第1233話・甲賀衆との宴
Side:久遠一馬
日が西に傾くと宴となる。メインは鯉の味噌煮だ。お世辞にも裕福とは言えないだろうけど、俺たちのために頑張ってくれたんだなと分かる。この時代だと鯉は祝い事でしか食べないような上魚だからね。特に甲賀のような内陸部だと貴重な魚だ。
土山城に到着してからというもの、望月さんと益氏さんたちは甲賀衆の皆さんといろいろ話していた。いろいろと情報は得ているが、こうして会って話すのもまた重要だ。
甲賀は思ったより安定しているものの、現時点では六角の改革はあまり支持されていないことも判明した。これは慶次がさっき言っていたんだけどね。
今までと同じがいいとまでは言えないようだけど、もともと半独立しているような地域だ。過去には六角が幕府に攻められて苦しい時にゲリラ戦で撃退して助けたりもしたのに、扱いはそこまでよくない。
織田の真似をするのは理解しても、それが自分たちの利になるとはあまり思えないというのが甲賀衆の本音のようだ。
宴の雰囲気は悪くはないけど、少し固い感じもある。義信君とか信長さんもいるし、蒲生さんもいる。どこまで腹を割って話していいか分からないんだろうね。
「東海道は随分、良くなりましたね」
こっちから話を振ってあげないと駄目だなと思い、東海道の話をする。峠越えは大変だけど、治安は本当によくなった。まあ、甲賀衆も賊として活動していたのかもしれないけど、それには触れないでおこう。
「はっ、甲賀衆が一丸となって賊を討伐したりと励んだようでございまする」
望月さんがオレの意図を悟り、甲賀衆の代弁をしてくれた。さすがだね。
「人の往来を増やせば宿場に銭が落ちて、この地の暮らしももう少し楽になると思うから」
ただし、発言には気を付けないといけない。ここはあくまでも近江で六角領だ。野心があるような受け取られ方をすると大変なことになる。
正直、東海道もあるので梅戸と千種領よりはプランテーション案に向いている地域だ。義賢さんもそのつもりなんだけどね。今のところ旧三雲領を直轄地としてプランテーションを田畑で試すことを始めている。
「織田のように領国を変えることは難しきことでございましょうか?」
ぽつぽつと話を始める人が出ると、蒲生賢秀さんが口を開いた。同じ家中なんだけど若干アウェーのような雰囲気なんだよな。この人も。甲賀衆と距離がある。
「そうですね。策はあります。ただし、どれを選ぶかは左京大夫殿がお決めになることでしょうか。私としては甲賀に縁がありますので、飢えぬように変えたいと献策をしているところですが」
甲賀衆が少しざわついた。飢えないようにするという言葉だろう。
ウチがいろいろと支援しているんだけど、実はまだその返礼は言われていない。いわゆる出稼ぎとして雇うのはいいんだけど、支援内容に大湊を経由した食料の融通があるんだ。でもあれ建前上は関係ないことにしているんだ。
結構デリケートな話なんだよね。六角も知っていることだけど、織田に野心があると思われると関係が変わりかねない。義輝さんがいるうちは大丈夫だとは思うけど、疑心暗鬼が関係悪化につながって戦になるなんて話はいくらでもある時代だ。
また甲賀衆も六角への忠義以上に織田やウチに心を寄せていると思われると、六角に討伐されるかもしれないという危機感はあるだろう。
「皆、飢えぬことを求めております。されど難しきことも多く……」
賢秀さん、歳の頃は二十歳を過ぎたくらいだろうか。六角家宿老である蒲生家の嫡男であり甲賀衆とは立場が違うんだよね。ただ、それでも見下すことなくこちらと甲賀衆の双方を上手く繋ごうとしているように見える。
これ、意外に苦労しているね。義信君と信長さんも気付いているようだけど、やはり他国ということで口を挟むのは難しい様子だ。
うーん。なにか手助け出来ればいいんだけど。この場では難しいかな。今日はもう少し交流して、甲賀衆の皆さんの本音に少しでも近づけるようにしてみるか。
Side:蒲生賢秀
ほぼすべての甲賀衆が集まったか。今の甲賀にとって織田は、いや久遠は六角家よりも近しいのは周知の事実。
されど礼を言いたくてもわしを気にして言えぬのであろう。少し不憫に思うわ。
「それはもう、凄く海が荒れたときもありましたね」
「そうであったな。船が揺れに揺れてさすがに死を覚悟したわ」
そのような甲賀衆に思うところがあるのか、久遠殿は船旅の話を皆に話して聞かせ始めた。尾張介殿もそれに合わせるように船旅の話に加わると、見たことのない海の話に皆が聞き入る。
「オレの妹に市という娘がおるのだがな。市はなんと、荒れ狂う中も怯えもせずにいつもと同じ刻限になると寝てしもうたのだ」
「おおっ、さすがは仏の弾正忠様の御息女であらせられる」
なんという方々だ。客人が自ら宴を盛り上げようとしておられる。甲賀衆もそれを分かったのであろう。皆が、面白き話や驚いた話を始める。
久遠殿など、今や公方様の信も篤いというのに。
「では、某がひとつ、尾張で評判の紙芝居を披露致しましょうぞ」
酒も進み、皆が打ち解けてくると、ひとりの男が立ち上がった。紙芝居? ああ、尾張には絵を見せて面白き話を聞かせるものがあると、父上が言うておられたあれか。話し手は今弁慶と名高い滝川慶次郎。甲賀生まれの男で、関東にて武功を挙げたという男か。
南蛮の絵を見せながら、慣れておる様子で語って聞かせる物語に、皆、静まり返って聞き入る。この男、人に話して聞かせるのが上手いな。まるで坊主の説教のようだ。
「かようなものがあるとは……」
並み居る男たちが喜び聞き入っておる姿に久遠の恐ろしさを感じる。銭や金色砲ではない。絵を見せて面白き話を聞かせることならば我らでも出来ること。されど我らには思いつきもせなんだことなのだ。
さらに甲賀生まれで天下に名の知れた男がそれを披露しておることの恐ろしさ。皆が願うであろう。久遠に仕えたいと。
「あの紙芝居、慶次が物語も考えて描いたんだよ。上手いよね」
「なんと! まことでございますか?」
甲賀衆がざわついた。久遠殿が言うたことがそれだけ驚きだったのであろう。昔は喧嘩をしたり騒ぎを起こす童だったと聞いたことがある。それが武功を上げ、かような立派な絵を描くと知ると驚かずにおられぬのであろう。
父上が此度の案内役の前にわしに教えてくれたことがある。六角はいずれ織田に降るのかもしれぬと。公方様は斯波と織田を中心に新たな世をお考えなのだと。
わしも今の今まで半信半疑であったが、久遠殿や慶次郎を見ておるとそれがまことのことなのだと思い知らされる。わしが家督を継ぐ頃には蒲生家は織田に仕えているのやもしれぬな。
久遠殿はこの宴で甲賀衆の心を掴んでしもうたのだからな。特になにかを与えたわけでもないというのに。
これが、先代様が見たいと仰った新たな世を創り上げる男か。
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