第1234話・それぞれの苦悩

Side:斯波義信


 多くの甲賀衆に見送られて土山城を出立した。我らはこのまま東海道から外れて、北にある蒲生領を経由して観音寺城に向かう。


 昨夜の宴ほど一馬という男を恐ろしいと思うたことはないかもしれぬ。同じ六角家中である蒲生殿もさぞや肝が冷えたであろう。


 宴の初めは決して和やかとは言えぬものだった。それを自ら盛り上げてしまったのだ。甲賀衆のそれまでとはまるで違う楽しげな顔に一馬の恐ろしさを知った。


 六角と争えば、甲賀は大半が織田の味方となると尾張で言う者がおる。理由を問えば銭を与えておるからだと口にしておったが、銭で片付くような生易しいものではない。甲賀衆が一馬を求めておるのだ。主君として。


「若武衛様、いかがされました?」


 蒲生家の音羽城にて警護の者が甲賀衆から蒲生家の者に交代することになり、休息をすることになった。昨夜のことを考えておると一馬が声を掛けてきた。


 この男、すでに己が天下を揺るがす力を持っておることに気付いておるのであろうか? 誰も見えぬ先を見通す目を持っておるかと思えば、誰もが気付くようなことを気付いておらぬ時もある。


 父上は生まれ育った地が違うのだから当然だと言うておられたがな。


「いや、他国に来ると学ぶべきことが多いなと思うてな」


 上洛の前に『道に転がる石ころや草でさえも、もしかすると尾張では珍しき品かもしれません』とアーシャが言うておったことを思い出す。


 すでに尾張ではその通りの出来事があった。大根というのはいずこかで勝手に生えておるものであったが、久遠家がそれに目を付けて育てると今や冬の作物として知られつつある。


 一馬らはあちこち行くが、わしは他国を見ることなどそうあることではあるまい。今、この旅でわしはなにを得られるのであろうか。




Side:久遠一馬


 今日中には観音寺城に到着出来そうだ。甲賀衆と宴で朝方まで話をしていたから少し眠い。


 甲賀衆もいろいろと思うところがあることには変わりないようだ。甲賀は尾張の情報が入るので、その変化を知っている人が多いんだ。ただ、それは尾張での話だから自分たちとは無縁のことだと考えている人が大半だったけど。


 具体的には何のために何をどうやってどう変わりつつあるのか、理論的に理解していた人はいなかったかもしれない。


 たとえば尾張では飢えなくなったとは理解していても、飢えなくなるためには何が必要でどう変えたのか。そこをきちんと理解している人は皆無だった。


 各領主や村単位で、それぞれが勝手に治めていた土地の活用法と農業改革をしたこととかを、話のついでに教えてみた。みんな驚き興味を示しても、やりたいと言ってくれた人はいなかった。まあこれは蒲生さんもいたので、すぐにそんなこと言えない立場だったということもあるけど。


 観音寺城に行ったら義賢さんと話したほうがいいかもしれない。


 結果の良し悪しと改革への抵抗は別問題になる。特に甲賀は変わることを望むような若い人なんかが尾張に働きに出ている。残っているのは家や田畑を継ぐ人や年老いた人が中心で、どちらかといえば保守的な人が多いように思えた。


 具体策は信秀さんと義統さんとも相談する必要があるけど、このままだと六角は改革を進める前に抵抗勢力に埋没しかねない。早急に手を打たないと、発展する織田が飲み込んでしまうことになると思う。




 なんとか日が暮れる前に観音寺城に到着出来て、義賢さんの計らいで今日は早めに休むことになった。明日は一日観音寺城に滞在して義賢さんや義輝さんとの謁見と宴がある。


「六角の改革。思ったより難しいね」


「名門ですもの。多かれ少なかれ面倒事はあるわ」


 早々にあてがわれた寝所に入ると、メルティ・セレス・ジャクリーヌと甲賀のことと六角のことを相談する。


 メルティも少し困り顔だ。物事には完璧なんてまず存在しない。何かを得ようとすれば何かを失う。そんなことが大半だ。難しいのは六角が名門でオレたちは余所者ということだろう。


「見て分かるとおり甲賀衆と蒲生殿の疎遠な関係が懸念材料ですね。六角家にそこまで力がない以上は家中が力を合わせる必要がありますが、このままではそれも難しいでしょうね」


「ふむ、それはそうだが。今は乱世だ。力押しで政策を進めることも決して悪手ではないのではないか? 私は司令がいささか甘いと常々思っているよ」


 セレスもまた六角の現状に憂慮をしているが、そこに異論を唱えたのはジャクリーヌだった。某無免許医師の漫画の主人公をモチーフにしたからか、医療型なのに変わった子なんだよね。


「それも選択肢のひとつよね」


 力押しか。メルティも否定はしなかった。ただなぁ。六角が揺れると若狭にいる管領とか畿内の情勢に影響が出そうなんだよね。


 今まで織田にとっては六角が畿内の争いからの盾になっていたけど、同盟に近い状態の今、盾にして放置するわけにもいかない。


 そもそも義輝さんの考えと、義賢さんの考えがどこまで一致しているのか、端から見ると分からない部分もあるんだよね。


「せっかくここまで来たんだ。六角の宿老も交えて話す必要があるのかもしれないな」


 話の方向性によっては今の関係が破綻しかねないけど。とはいえ話しておくべきことは多々ある。


 少なくともオレの考えている織田の方向性とこの先の展望くらいは教えないと駄目か。こういうデリケートな会談は義統さんか信秀さんにお願いしたいんだけどね。今回はオレが適任か。頑張るしかないね。




Side:六角義賢


 若武衛一行が無事到着し、蒲生の倅から甲賀衆の様子など道中の報告を受けた。


「国を治めるとはまこと難しきことよ」


 もはや斯波と織田が古き政に戻ることはあるまい。それと比べてわしは父上から継いだ六角家をまとめるだけで精いっぱいなのだ。


 蒲生家を始めとする宿老は、そもそも家臣ではない。皆は家臣として振る舞ってくれておるがな。北近江三郡や甲賀衆、それと伊賀にも臣従しておる者がおるが、わしの命にはいかなることがあっても従うというほどの主従関係ではない。


 気に入らぬ、理不尽だと思えば平気で拒絶して離反してもおかしゅうないのだ。それが当然の関係であったはずだ。


 織田に倣い変えたいという方策は宿老らも承知のこと。されど宿老らは織田のように領地を手放してまで六角についてきてくれるのか、わしには分からぬ。


 上様を見ておると、わしも形だけの守護になってもおかしゅうないように思える。かようなこと、誰に打ち明け、いかにすればよいのだ? 


 仮に家臣らに打ち明けずに内匠頭殿にでも打ち明けて相談したと知られると、それはそれで家臣らが面白うあるまい。


 父上ならいかがするのであろうか?


 世は変わる。少なくとも、今までのように己の土地を各々が治める世は早晩終わるであろう。それは尾張を見ておれば分かること。


 されど信ある織田と違う、わしと六角では変えられることが僅かしかない。


 障子を開けると、星が輝く夜空が見える。あの花火のように皆を魅了して信じさせることがわしに出来るのであろうか?


 やがて来る新たな世に六角を残せるのであろうか。




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