第1200話・待つ者

Side:願証寺の高僧


「織田は如何であったのじゃ?」


「はっ、話をすることに異論はないと。尾張介殿は我らが困っておるなら言うてほしいとも申しておられました」


 使者に送った者の言葉に安堵する。懸念するほどのことではないが、織田は気を使うて余りある相手じゃ。万が一怒らせて無視でもされては大事じゃからの。


「相も変わらず恐ろしいほど寛容じゃの」


「寛容ではあるが、厳しくもある。寺社というだけで面目を立てて寄進してはくれぬ」


「それは仕方なかろう。本證寺の愚か者らのせいだ。恨むなら本證寺を恨むべきだ」


 皆で安堵しつつ、今後のことを話してゆく。


 どうやら愚かな無量寿院は織田を怒らせたようで絶縁しておるようなものじゃ。尾張・美濃・三河の高田派の末寺は無量寿院を許すまじと騒いでおる。


 されど我らは安泰だと笑うておられたのも僅かな間だけであったな。織田は飛鳥井卿を説き伏せ、公方様すら味方にした様子。それに比べて無量寿院は六角と北畠が味方だと喜んでおるらしいが、いったい何を勘違いしておるのかこちらの掴んだ様子ではまったく違う。


 北畠の御所様は相も変わらず尾張によく行っておられるし、先日には六角の左京大夫様もお忍びで来られておったとか。


 織田も北畠も六角も、無量寿院が騒ぎを起こさぬように機嫌を取りつつ上手くあしらっておるだけでないのか、というのがこちらの見立てだ。


「寺が民の信を失うなど、かつてないほどの大恥よ。我らも同じ轍を踏まぬよう変えるべきは変えねばならぬ」


 新たな政で国を変えておる織田。その地は飢えとは無縁で、皆が新しい暮らしを望み変わることを恐れておらぬ。


 今までの慣例と違うと異を唱えようとも、自領をいかに治めようが織田の勝手でしかない。


 懸念は願証寺に連なる寺領が近隣で一番貧しくなりつつあることだ。織田は武士どころか、寺社や村や民から田畑を召し上げて作物が増えるようにと整えさせておる。すでに久遠殿の領地で収穫が増えたという証があるため、ほとんどの民が素直に従っておるそうだ。


 無論、願証寺でも真似ようと思うたが、村や民が従わぬのだ。さらにその地に縁のある僧が異を唱えて抵抗すると、上手くいくと思えたものも上手くいかなくなる始末じゃ。


 そんなことを繰り返しておる間に、田畑を持たぬ者らが村から織田領に出てしまい戻らなくなりつつある。


 こうしたことは尾張でもよくあることだと聞くが、尾張では田仕事が忙しい頃には村に戻りて働き、田仕事がない頃は賦役に行くということが当たり前になりつつあるという。


「織田は村の治め方にも口を出しておるが、我らが口を出すとこれまた素直に従わぬ」


 織田と同じことをしようとすると、必ず異を唱える者が出る。戻らなくなった者を農繁期だけでも戻すように命じたが、賦役のほうが食えるからと戻らぬのだ。さればと村に小作人の扱いを変えるように命じるが、こちらはそのようなことをすれば村が立ち行かぬと従わぬ。


 あれこれと変えようとしても上手くいかぬ。民も口には出さぬが、織田の地を羨むばかりなのだ。


 このままではいかんと織田と話す場を設けるようにと、尾張と美濃の末寺について話したいと持ち掛けたのじゃ。


 我らには無量寿院に構っておる余裕などないのだ。




Side:久遠一馬


 馬車を熱田に走らせる。シンディの陣痛が始まったと知らせが届いたんだ。シンディには那古野の屋敷での出産を勧めたんだけど、シンディが熱田の屋敷での出産を選んだからだ。


 熱田屋敷の家臣や奉公人、それと熱田の人たちとの繋がりを大切にしたいと言われたんだ。


 オレとしてはなるべく出産には立ち会いたいので、数日前からいつでも行けるように準備をしていたのですぐに向かうことが出来た。


「大丈夫か!」


「そんなに慌てなくても大丈夫ですわ」


 良かった。まだ陣痛が始まったばかりらしい。傍には医師であるマドカがついていて、臨月になって以降は医師として活動するみんなが交代で付いていてくれたみたい。


 慌てていたつもりはない。でもね。万が一を思うとどうしても心配になるんだよね。


「殿方は座っていてくださいませ」


「姫様……」


 一足早く来ていたお市ちゃんは冬の手伝いをしていた。ケティが言っていたけど、最近は病院にも顔を出して手伝いながら学んでいるらしい。出産に関しても既存の出産法との違いやその効果とかを聞いてくると言っていた。やっぱり女の子だから将来を考えて関心が高いみたいだ。


 ほんと、お市ちゃんはいろんなことに興味を持って積極的に取り組んでいる。ただ中途半端にならないか少し心配だけど、エルたちは今のまま自主性に任せて問題ないと言っている。


 実際、年齢に合わせて教えているようで、無茶をさせてはいないらしいけどね。


「殿、客人の応対をお願いしますわ」


「ああ、そうだね」


 男のオレには見守ることしか出来ないのがもどかしいけど、熱田の屋敷にはヘルミーナとリースルが滞在していて切り盛りしている。ヘルミーナに促されて、オレは駆けつけてくれる人たちの待っている部屋に向かう。


 さすがに身内以外には慌てている姿は見せられない。それなりに立場があるからね。


「子が生まれるというのは、幾つになっても案ずるものでございまするぞ。男には神仏に祈るくらいしか出来ませぬからな」


 いち早く駆けつけてくれた熱田神社の大宮司である千秋さんには、そんな言葉をかけられた。人生の先輩だから重みのある言葉だな。宗教家でもある。こういう人にはいつも助けられているなと改めて実感し、感謝の気持ちで一杯になる。


「きっと神仏が守ってくださる」


「そうじゃの。他ならぬ久遠殿の子じゃ」


 身分を問わずいろんな人たちが駆けつけてくれる。僅かな時間だというのに、近隣の人たちや町衆に子供たちまで集まっている。


 シンディがこの町でどのように暮らしていたのかが伝わってくるようだ。


「様子は如何じゃ?」


 周囲がざわついたのは義統さんと信秀さん、義信君と信長さんが揃って来てくれたからだろう。みんな忙しいはずなのにわざわざ駆けつけてくれた。


「はい。今のところは順調なようです」


 シンディ、頼まれてあちこちにお茶を淹れに出向いたり、淹れ方を指南しているから顔が広いんだね。それを加味してもどんどん人が集まってくる。


 ほんとうに涙が出るほど嬉しくてありがたいことだ。余所者なんか排除して当然なこの時代で、ここまでみんながオレたちを受け入れてくれて心配して駆けつけてくれるなんて。


 無事に生まれてほしいな。みんなでお祝いして子供たちを育てたい。


 名前もいろいろ考えているんだ。


 どうか母子ともに無事でありますように。


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