第1239話・一馬の誤算

Side:斯波義信


 ふと、父上や内匠頭殿の顔が浮かぶ。


 今の斯波と織田ならば、兵を挙げて上洛すれば天下を握れると豪語する者が尾張には多い。されど父上や内匠頭殿は、そのようなことをしたとて苦労しかないと、まったく意に介さない。


 天下を握るには上洛をすればいい。安易にそう口にする者に父上や内匠頭殿は、『上洛後を考えよ』と返すのは尾張ではたまにあることだ。


 父上と内匠頭殿と一馬は、公方様と新たな世を見ておるが、都は当分捨て置くらしい。人の少ない鄙の地にて力を蓄える。もとは久遠のやり方なのだそうだ。


 未だに畿内は恐ろしい地だということか。わしには左程さほどに感じぬが。一馬は『ではありません。因果いんが因縁いんねんきないのです』と言うたな……。


「よう参られたの」


「はっ、良しなにお願い致しまする」


 武衛陣にて、しばし休息をしておると、なんと近衛公がわざわざ参られた。明日にでもこちらから挨拶に出向く手筈だと聞いておったのだが。


「少しばかり困ったことがあっての」


 主立った者で迎えると、一息ついた近衛公はこちらの顔色を窺いつつ、切り出した言葉を止める。父上の教えにあった『公家は、他者からの請け負いの弁を、如何に引き出すかに腐心する』であろう。


「いかがされましたか? 出来る限りお力になりたいとは思いますが」


 返答に悩むと一馬が口を開いた。尾張介もおるが、すでに家を継いでおる一馬には己だけで決めることが出来るのが強みか。元より父上や内匠頭殿と同格なのは一馬しかおらぬのは近衛公も承知のことであろう。


 狙いは銭か?


「ああ、さほど苦労をかけることではない。ただの。主上がそなたに是非会うてみたいと仰せでの。ちと頭を悩ませておるのじゃ」


 一馬の顔が驚きに変わった。実は観音寺城で公方様からも、内々にそのような話があると聞かされておる。されど、こうして表立っておっしゃられたということには少し驚く。


「えーと、芸でも披露すればよろしいので?」


「ふぉふぉふぉ、そのような恥を晒すことではない。今の尾張をしんにした流れはそなたがもたらしたもの。主上は心からそれを喜ばれておるのじゃ」


 この男、なにを言うておるのかと姉小路殿が驚いた顔をした。されど近衛公はそんな一馬の言葉を笑うて真意を明かしてくれる。戯言を言いつつ、一馬が理由を欲しておったことなど見抜いておられたか。


「私の身分では参内さんだいは致せても昇殿しょうでんは出来ません。また今以上の官位も分不相応でございます」


「そなたならそう申すと思うてな。吾も考えた。尾張介とそなたらで献上の品を、済まぬが内裏まで運んでくれぬか? さすれば、稀有けうな事に主上がその場においでになり、お声をかけることもあろう。無論、左様な折には吾もおろう。ならばそなたに恥を掻かせることはせぬ」


 これは困った。わしではいかにしてよいか分からぬ。これは一馬が決めねばならぬことか。断るならばわしが代わりに断ってもよいが……。




Side:久遠一馬


 相変わらずフットワークの軽い近衛さんが来たので何事かと思えば。やはりその話か。


 正直、主上への拝謁は望まない。近衛さんもそれは百も承知のことだろう。


 粗末に扱う気はないものの、新しい世への改革の最後の抵抗勢力になりかねないのが朝廷だ。ソフトランディングするべく図書寮を復興させるとかいろいろ考えて動いている。


 今は時ではない。少なくともオレはそう思う。ただし、こういうのは相手があることだ。身分差と今後の影響を考えると断れない事実上の命令になる。


「畏まりました。よろしくお願い致します」


「そうか、それは重畳ちょうじょうよな。断られるかと案じておっての」


 実はこの話の裏側をオレは知っている。主上が言い出したのはほんの数日前。オレたちが観音寺城にいた頃だ。


 伊勢亀山城で具教さんにも言われたし、その時はあり得ないと思った。実際、誰も今回の上洛でそこまで考えておらず、主上がひとりでずっと胸の内で秘めていたようだ。


 数日前、主上が近衛さんひとりだけを呼んで、会えないかと密かに口にした。主上もウチが難しい立場なのはご理解されているようで、あくまでも非公式でオレに問題がないのならばという話だった。


