第1228話・それでも動く者

Side:久遠一馬


 上洛前に優先度の高い仕事などはこなしておかないといけない。ウチも織田家も基本は当主がいなくても困らないようにしてはいる。とはいえ新領地のことや無量寿院のことなど気になることも多いんだ。


 それと一番気になるのは……。


「おっ、動いた。無事に生まれてくれるといいけど」


 アーシャのお腹に手を当てると赤ちゃんが動いたのを感じた。実はアーシャの出産の予定日が来月に迫っているんだ。お腹もだいぶ大きくなっていて生命の神秘を感じる。


 なるべく出産までには帰りたい。


 今回も献上品の輸送はガレオン船で石山まで運んで、事前に都まで届けることにしていて船がすでに尾張を出ている。そうすることで行きの旅路が楽になるからね。帰りは今回も船を予定している。


 十分間に合うはずだけど、早産になるともしかすると生まれることもあり得るんだよなぁ。


「大丈夫よ~。私たちで母子ともに守ってあげるわ。ねえ?」


「はい!」


 少し心配そうな顔をしていたのだろう。リリーと子供たちが頼もしい笑顔で答えてくれた。


 今も捨て子がここに来ることは多い。中には牧場の入り口に捨てられていることすらあるんだ。あと最近ではやむにやまれぬ事情で受け入れる子供もいる。お家騒動の原因になる子とかだ。


 以前は寺社に預けるような子たちで、今もそういうケースが多い。ただ、子供のためにと頼まれることがあるんだ。寄進代わりに多少の養育費を払ってもらうことで受け入れることにした。


 条件もある。基本的に元の身分はここでは通用しないことなど、寺社に預けるのと大差ない条件だけど。


 ウチの孤児出身の子供たちの評判がいいことで、どうせならばと牧場に預けたいという人が稀にいる。今のところはオレたちと親しい人たちが少数だけどね。


 最初受け入れた子供たちが今では新しい子供たちを受け入れ、仕事やここで暮らすルールを教えてあげている。農作業や家畜の世話をしながら、武芸や勉強もする。それなりの歳になるともちろん学校にも通わせているんだ。


 最近では子供を預かることの多い寺社が、どういう風にしているのかと見学に来ることもある。


 働かせながら育てる。元の世界の価値観だと厳しいようだけど、この世界では寺社に並ぶくらいに俺たちが信頼される理由にもされている。


 実際、孤児出身の子はウチの家臣になっていて、忙しい時期は清洲城で文官の補佐として働くこともあるので、評価が高い。


 今日はそんなアーシャに見守られながら牧場の畑仕事を手伝う。ここでしか作れない野菜や果実はウチや織田家でしか食べられない超貴重品だけど、みんな楽しみにしているものだ。


 まあ、畑を起こしたりするのは牛や馬を使えるのでこの時代にしては効率がいいんだけどね。それでも機械で農作業をしていた時代を知る身としては、子供たちの頑張りに頭が下がる思いだ。


「私もお手伝いをいたします!」


 しばらくすると弟や妹を連れたお市ちゃんがやってきた。すっかり慣れた様子で弟さんや妹さんたちに農作業を教える姿に、子供の成長の早さを感じる。


 今年もたくさん実りますようにと、みんなで祈りながら農作業をするのも悪くない。




Side:湊屋彦四郎


 商いで世を見る。商人ならば誰しもがしておることだ。されど、各々で取り扱う品も違えば国も違う。見えてくるものも違うのがまた商人というもの。


 坊主もまたそうなのであろうな。届いた文をみて、ふとそう思うた。


「相変わらずね。己ら以上の人はいないと思ってそうな文ね」


 わし宛てに届いた文をミレイ様にお見せするが、笑われてしもうた。


 文を出したのは無量寿院の高僧で、品物を安く融通しろというものだ。さすればわしを引き立ててくれるということ。人を見下した書き方だ。わしでさえ、いささか不快になる。されど、ようあるのだ。この手の文は。


