第1236話・生みの苦しみ

Side:蒲生定秀


 上様や久遠殿、若武衛殿らと御屋形様が席を外すと、誰かがため息を漏らした。危ういことを話すのだと久遠殿も理解しておられた。それ故、責めは己が負うつもりであったのであろうが、上様がそれを制してしまわれた。


「我らの為すことが遅いということか?」


「それもあるやもしれぬが、こちらが手の内を明かさぬので困っておったのであろう。助言するにも久遠殿からは言いにくかろうからな」


 ポツリポツリと口を開く皆を眺めながら思案する。当たらずといえども遠からずというところか。他国の者と腹を割って話すことなどあり得ぬのだが、それでは新しき政が進まぬ。尾張とて内情は久遠を頼りにしておるくらいなのだ。


 もっと話を詰めぬと困るのは我らだということであろう。


「今よりも力の差が開くとは……」


「それは間違いないの」


 やはり家中でも受け止め方が違うか。わしが断言すると数人の者が驚いておる。直に尾張を見ておらぬ者は半信半疑か。致し方ないことよ。


「今のままではいかんのか?」


「構わぬぞ。六角が貧しき名門となるのを良しとするならばな。民は田畑を持たぬ小作人から織田領へ逃げ出すぞ。止めても止めきれぬ。その次は国人たちもだ。それゆえに織田は戦をせずとも領地を増やしておるのだ。従えば実入りは変わらぬ程度の俸禄として召し抱えてくれ、暮らしは良くなるのだからな」


 これはわしが教えねばなるまい。暮らしが違い過ぎるのだ。事実、甲賀ではすでにそうなりつつある。貧しく食えぬ地故に誰も気に留めておらぬが、既に若い者は皆、尾張に出ていってしもうたのだ。


「難儀なことだ」


 それは同意する。されど朝廷や上様のような身分もない、織田や久遠とて落ちぶれた弱き名門に配慮をするには限度があろう。


 我らとて六角家の同族である京極家を北近江より追放したのだ。我らにだけ配慮をせよと言うたところで説得力などあるはずもない。


「今川のようになりたいか?」


 長年織田と斯波と対峙しておった今川の窮地を知らぬ者などおるまい。ろくに戦も出来ぬまま三河を失うた。織田は兵を挙げずに静かに戦をし、敵が気づいた時には既に負けておるのだ。


「落としどころか。されど見つかるか?」


「見つけねばならぬ」


 久遠殿の配慮もあった。こちらの考えを伝えれば更に考えると言うてくれた。気に入らぬ者もおろうが、ここで異を唱えると御屋形様の面目を潰し、上様の御不興を買う。


「努々忘れるな。此度のことは久遠殿の利になるものではない。上様と御屋形様、それに先代様への配慮ゆえに我らに苦言を呈してくれたのだ」


 嫌な役回りをさせてしもうたな。後で詫びねばならぬ。織田と久遠殿の利を求めるならば他にいくらでも策はあったはずだ。


 他国にて物足りぬとお節介をあれこれ言うたところで利になるはずもない。


「乱世を終わらせるか。さようなこと、わしには出来るとは思えぬが」


「まこと夢よの。天下太平の世で生きるなど」


「先代様が仰っておられたのはこのことか」


 皆、昔を懐かしむように上座を見ておる。先代様のご遺言がまさに正しかったのだと誰もが理解しておる。


 日ノ本の統一。並みの男に出来ることではない。されど久遠殿ならば……。




Side:足利義輝


「上様、先ほどはありがとうございました」


「気にするな。そなたひとりに泥を被らせるわけにはいかぬ。六角が心もとないのは余も分かっておった」


 一馬と今後のことを話をするために呼ぶと、少し安堵したような一馬の顔が見られた。六角とて手をこまねいておったわけではない。されど六角家では誰も先が見通せぬのだ。


 とはいえ他家の者を頼り、内々のことを明かせと余が命じることも難しい。


「観音寺と清洲か。いささか遠いな」


「そのことですけど、こちらに考えがあります。伊勢亀山あたりで織田、六角、北畠で会えるように場を整えるべきかと話しておりました」


「なるほど。いずれからも二日ほどで行けるな」


 さすがだな。すでに次の策を考えておったか。清洲からも観音寺からも霧山からも伊勢亀山なら二日ほど。三家が会う場としてはちょうどよいか。


「北畠家は宰相様が尾張によく来て話をしてくれるのでいいのですけど。六角家はあまり話をしていただけないので……」


 一馬の言葉に、控えておる師が少し困ったように苦笑いを浮かべた。あそこも師が繋いだ縁であったな。余が言えることではないが、公家であり一国の国司にしては落ち着きがない。されどそこまでせねば一馬らも困るということか。


「まあよい。余のほうからも左京大夫に言うておこう。六角の内情を知らぬまま助言をすることはそなたらとて難しかろうからな」


 もう少し六角と一馬を近しく繋がねばならぬな。たとえ内々の間でもよいのだ。


 左京大夫は理解しておるようだが、家臣らの手前言えぬ様子。宿老らともう少し話してみねばならぬか。六角家中のことにあまり口を出すわけにはいかぬのだがな。


 致し方あるまい。




Side:織田信長


「あそこまで申さねばならなんだのでございまするか?」


「姉小路殿はかずの本領を見ておられぬから分からぬかもしれぬな。尾張とてまだ道半ばなのだ」


 かずの予期せぬ進言に姉小路が驚いておるか。新参者では仕方なきことではあるな。


「もう少しお互いに腹を割って話せるように整えないと上手くいかないもの。伊勢亀山の件はすぐに尾張に知らせを送るわ」


 メルティが懸念を示すとはよほどのことだ。先ほどかずと共に、伊勢亀山城を改築して六角・北畠・織田が集まる場を設ける策を考えたのだ。親父も異を唱えまい。


 北畠もそうだが、かずらがおらぬところでなにかを変えるということは困難と言うてもいいことだ。


「東もいつ動いてもおかしくありません。特に信濃は不満も溜まっております」


「今川、武田、小笠原。互いに譲れぬものがある。でもいずれも危ういと思うよ。ひとつでも崩れると遠江・駿河・甲斐・信濃がすべて巻き込まれるね。どうなるんだろうねぇ」


 セレスとジャクリーヌが別の懸念を口にすると、大膳権亮だいぜんごんすけが渋い顔をしておる。


 ただでさえ勝手に広がる領地に苦労しておるというのに、まだまだ広がるかもしれぬからな。他家の者が聞けば贅沢な悩みだと言うであろうが、こちらとすれば口で言うほど生易しいものではない。


 これ以上は治めきれぬと音を上げる者が出てもおかしゅうない。


 かずは本気で六角のために言うたのであろうが、近江は難しき地だ。誼を深めておる六角が揺れると困るというのも事実であろう。


 そもそも六角とはただの同盟ではない。日ノ本の統一のために他国を変えてやらねばならんのだ。前代未聞のことだ。


 誰もうまくやれずとも当然と言えよう。





◆◆

大膳権亮=織田信安

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