第1238話・名門の働き
Side:久遠一馬
この時代、大名行列のようなものは基本的には存在しない。規則正しく並んで歩くのだって、元の世界のように学校で教えているわけではないので、普通は出来ないんだ。
まあ、身分のある人を馬に乗せて、その馬を引く者や護衛をする者を配置することで、集団として移動することはあるが。
「おおっ!」
「なんと……」
大津で一泊して都に入った。
都の中でも下京には、商人や町人がいる地域に入ると見物人が待っていた。さすがは都だ。来る前に情報が伝わっていたらしい。
町衆が驚いているのはオレたちの姿や様子だろう。
義信君が見栄えがする派手な鎧を身に纏っていて、信長さんがその次に立派に見える鎧、あとは黒のシンプルな鎧で統一した。それに加えて、行列として人の配置や歩き方もこの時代にしては揃っていて、行列と言えるレベルになっているので驚いて当然だ。
これ警備兵と武官で訓練していることになるんだよね。歩き方とか行列とか。その成果だ。鎧とかはわざわざ船で運んだんだよね。持ってくると重いから。
今回も人数が少ないし、威圧感はあまりないかもしれないけど、それでいいんだ。この時代だと軍勢を連れて上洛すると都を荒らすことが多いので、少人数とはいえ斯波と織田の礼儀正しさと権威を示すにはちょうどいいはずだ。
実のところ、どんな武将であろうと敵地に行くと町を荒らし略奪する。それは都でも例外ではない。古来、武士は都を目指して上洛をするが、当然のように荒らすんだ。
史実の織田信長は都での略奪を止めさせようとしたという逸話もあるが、秀吉の時代や大坂の陣でも徳川方の兵が略奪していたという逸話が残っている。戦国時代を通して略奪と補給の軽視は改善されずに太平の世になっていることだ。
そんな時代なだけに、遥々尾張から来て規則正しく歩いているだけでも驚かれるのは無理もないことだ。
現在は三好家の案内人がいるけど、彼らも驚いているくらいだからね。
メルティたちは籠に乗っている。歩いていると目立つしね。それは仕方ない。
都の見物人は前回の上洛の時よりも多く、オレたちへの注目度がわかる。あと、全体として都も綺麗になっているようだ。貧しい人も多く、地面に座り込んだり寝転んだりしていて、生気のない人はまだまだいるようだけど。
オレたちは特にトラブルもなく、都にある斯波家の屋敷である武衛陣へと入ることが出来た。
「なんというか、聞いた通りじゃの」
武衛陣に入ると、みんな無事に到着したことを喜んだり、都の様子を語り合いつつ一息ついている。そんな中、義信君は意外にも驚きもなく淡々としている。
「人の賑わいなら尾張も負けていませんからね。町としてなら人の数は都のほうが多いかもしれませんけど」
尾張はオレたちが来て人口が激増しているものの、それでも町単体で見ると清洲や蟹江より都の人口が上だろう。流民や移民はこちらで調整して各地に住まわせているし。
ただ、花火や武芸大会の賑わいは都より上だろう。そういう意味では、人の多さに圧倒されることはない。
「尾張の民は身綺麗だな」
「ああ、それはありますね」
信長さんは民の様子を比べていた。ここ数年で尾張の民は本当に身綺麗になった。食事の前はちゃんと手足を洗うし、着物なんかも古着屋が増えるほど普及している。呉服商はまだ増えていない。反物自体が尾張で生産した品以外はまだウチの一元管理状態だからね。民間の受け皿が育ってないから仕方ない。
身を清めることはケティたちが指導していたものだけど、今だと領内の寺社の僧なんかも教えていることだ。
石鹸は今も医療用やウチと織田家。それと工業村や酒造りのために綺麗に洗うために使うだけで、あまり普及はしていない。ウチの船では固形石鹸を運んできているし、工業村では鯨油を使用した石鹸を少量だが生産しているけどね。
ただ、普及させるにはまだ無理なんだ。ようやく飢えないで安定した暮らしを始めたばかりだから。衛生環境はようやくみんなが気を付けるようになったくらいだ。お金を出して石鹸を買う時代はまだ遠い。それに排水処理、水質汚染の問題もある。町や村の近くの小川が泡立つのは避けなくてはならない。
その代わりというわけではないが、代用品の糠袋はそこそこ普及しつつある。綿布や麻布が割と普及してきたことと水車で米の精米をすることが増えた結果、糠袋が作れるようになったんだ。
それでも誰が見ても分かるくらいには尾張の領民は変わっているんだけどね。
「さすが京極殿ですね。恐れ入りました」
「久遠殿にそうまで言われるとは。某はもとよりこういう役目をしておりましたからな」
ああ、一足先に来ていた京極さん。近衛さんとかに挨拶周りを済ませていて、面倒な根回しや下準備をだいぶ進めてくれていた。
オレが感心すると困惑した顔をするけど、こういう仕事って大変なんだよね。
なんというか都で調整が出来てそれなりの家柄の人って、元々織田にいないしさ。政秀さんは、使者は務まっていたが、今もしくは今後の案件には身分が足りないし、信安さんもそれほど経験があることじゃない。
「それより、酒などをあちこちから頼まれましてな。与えてしまったが、よろしかったのか?」
「ええ、もちろんです。思ったより少ないですよ。それも京極殿のおかげでしょう」
そのまま京極さんからは、都に来るまでの道中や挨拶周りで融通してほしいと頼まれた品のメモを見せられたが、思ったより少なくて驚いたくらいだ。
中には売ってほしいという話もあったようだが、金色酒や食べ物などに関しては贈っていいと事前に話をしている。相手もさすがに貴重な品を寄越せというより、お酒くらいを求める意見が圧倒的に多かったようだ。
京極家の権威もあるので無茶を言えなかったんだろう。京極さんも常識の範囲内で抑えてくれたようだ。
前回の上洛でもあったんだよね。今回はそれよりも少ない。前回の時は五摂家よりも多く寄越せと言った馬鹿坊主もいたし。
「左様か。それが気になってな。畿内ではまことの金色酒は天井知らずの値だ」
「いや、上洛で一番の功かもしれませんよ。こういうのが大変で」
京極さんは自分が高価な金色酒をあちこちに贈って良かったのかと少し不安だったみたいだけど、そんなことは些細なことなんだよね。
金色酒は一時期よりは畿内に出回っている。とはいえ流通量はさほど増やしてもいない。特に混ぜ物のない金色酒は朝廷や石山本願寺くらいしか手に入らないだろう。あとは仲介する商人が薄めたり混ぜたりしちゃうからね。それが当然なんだ。
しかしまあ、これだから名門は粗末に出来ないんだ。六角を相手にあんな見通しの甘い蜂起をしたかと思えば、こうして驚くほどの働きをする。
どうも義輝さんと会う場を整えたことで、オレに対してもあまり悪い印象を持っていないという噂を聞いた。
ありがたい限りだ。
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