 虫型偵察機とかあるから、そういう密談も分かるんだよね。朝廷の情報は宇宙要塞のほうでも集めているから。


 もっと早くに決めてくれると『来ない』という選択肢もあったけど、この段階で言われると断れない。


 参内する身分もなく、またウチの本領の扱いとか難しいから公式な拝謁が無理だったことでの妥協案だ。


 公式には会っていないことになる。まあ、会ったという話は広まるだろうが。少なくとも前例を覆すことはなく、またウチの問題に触れることもない。現時点では落としどころだろう。


「困ったね」


 今日は武衛陣で歓迎の宴を開いてくれるらしく、近衛さんはそれにも出るつもりらしい。本当、ちゃっかりしてる。


 オレたちは宴まで少し休むからとその場を辞した。


「だから言うたであろうが」


「そこまでなさるとは思わなかったのですよ。事前にそんな話もありませんでしたし」


 具教さんにはそれみたことかと言われたけど、根回しとか前例を重んじる時代にこれはかなり異例のことだ。


「まあ、取り繕う必要もなかろう。そなたはそなたのままでよいと思うぞ」


 どうすればいいのかと頭を悩ませていると、具教さんが助言をしてくれた。


 昨日の夜、大津でメルティたちとも話していたことだけど、避けようがないことだ。なにを話せばいいのかは主上次第になる。そもそもこちらから話しかけることは出来ないし、なにかを問われたら答えるしか出来ない。


 最低限の作法は知ってはいるけどさ。


「そうね。考えすぎてもよくないわ」


 本音をいえばメルティでも同行させたいけど、絶対に無理なのは分かっている。メルティは意外に楽観しているというか、大丈夫だとなるようになると昨日も言っていたんだよね。


 あとセレスは心配してくれたものの、ジャクリーヌには面白いことになったと笑われた。


 ああ、鰻を焼く匂いがしてくる。今夜の宴は武衛陣の皆さんによるものだ。今回は任せてほしいと言われていてオレも料理の内容とかは知らない。


 エルが教えた鰻を振舞ってくれるんだな。上達した腕前を見せたいのかもしれない。


「主上は私になにを望んでいるのでしょう?」


「この荒れた世で戦をせずに領地を広げて飢えさせぬように治めておるのだ。知れば心ある者は、誰もが教えを請いたいと思うだろう。後は、己を差し置いて許せぬ、掠め取りてくれようと考えるであろうがな。それに、そなたは官位を与えようとしても多くを望まぬ。珍しき品を頻繁に贈る。それで会いたいと思われぬほうがおかしい」


「それらは斯波家、織田家の名でしていることですよ」


「誰が考え差配しておるか。知らぬはずもあるまい。武衛殿や内匠頭殿が並みの武士でないことは承知であろうが、尾張のやっておる治世はそれ以上だからな。まあ案ずるな。近衛公もおる。それにオレも力になろう。なにかあっても北畠は決してそなたを見捨てぬ」


「ありがとうございます」


 オレは怖いのかもしれない。この拝謁でしょうじる影響が。


 ただ、具教さんばかりじゃない。義信君も信長さんも信安さんたちも、みんなそれを理解しているんだろう。


 覚悟を決めているように見える。


 オレもこの時代で生きていく覚悟は決めているんだけどな。


 まだまだ未熟なのかもしれない。





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