでしょう。無論、織田家の荷が一番であることの上でございますが」
この件は評定の最後に念のためにと報告があったのだが、あまり六角の利を奪うと大変であろうと皆で思案することになったが、妙案を口にしたのはエルであった。
「本来関税は、街道を整えるために使うべきものでございましょう。ただ、今後東海道と東山道を使う商人は増えることはあっても減ることはありません。今のうちにいずれの者から難所を通るか決めておくべきかと」
「なるほど。保内だけを遇して利を与えるのではなく、領内と近隣の商人を競わせるのか」
皆が驚きエルを見ておる。与次郎などそれがあったかと驚きの声を上げたほどだ。
「六角への配慮は伊勢に属する八風街道を整えることでよいのではないでしょうか。千種街道は保内商人でなくば使えぬ道とのこと。私たちがやる
織田は領内の商人に税以上の矢銭を求めることはしておらぬ。されど、武芸大会に銭を出して大会に寄与したことを喧伝させることなど、商人が自ら進んで銭を出すようにしておる。
これも考え方としては同じか。並みの武家がそれをやれば大きく
相も変わらずだわ。その智謀で天下を制することも夢ではないのやもしれぬ。
そもそもエルの策は難解で荒唐無稽なものではない。当たり前のことを当たり前にするべく考えたもの。されど、真似出来るものは多くはあるまい。
それがいかに難しいかは、政に携わる者ならば分かることだ。学校に通い学ぶと、まことにエルのような者が増えるのであろうか?
Side:久遠一馬
昨日の歓迎の宴は鰻と都の料理だった。さすがに伝統ある都なだけに美味しかった。ちょっと薄味だけどね。尾張だと出汁文化が普及しつつあるから、みんなも味を楽しめていたと思う。
しかし、それでも寝付きが悪かった。天皇陛下だよ。緊張しないはずがない。
荷を運ぶのはほとんど織田家とウチのみんなになった。通常は馬借や下男のような運ぶ人がいるんだけどね。念のため周りを信頼出来る人で固めることになった。
武衛陣から内裏は近いので問題はないだろう。
「かず、行くか」
「はい」
信長さんも他のみんなもさすがに緊張気味だ。異例中の異例のことであり、雲の上の存在だ。身分社会であるこの時代では、身分の違いは同じ人間と思えないほどの違いがある。
どうなるんだろうかと、みんなが緊張しているのも当然なんだよね。日頃は笑い話をする人も、若く血気盛んな人もみんな真剣だ。
案内役として武衛陣の家臣や近衛家の関係者が数人いる。
しかし、どこの屋敷も塀が崩れかけていたりと上京も少し荒れているようだ。
ああ、見えた。塀を直している職人がいるあそこが内裏らしい。
特に騒ぐこともない。献上品を内裏の敷地内に運び入れて、
こういう作業ってやったことなかったなと、今更ながらに思う。ウチの屋敷でもそうだけど、末端で働いてくれている人がいればこそと感謝しなきゃいけないな。
空気が変わったのが分かる。近衛さんの家令さんが姿を見せたからだろう。それが帝がお出ましになることを知らせることなんだ。みんながその場で平伏する。
見えない中で歩く音が聞こえる。それが恐ろしくもあり想像力を掻き立てる。
「尾張介、内匠助。格別のお許しを賜った。
近衛さんの声だ。
ふたりいる。近衛さんと壮年の男性がいる。
よく考えたら御簾もないところで会うほうが、素顔が見られるというのはどうなんだろうと思えるのは、余裕があるからか、それとも余裕がなさすぎて現実逃避でもしているんだろうか?
結構な歳だ。確か五十を超えていたはず。時代的には隠居をする歳だが、帝が隠居、譲位をするためには内裏のほかに別に住む御所が最低限いるものの、現状ではそれすらない。
顔色は思ったほど悪くない。日に当たらないと聞いていたので色白かと思ったけど、ケティが以前アドバイスした日光に当たることを実行しているんだろうか?
