第1229話・忍び寄る恐怖

Side:今川義元


 驚くべき知らせが届いた。信秀の娘が北畠家の養女として斯波に嫁ぐというのだ。見届け人はまさかの六角義賢とは。


 これでは三国が同盟を結ぶと等しきことになるのではないのか?


「公方様も承知のことでございましょうな」


 言葉が出ぬとはこのことだ。雪斎が考えたくない問いを口にした。六角は病である公方様を擁しておる。一向に良くなったと聞かぬが、身罷られたという知らせもないことから思うたほど悪うないらしい。


「やはり私が尾張に残るべきでしたね」


「尼御台様……」


 確かに、あの時母上が残って遺恨を終わらせておけば、今よりは良かったのかもしれぬ。朝比奈備中守が母上の言葉にいかんとも言えぬ顔をした。されど、あの時のわしはそれを容認することは出来なんだ。


「三国で同盟か」


「御屋形様、そこに加わる者が増えることも考えねばなりませぬ。管領と争う三好と織田と誼を深めておる北条も三国に従いましょう。もしかすると武田も従うと言い出しても驚きませぬ」


「それでは天下を握られてしまうぞ。帝の覚えもめでたいのであろう。公方様の病次第では一気に上洛してかたが付く」


 最早、争うのも愚かしいほど差が開いた。同じく斯波と因縁がある越前の朝倉はまだある。それと若狭には管領の細川がおるが、いかに細川と朝倉とていかようにもしようがないのではあるまいか?


 さらに武田が三国に従うだと。それではこの数年の苦労がすべて無駄になってしまうぞ。



「織田は一年の停戦に異論はない様子。すでにいつでも降せるだけの力があると見るべきでございましょう」


 すでに駿河ですら織田の力に呑まれつつある。浅間神社の富士家があきらかに変わった。一見すると変わった素振りは見せぬが、伊豆諸島を手に入れた久遠と商いを始めてから喜んでおるのが分かる。


 所詮は鄙の地。必要な品は西から得ねばならぬが、材木を売るならばと久遠が対価として富士家が求める品を直に売っておる様子。


 さすがに織田に内通するとも思えぬが、戦になればいずれにも加担せぬと言い出してもおかしゅうない。駿河に大きな力を持つ富士浅間神社に見限られる。それは今川の終わりを意味することになろう。


「あまりに早い。所領を広げることも、広げた地を治めることも……」


 公家衆は、斯波武衛、織田内匠頭、久遠内匠助。この三人を天下にふたりとおらぬ武士だと言うて憚らぬ。『天下にふたりとおらぬ武士が三人も揃うた。これは天が争いを止めよと命じておる証しぞ』などと言うておる者すらおる。


 久遠内匠助一馬。当初はいずこにでもおるような凡たる男であったと知らせを受けた。供の者も付けずに出歩いて、尾張者を驚かせておったとも聞く。それが駿河ではいつからか、『虎を仏にしたのはあの男だ』とすら言われる。雪斎をもってしても見通せぬ男。


 あの男が尾張に来てから数年。これほど世が変わるものなのか?


 最早、甲斐と信濃を得たとて互角な戦すら出来ぬではないか。




Side:久遠一馬


 今川との一年停戦が延長された。これもう家中に反対する人がいないんだよね。正直、今川の相手するほど暇じゃないから。今川と武田が甲斐で潰し合っている最中に、こちらは東三河・東美濃・飛騨・北伊勢と領地が倍増している。


 自分たちが完全に今川の上をいくと理解していることもあって、優先順位がどんどん下がっている。


 まあ戦になればやってやると意気込む人はいるし、そろそろ決着を付けてはどうかという人もいるけど、そこまでこだわる人はもういないかもしれない。


 領地の管理とか仕事は文官武官ともにいくらでもある。東三河では今川の直轄領はまだ残っているし、対今川の防衛も考慮している。あと武官は警備兵の助っ人としても活躍している。東三河とか飛騨は未だに警備兵どころか領地の接収すら終わってないし。


 働けば働くほど禄も増えて暮らしもよくなる。みんなが、そんな希望を抱き始めているように思える。


 それと信濃から木曽家の子供が那古野の学校に来るらしい。嫡男だというし、多分、史実の木曽義昌だと思うんだけど。これ事実上の人質と臣従みたいな感じになりそうなんだよね。


 今の織田家では領地を認める臣従はないものの、近隣の有力な勢力である木曽家とはそれなりの誼を深めている。武田の先例があるので必ずしも臣従とはいえないけど、子供を尾張に寄越すことでさらなる誼を深めたいというのが思惑らしい。


 臣従は状況次第だろう。はっきり言えば今川も武田もどちらも御免なようだ。あわよくばこのまま独立をと考えているだろうが、危うくなったらすぐに臣従をと言い出せるだけの関係にしたいのだと思う。


 まあ、信濃も武田は憎いが今川も嫌だという人たちが多いらしいし。信濃望月家なんてこちらの顔色を窺って生き延びていると言えるほど悲惨な状況だし。


「そうか、ようやった」


 今日は上洛前の最後の評定になる。信光さんたちから北伊勢での援軍の報告もあった。褒美は別途与えるとして、評価は文句のつけようもないだろう。信秀さんも満足げだ。


 まあ、信光さんはつまらない戦だったと言っていたけどね。あまり気持ちがいい戦じゃなかったらしい。


「新五郎、そなたには新たな役目を与える。与次郎の配下となるが、逓務奉行ていむぶぎょうとする」


「……逓務奉行でございまするか?」


 そのまま信秀さんが軍監として報告のために評定にいた林秀貞さんに新たな役職を与えたけど、本人が驚いている。もしかして事前に言わなかったの? 信秀さんも少ししてやったりの顔をしているし。


 逓務奉行。まあ元の世界なりに言うと20世紀の日本にあった郵政省のような役目だ。各地に設置している伝馬伝船の駅と馬や船の管理。馬借や書状や命令書のやり取りを管理する逓信ていしん関連の奉行になる。


 仕組みの構築と初歩的なマニュアルはウチで作ったけど、これ業務が膨大で内務総奉行の信康さんでも大変なんだよね。任せられる人として何人かリストアップしていて、彼になったんだ。


「はっ、謹んでお受けいたしまする」


 信秀さんの顔や周りの顔を見てすでに決定事項だと気づいたんだろう。特に反発することもなく受けてくれた。


 秀貞さん。新しい仕組みや体制の立案とかあまり得意じゃないっぽいけど、人の管理と仕事の管理は得意なんだよね。弟の謀叛で一度失脚していることもあって、おかしなことしそうもないし。


 その後は上洛について話があった。


 メンバーは義信君、信長さん、信安さん、姉小路さん、京極さんが中心となる。


「それと北畠家の宰相殿が同行してくださることになった」


 上洛の件で新しい報告に少しどよめきが起きた。宰相殿、具教さんが同行してくれることになった。まあ具教さん自身も家督を継いで以降、まだ上洛していないらしいので挨拶回りにちょうどよかったらしい。


 義信君の正室を北畠家から迎えるのでその根回しとかそっちもあるけど。本人が旅を楽しみにしているのもある。


 この件、オレは関与しておらず、義統さんたちで決めたみたい。北畠家の面目が立つ程度の献上品の用意とか運搬はウチも手伝うけどね。


 とりあえず大事にならないように上洛を終わらせなければ。



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