第1231話・伊勢亀山のひととき

Side:久遠一馬


「ようこそおいでくださりました」


 伊勢亀山城で出迎えてくれたのは安藤守就さんだった。


「よう励んでおるな」


「はっ、ありがとうございまする」


 視察ではないのだが、信長さんは安藤さんに労いの言葉を掛けていた。伊勢では無量寿院とその末寺が懸案となって治安が今一つだけど、大きな問題になっていないのは安藤さんの力量も大きい。


 北伊勢の元国人も織田に仕官しているものの、縁も所縁もない織田が治めるのは大変なんだ。何度か説明していることだけど、領民だって決して善良ではない。隙あらば奪い争うのは武士よりもむしろ領民のほうが多いかもしれないんだ。


 伊勢亀山城を中心とした旧関領に関しては、一昨年の一揆で北畠の援軍により持ちこたえたことで惣村の解体がされていない。その後の織田と関との戦でも大半が日和見に終始したことで罰する機会もなかった。


 北伊勢では惣村崩壊により田畑がすべて織田所有として領民は賦役と同じく報酬を受け取り農作業をしているけど、この辺りは旧来の惣村のまま暮らしている。


 その結果、村の秩序は以前と変わらず、小作人などの立場の弱い者が村から出ていくケースが続出している。まあ、この問題は尾張・美濃・三河でもあることだ。とはいえ細かい諸問題が多くて大変だという報告は受けている。


 南にいくと北畠領であり隣は近江の甲賀だ。領境はどうしても暮らしの格差が目立つから大変なんだよね。


「いよいよ、上洛だな」


 ここで北畠具教さんと合流した。楽しそうだなぁ。正直、上洛より旅を楽しみにしているようだ。同行者には長野藤定さんもいる。旧関領の南隣を治める長野家当主だ。


「あまり面白いものではありませんよ。都は」


「なあに、それもまた見てみるべきであろう」


 三好も頑張っているんだけどね。都は朝廷や寺社など権威や伝統のある勢力が多い。しかも都に出て一旗揚げようという者が地方から少なからず集まるんだ。町中の亡骸とかは片付けているらしいけど、道端で物乞いや追剥ぎとかしている人が大勢いて治安はあまり変わっていないと報告を受けている。


 尾張だと好きに開発も出来るけど、都だと開発するにしても根回しとかで苦労する。


 まあ、具教さんだと高みの見物になるんだろうけどね。


「出雲守、このようなところまできて作法を学んでおるのか?」


「はっ、此度は八郎殿がおらぬゆえ某が殿のお供としておらねばなりませぬので……」


 そんな具教さんが少し驚いていたのは姉小路家の人に作法を習う望月さんの姿だった。いや、公家衆相手に会うにしてもお供の従者が要るんだよね。近衛さん辺りだとメルティでいいんだけど、他は家臣の従者が要るんだ。


 もちろん、望月さんも作法は尾張でしっかりと習っているけど、少し時間が空いたので姉小路家の家臣に習っているんだ。


 実は他にも若い衆が一緒に学んでいる。今回は護衛としての意味もあって丹羽長秀君とか前田利家君が来ているんだ。彼らも最低限は習っているんだけどね。望月さんが姉小路家の人に教えを請うと一緒に習い始めた。


