第1199話・時には味方の方が苦悩する
Side:久遠一馬
面白い報告が届いた。願証寺が尾張と美濃の末寺の寺領について、整理を念頭に話がしたいと言ってきたらしい。
「北畠との婚姻を知りましたかね?」
「であろうな」
ついさっき使者が清洲城に到着して信長さんが会ったらしく、仕事をしているオレのところに教えに来てくれた。
理由はひとつではないだろう。無量寿院の件もあるだろうし、信秀さんの娘さんが北畠家の養女として義信君に嫁ぐことを聞いたのだろう。見届け人として六角義賢さんもいたことも知ったのかもしれない。
特に隠していないし、すでに婚礼の準備に動いているからな。
北畠家は公家であるし、かつて南北朝時代には南朝側のトップだった家柄だ。願証寺がこの婚姻の意味を理解するならば動いて当然とも言える。
願証寺の末寺については、すでに関所の廃止や街道沿いの領地の明け渡しなどは応じている。これは尾張国内にある他の寺社と同じだ。さらに過剰武装と守護使不入の放棄も受け入れていて、総じて協力的な対応をしている。
ただ寺領に関しては個別に対応している。自分たちで食べる分の田んぼだけを維持しているところもあれば、それなりに広い寺領を維持しているところもある。
正直、願証寺にそこまで細かく統制する力もないんだろうと思っている。
「特に懸念はないはずでございますが……」
信長さんにお茶を出した千代女さんが、願証寺の動きに少し訝しげに考え込んでいる。
「あそこだけ独立しているからね。病院への診察は受け入れているし、賦役も参加している。それでも織田領とは暮らしに差が出ていたのも事実なんだよ」
何度も説明したことだけど、この時代は臣従も曖昧だ。国境の国人が両属するなんて当然だし、寺社に至っては独自で領地を運営していて手を出せないのが一般的になる。
願証寺の場合は農業改革の費用を出したので、綿花の栽培や塩水選を教えてあげて導入するなどそれなりに頑張ってはいるけど、大資本で賦役をして領地が発展している織田領と比べて、長島は木曽川河口の中州である輪中だから水害や塩害もあってどうしても見劣りするんだ。
寺領が隣接しているだけに、経済格差の怖さと先行きへの不安を一番感じているのかもしれないな。
「そこがかずの怖いところだ。放っておかれるほうが恐ろしゅうて敵うまい」
信長さんは笑ってそんなことを言うが、人聞きの悪いことを言わないでほしい。自分の領地を自分で治める。この時代のルールをそのまま受け入れただけだ。
頼まれれば相談にも乗ってあげるし、綿花の買い取りなんかも相応に優遇しているけど、さすがにそれ以上はこちらが口を出すこと自体がおかしいことになるからね。
「こちらから声を掛けるのを待っていたのでしょうね」
「であろう。ところが無量寿院相手でも寺領など必要ないと示してしもうた。さらに尾張高田派が無量寿院から離反するべしと騒ぐのを黙認しておると見えよう。となれば明日は我が身と思うておろうな」
信長さんの言い分にエルが真意を口にしたけど、それはオレも分かっている。ただ、願証寺にわざわざ借りを作ってまで頼る必要なんてないし、尾張高田派の動きだって止めている。そんなこっちの苦労を少しも理解していないんだよね。
まあ、自分たちの存在価値がどんどん目減りしているのは気にするだろうけどさ。
「大湊も気にしておりますな」
願証寺も面倒だなと思っていると、資清さんが同じ伊勢で独立している大湊について言及した。
あそこも新しいやり方を決めることに関与出来ないことを、以前から気にしている。今では伊勢の海沿いで独立している町は大湊くらいだし、他には伊勢神宮の門前町の宇治と山田くらいしかない。
商いも海のルールも実質的に織田で決めて守らせている。無論、大湊にも選択の自由があるので守ってくれるようにお願いするだけしかしていない。それにちゃんと相応の利益も渡しているし、向こうの独立を立てているんだけどね。
にもかかわらず不満や不安もある。まあ仕方ないことなんだろう。
オレは信仰には口を出さない。ただ、寺社というだけでありがたがって配慮するなんてことはしないだけだ。
飢えるほど困っているのなら少しは考えるけど、それ以上は向こうの判断だ。さて願証寺はどう動くのかな?
Side:大湊の会合衆
「北畠様と尾張の斯波様が婚姻とは……」
「あり得ることであるが、大御所様がお認めにならぬと思うたが?」
若き御所様は織田贔屓で有名だ。それに対して大御所様は今までと変わらぬ様子であられたと思うた。あちこちに配慮をしつつも、変わらぬことを望んでおられると思うておったが。
「すでに婚礼の支度をするために動いておられる。どうやら名ばかりの養女ではないようだ」
織田様の娘が北畠家の養女として斯波様に嫁ぐ。名ばかりかと思うたが、婚礼の支度として幾人かの商人が霧山御所に呼ばれたそうだ。
大御所様が本気ということだろう。
「噂では、大御所様は久遠様から送られた大根の漬物がたいそうお気に入りだそうだ」
「漬物くらいと思うのは誤りか?」
「さて、真意は測りかねるな。大御所様はそこまで戦上手とは言えぬが、政は悪うない。元より織田と密かに誼を結んでおってもおかしゅうない御方だ」
近頃では無量寿院とも通じておるという噂もあった。織田が禁じた品を横流ししておるはずだ。
「あれも織田と謀ったのではあるまいか?」
「……!?」
織田からはこちらにも、無量寿院に久遠家の品は売らぬように頼むと文が届いておる。ただ同時に湊屋からは、他国を介して相場の五倍から十倍以上で少量を売るならば構わんという密約もある。ご丁寧に売る品の量と値を指示してきた上に、仲介相手を紹介する文も寄越した。
まさか同じことを北畠家ともしておるのか?
「確かに久遠様ならやりかねんな」
あのお方の恐ろしいところは利を独占せず皆にも分け与える配慮の巧みさだ。従う者には暮らしや商いが成り立つようにと考えて差配されておる。大湊などでも船が沈んで困っておる商人に仕事を与えて、商いが成り立つようにされたことが幾度かあったはず。これでは久遠様に逆らおうと考える者など出るはずもない。
「知らぬは無量寿院ばかりなりか」
北畠と六角は味方だと口の軽い坊主が自慢げに話していたとの噂がある。この様子では六角も北畠と同じではないのか?
もっとも大湊では誰も無量寿院など信じておらぬ。ただ湊屋が構わぬというので暴利を得て売っておるだけだ。それも勘違いして我らを味方だと思うておるらしいがな。
我らは無量寿院に思うところなどないが、さりとて織田と敵対するところに関わりを持ちたいとも思わぬ。勝てるはずなどないからな。織田が相手では。
銭の回収も出来ぬ商いなどするわけにはいかんのだ。
宇治山田の商人には無量寿院を信じておる者もおるとの噂もあるが。まあ奴らのことまで関わってはおれんわ。己らでなんとかすればいい。
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