第1198話・次世代の歩み

Side:久遠一馬


「なかなかの城ですね」


 付近を見渡すような犬山城を信勝君が見上げていた。犬山城は木曽川のほとりにある小さな山の上にあり、史実では明治以降も長く天守が残った名城のひとつになる。


 ここに来た理由は上四郡の視察だ。年始の大評定で尾張の代官についても言及があった。上四郡を信勝君が、下四郡を信長さんが代官として治めることになったんだ。これには信秀さんの負担軽減だけでなく、次代の若いふたりに経験を積ませる目的もある。


 ちなみに水野さんは知多郡の代官となっている。下四郡に属するので信長さんの下に付けられたけど、信長さんが織田家次期当主と公言されているのもあり不満はないみたい。知多郡は尾張の中でも長く開発がされていなかったけど、ウチが関与したときから開発されていて、今も生活用水用の水路や溜め池を賦役で造っている。統治が大変なのと地の利と人の利がある水野さんに初めから担当してもらっている。


「城下も賑わっているわね」


 今日はメルティと一緒に来ている。主要な目的は犬山城だ。


 実は信康さんが犬山城を放棄することを、先日重臣と一族に内々に伝えたんだ。当地と城を今後どう活用するか。それを考える意味もある。


「美濃との国境だから要所といえば要所だね。ただ、美濃も臣従した現状ではそこまで必要かと言われると悩むけど」


 ここは現在、木曽川上流から流した材木を加工する一大拠点だ。木曽川の水を引いた貯水池には多くの材木が浮かんでいて、このまま水に浮かべて乾燥と保管をして、そのあとはある程度の加工をして領国の各地に運ばれることになる。


 街道の整備はしているけど、物流の基本はやはり水運だからな。


 それと犬山城に関しては、主に行政のための城になっている。小高い山の城なだけに普段使いは出来るものの、少し登るのが面倒になりそうではある。


「備えとして残すべきではありませんか?」


「そうですね。それは必要でしょう」


 オレが必要かと疑問を投げかけたことに信勝君が少し驚いている。無論、備えは必要だ。とは言ってもこの城で籠城する戦略はあり得ないよね。せいぜい籠城出来る城があると見せることで抑止を期待するくらいだ。


 ただ、城も砦も維持するには大きな労力とお金がかかるんだ。なんのためにどこを残してどこを廃止するかは常に考えていく必要がある。


 犬山城も現状では元の世界のような国宝の天守があって、歴史的に残したいというほどの城でもない。天守がある城が日本各地にあって、一国一城というお国自慢がされることはこの世界ではないのかもしれないね。


 個人的にお城は好きだし、各地に自慢の城があってもいいとは思う。ただし、オレたちが大砲を持ち込んだことで城や天守というものも変わらざるを得ない。


 未来に残す文化遺産と、現実の必要性を考えていく必要があるのかもしれない。


「やはり尾張は木曽川のおかげで肥沃な地なんだよね」


「それはいかなる……」


「まったく新しい田んぼを作るほどの土地はそれほど残っていないということですよ。既にやっていますけど、これからは川の治水や用水路を造って開拓に力を入れるしかないでしょう」


 久々に上四郡を歩いて思ったことは、関東とか伊豆諸島とは違い、開発がかなり進んだ地域だということだ。


 入会地や遊水池を潰せば暮らしに困るし、水利が悪くて田んぼが作れない場所ならあるけど、そう簡単に開発して国力を上げられる土地は多くない。田畑の区画整理と木曽三川の整備を進めるしかないだろう。


 信勝君は伊豆諸島に行ったことはあるけど、オレのようにあちこち見たわけではないし、元の世界の広く整った田んぼを見たわけでもない。オレの言葉を今一つ理解しかねるという顔をしている。


 まあ、もちろん現状では無駄は多い。乱雑に作られた湿田とか見ていると、きちんと用水を整えた上で乾田に整備すれば相応に良くなることは確かだ。結局、今の政策以上に有効なものは現時点では思い浮かばないね。




Side:斯波義信


 端から見ていたことと、実際にやってみるとでは何もかもが違う。


「どうじゃ、難しかろう? 代々の守護や管領の地位を欲するなどと口で言うことは容易い。されど、いざ治めるとなると難しきことが多いのじゃ」


 父上に習い学んでおると、面白げに笑う父上にそう言われた。


「ひとりを重用すると他の者が不満に思う。才ある者だと召し抱えてみろ。古参の者らが騒ぐだけだ。内匠頭や一馬が出来ることを己も出来ると思うてはならん。あ奴らは並ぶ者なき男ゆえな」


 分かっておるつもりであった。アーシャ殿とてそうだ。並み居る僧や神官を女の身で使うておるのだ。とはいえ学校で子らを相手にまとめることが出来たことで、もう少しばかりは出来ると思うていた。


 わしはまだまだ浅はかであったのか。


「では一馬殿を召し抱えた尾張介殿は……」


「仏の子は仏ということであろうな。元より才気ある男であった。世評や家臣の陰口を気にせず武芸を磨き、己の生きる道を探しておったからの。そなたに出来るか? 虎と恐れられた父を持ちながら、大うつけと陰で言われても気にせず武芸に勤しむなど。家臣の機嫌を窺うて当然じゃからの」


 元服以降、顔を合わせることが増えた尾張介殿がふと気になった。偉大な父を持つという身が、わしと似ておる立場ではと思えたのだ。


 かつての大うつけの噂は聞き及んでおる。わしも真偽を知らぬにもかかわらず愚か者だと笑うておったゆえにな。


 ただ、今では勤勉で物静かな男だと思う。声を荒らげることもなく、淡々と役目をこなしておるのだ。


「一族や縁ある者には特に気を付けよ。こちらが苦しんでも助けてくれぬ。そのくせこちらが復権したと見ると当然のようにすり寄ってくる。特に三管領などと口にする者には決して心を許してはならんぞ」


 父上の厳しき言葉が、かつての斯波家を思い起こさせる。


 坂井大膳。我が世の春と言わんばかりに清洲城にて勝手をしておった男だ。幾度か会うたことはあるが、頭を下げても内心ではわしを軽んじておるのがわかる男であった。憎んだこともある。されど、父上はもっと辛き日々を送っておられたのであろうな。


 されど一馬は血縁を必要とせぬ。当人があまり好きではないとわしにも言うていた。人質を出すくらいならば島に帰ると。そう言うて憚らぬ男だ。


 父上の言葉に、一馬が何故そのようなことをして新たな世を目指すのか、おぼろげながら見える気がした。


「そなたは良い時に生まれたものよ。今ならばわしや内匠頭がおらなくなっても、尾張介と一馬がそなたを新たな世に連れ出してくれよう」


 何時であったか、一馬が氷菓子を献上してくれたことを思い出す。今のように寒い冬ではなく夏にだ。


 特になにかを願い献上したのではないと聞き、変わった男だと思うたのを思い出す。


 いつの間にか、父上も歳を重ねられたのだな。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る