 具教さんは面白げに望月さんたちを見つつ、少し同情するように笑った。ただ、次の言葉に望月さんたちの顔色が変わった。


「久遠家ではそなたが此度は家臣筆頭か。それは苦労が絶えぬであろう。主上も一馬に会いたいと仰せだという噂もあるしな」


「主上に拝謁するなんてあり得ないでしょう。昇殿するには身分が足りません」


「まことにそう思うておるのか? ならばそなたにしては見込みが甘いと思うが」


 その話、オレも知っているんだけどね。身分が足りない。昇殿するには従五位の官位が要るはずだ。


 ただ具教さんは、なにか確信があるような言い回しでオレを見ている。加えてウチの難しい立場を理解しているはずだと思うんだけど。


「宰相殿、やはりそう思われるか?」


「ああ、主上が御所から御出になるのは難しいとは思うがな。やりようは他にもあろう。わしは都に疎いので分からぬが」


 空気が一変する中、義信君が問うと具教さんはオレに断れるのかと言いたげな顔でその可能性に言及した。


 言いたいことは分かる。だけど、可能性は高くないと思っている。オレが普通の武士ならいい。だけどここでは外国人扱いをされているくらいだ。


 本当にそこまで望むだろうか? 帝が一介の外国人との謁見を。要望とかは斯波と織田で聞いている。ウチをそこまで求める理由があるとは思えないんだけどな。




Side:安藤守就


 何事もなく一行が到着された。家臣一同安堵したのが本音であろう。


 織田では一度や二度の失態で責めを負わされたとは聞かぬ。むしろ失態を隠すなと教えられた。されど失態を自ら望む者はおらぬ。


「なるほど、そのようなことが……」


 姿を見せられたのは久遠殿の奥方である氷雨の方だ。近隣の様子を聞きたいと言うのでありのままを教えると思案しておられる。


「それはそうと、無量寿院からの誘いはまだ来ていますか?」


「はっ、大殿より上手くあしらいつつ話を聞けと命じられておりますので」


 その話に思わず背筋が冷たくなる気がした。実はわしのところには無量寿院より寝返りの誘いが来ておる。当然、そのまま大殿にお知らせしたが、大殿はなんとわしを疑うどころかいずれとも取れるような返事をして話を聞き出せと命じられた。


 さすがは警備奉行として大殿の信も厚い氷雨の方か。今巴の方と違い、己の武勇を見せぬが、文官などは氷雨の方の功を認める者も多い。守護様や大殿らの警護なども一手に任されておるほどだ。知らぬはずがないか。


「そうですか。千種の謀叛の件は聞いていると思いますが、それで無量寿院は六角と北畠に弁明の使者を出しております。それと宇治山田。このふたつの町がいささかやり過ぎています。あそこは長く保ちません。くれぐれも油断召されぬように」


「はっ、心得ましてございます」


 長くは保たんだと。真宗の本山ぞ。無量寿院から銭を得ておる策は聞き及んでおるが。されど……。


「ひとつお伺いしてもよろしいか?」


「ええ、なんなりと」


「無量寿院をいかがするおつもりか?」


「事が終わり次第、織田と北畠の手で再建されるでしょう。引き抜ける者がいるのならば、引き抜いても構いませんよ。無量寿院はこちらのことを知らぬ者ばかりなのですから。知れば逃げ出す者もおりましょう」


 寺社を相手に争うなど、ひとつ間違えば尾張ですら一揆が起きる。それを平然と制してしまうのか。恐ろしいとはこのことだ。戦の武勇など物の数ではないと言えるほど見えぬ功がある。


「しかし、この地を本当によく治めていますね。若殿も我が殿も驚いておりました。領境は難しいですから。困ったら当家の屋敷を頼ってください。必ずお力になりましょう」


 久遠の助力。家中でこれほど喜ばしいことはないかもしれぬ。


「わしを疑わぬのだな」


 されど、生来のひねくれ者のせいか。思わず本音が漏れてしもうたな。


「安藤殿ならば戦をして一国を取らずとも、いずれ織田の中で一国の国主相当の地位を得られますよ。されど、古きやり方では安藤殿とて一国は難しいこと。ご理解されておられるでしょう?」


 見抜かれておるのか。恐ろしいの。今更謀叛など起こしてなんになる。かような要所を任されて禄も上がる一方だ。家督を譲った弟は清洲で文官を務め、わしは外で務める。安藤家は安泰なのだ。


 それに織田は嘘偽りなく働けば立身出世が出来る。無量寿院の誘いがあまりにも愚かしいことに笑うてしもうたほどよ。


 『謀叛を望まぬなら、謀叛の起こらぬ政をすればよい』と誰かが言うておったな。久遠殿の言葉だとか。まことにその通りだと思い知らされたわ。


 いかんとしても無事に畿内から戻られてほしいものだ。


 かような地で何かあってはならぬ御方だ。




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