「日頃の忠勤、まことに嬉しく思う」
静かな、まるで音がないように感じるほど静けさがこの場を支配する中、帝から声が掛けられると、高まった緊張感がさらに緊張した気がする。
「内匠助。何故、世は荒れるのであろうか。構わぬ、直答を許す」
それは、あまりに難しい質問だった。一概に言えることじゃない。ただ、長々と話すことが出来ないんだ。なにを問うか、散々考えただろうことは想像に難しくない。
オレはそんな真剣な帝の顔を見て、ふと、六角定頼さんを思い出した。
帝が史実で崩御なされたのは、おおよそ三年後。多少前後しても現状では大きく変わることはないだろう。オレが拝謁出来るのは、これが最初で最後になるはずだ。
あの時、定頼さんにもう少し手を差し伸べていたら……。何度も思ったことだ。
「その問いは幾つもの答えがあると思います。ただ……、国とはその国に住まうすべての者が、各々の立場で精いっぱい励まねば治まらぬと考えます。私たちは、それをすでに領国で試しております」
当たり障りのない返事をすることも出来た。それが正解なのだろうと思う。オレの一言で多くの人に迷惑をかけるかもしれない。
それでも、より良き明日を願う帝に本音で答えたかった。
「……左様なこと成せるものか?」
「はい。必ずや成せると私は確信しております」
控えている近衛さんが少し驚いた顔を見せた。申し訳ない。あとで謝る。だから今は好きに言わせてほしい。
「朕はこれまで写経と祈りを欠かしたことはない。されど世は荒れる一方じゃ。何故、朕の祈りが通じぬのかと。朕では不足なのかと、ずっと思案しておった」
「畏れながら。先ほどのこととも通じますが、祈りとは、人々が各々でやれることを尽くさねば通じぬのかと私は思います。今の世には帝の祈りを妨げている不明不徳な者があまりに多いのでございます」
この時、曇っていた空から太陽の日差しが差し込み、帝とオレたちを照らした。帝の顔が嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか?
「そなたに会えて誠に良かった。天がそなたを遣わしてくれたこと
難しい問いだった。価値観が違う。オレは祈りで世の中がよくなるとは思っていない。ただ、嘘は言っていない。長い乱世の影響で武士も僧侶もあまりに堕落して勝手をしている。オレたちが言えたことじゃないけどね。
そこまで口にした帝は、ゆっくりと
◆◆
天文二十三年、三月二十二日。内裏にて久遠一馬が
斯波義信の供として上洛した一馬であったが、この拝謁はまったくの予想外のことであったと『久遠家記』にはある。
当時の一馬は正六位下の内匠助であり、昇殿して拝謁出来る官位ではなかった。また、一馬自身も現状の官位で満足していたようで、更なる官位をいただくことをあまり望んでいなかったともされる。
事の真相は公家である山科言継の『言継卿記』や近衛家の家伝にある。この謁見は後奈良天皇が一馬と親交があった近衛稙家にのみ明かし、密かに望んだものであった。
一度目の一馬の上洛の時には、大内家の内乱と今川の動きもあり一馬と会えなかった後奈良天皇は密かに機会を待っていたと伝わる。
当時、一馬の立場は織田一族であり朝廷の臣としての立場もあったが、日ノ本の外に領地を持つ独立国の王としての側面を持つことを稙家は理解しており、後奈良天皇もまた理解していた。
そのため一馬の立場が危うくならないようにと後奈良天皇も随分悩んだことが関連資料からも窺え、官位を与えての正式な参内ではなく非公式での謁見となったのが真相であった。
この拝謁についての一馬の反応は、戸惑っていたという逸話がある。ただ、滝川資清の『資清日記』には、のちに一馬が『二度とない機会なので本音を語った』と資清に話したと書かれている。
後奈良天皇はこの時、『久遠内匠助は天が遣わした者』だと発言したとある。これは『久遠一馬は天が荒れる日ノ本に遣わした神仏の使者である』という当時の噂を、後奈良天皇が知っていたことが表れたものと思われる。
一馬の国家観や統治に対する考え方に後奈良天皇は大きな感銘を受けたと伝わり、謁見後には後奈良天皇は改めて国というものの在り方や自身がするべきことを考えたようで、この
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