 わしが殿に疑われることはあるまいが、なにかに使えるかもしれぬと奥方様の誰かにお見せするようにしておる。


「さすがに少し焦り出したワケ」


「そう見るべきでございましょうな」


 エミール様は近頃の無量寿院の動きから奴らの焦りを見抜かれた。


 あそこには真宗の各地の寺から集まる銭や米があるものの、織田と無量寿院が互いに関わらぬようになって以降、恐ろしいほど減っておるのであろう。ならば贅沢を止めて質素倹約に励めばよいのだが、それも出来ぬとみえる。


「やってみてもいいけど、湊屋殿がやると損しそうよね」


「実入りを教えてあげたらいいワケ」


 引き立ててやるという言葉にお二方は笑われておる。これでも御家の商い、尾張絡みの大半を差配する身。禄はそこらの国人や土豪と比較にならぬほど頂いておる。


 引き立ててもらうのは構わぬが、実入りが減るのは確実だ。坊主や武士は、商人は銭を持っておるのだから出させればいいと安易に考える者があまりに多い。信じるに値せぬ。


 特に無量寿院では、話の分かる者は逃げだしておる。残るのは土豪や国人崩れの似非えせ高僧ばかりだ。商人など卑しき者は使うて当然と思うておろう。


 ただ、それでも伊勢の商人では従う者がおるのであろうな。宇治と山田の商人などはあれこれと売っておる。


 とはいえわしにまでこのような文が来るとは。中には現状に焦りを感じておる者も現れたということか。八郎様に知らせて探っていただくほうがよいやもしれぬ。




Side:北畠晴具


「よう文を寄越すの。まだまだ余力があるとみえる」


 千種家家臣の謀叛に加担しておらぬという弁明が無量寿院より届いた。六角殿が少し脅したのであろう。慌てて謝罪と弁明の使者が観音寺城に行ったと知らせが届いておる。わしのところにまで弁明の文を寄越すとはの。


 斯波と織田にもこのくらい早う動いておれば、今頃は願証寺のように丁重に扱われておったであろうに。


「されど紙が少し悪うなりましたな」


「前は越前の上物を使うておったからな。商人が寄り付かぬようになって手に入れるのに苦労をしておるのであろう」


 倅は文の紙に気付いたらしい。以前は都でも使う越前の上物の紙で文を寄越しておったが、此度は違うものだ。そこまで悪い紙ではないものの、分かる者には違いが分かる。


 あそこには数年は易々と籠城出来るだけの兵糧と莫大な銭があるはず。この程度ではまだ余裕があるはずじゃ。


 六角と北畠の力を使い、織田を伊勢から追い出して頃合いをみて和睦をする。そのような安易な夢想をまだ捨てられぬとは。


「宇治と山田も父上がなにも言わぬことを勝手に解釈しておる様子」


「好きにやらせておけ。あそこは神宮にも配慮がいる。織田が動かぬうちは捨て置いて構わぬ」


 織田を嫌う者は無量寿院と宇治、山田に集まりつつある。六角とわしを神輿にして戦がしたいらしい。なんとも勝手なものだと呆れるしかないわ。


 わしは一言も織田と争うなど言うておらぬ。織田内匠頭の娘を養女として若武衛に嫁がせるというのに。何故、わしが争うと思うのであろうか。


 神宮も宇治と山田の動きに気付き、やり過ぎるなと止めておるようじゃ。されどあそこには織田領から追放された商人や桑名から逃げ出した商人などもおる。いつのまにか織田が禁じるところに密売することで利益を得るようになってしもうたからの。


「内匠助殿はいかに言うておるのじゃ?」


「捨て置いて構わぬと。時が来ればすべて北畠家の利となるのだからと」


「ふっふっふ、まことに怖い男じゃの」


 宇治と山田の一件は内匠頭殿よりは内匠助殿次第であろう。いかがするのかと思えば捨て置いて利を奪う気か。これだから織田と久遠は敵に回せぬのだ。


 面目も利もすべて比べるまでもないほどじゃからの。にもかかわらず己の利も得ておる。わしが商人でもあの男だけは敵に回さぬわ。宇治と山田はとんでもない男を敵に回したのも知らず哀れなものよ。




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