第1192話・天下の前に足元を見る

Side:久遠一馬


 北畠晴具さんの決断により方向性は決まった。ただし、大変なのはこれからだ。


「上様、いかがされるのでございますか? まさか兵を挙げて上洛するとは思えませぬが」


 義藤さんが上座に戻ると晴具さんが具体的な話を始めた。気になるのはそこだよね。まず初めに根本的な意思疎通が必要なのが分かるよね。


「上洛はせぬ。少なくとも今はな。一馬、あとは任せてよいな?」


「はい。では私から皆様にお話しいたします。まず織田と当家のことから。飛騨や東美濃や北伊勢は入っておりませんが、織田領内での一年に生まれる銭がおよそ三百万貫ほどとなります。具体的な実入りは織田と当家共に七十五万貫ほどでしょうか。ここから家臣の俸禄を出したり船を建造したりしていることになります」


 義藤さんに命じられるままに具体的な国力の話になる。これは事前に打ち合わせしたことだ。信秀さんや義統さんとも話したけど、こちらの手の内をある程度開示して織田の国力を理解させる必要があるんだ。


「さっ、さんびゃく……」


 六角、北畠両家の皆さんはオレの説明に明らかに動揺した。中でも鳥屋尾さんとか後藤さんは動揺が大きく、まさかと言いたげな顔をしている。


「織田領の人の数は九十万人を超えています。また日ノ本すべてだと当家の試算では一千百万貫ほどの額が一年に生まれ、人の数は一千二百万人ほどかと推測しております」


 しばらく沈黙が続く。領内のGDPや人口なんて考えたこともないんだろうな。突然数字を言われて困っているというほうが正しいのかもしれない。六角家と北畠家の内情も推測出来ているが、それは言うつもりはない。


 北畠家は十五万貫から二十万貫の総生産があって、北畠家の実入りは一万五千貫から二万貫だろう。六角は三十万貫ほどの総生産力だけど、こちらも実入りは同じく一万五千貫から二万貫と見ている。あとは家臣や寺社などの実入りになるはずだ。


 単純に比較は難しいけど、織田との国力の違いは理解してくれたと思う。


「一馬、我らになにをやらせたいのだ?」


 最初に口を開いたのは具教さんだ。オレと親しいことが言い出せた理由だろう。わけが分からんと言いたげな顔をしている。


「領内を変えていただきたいと思っています。道を整え検地を行い、荒れている田畑を復旧させていくことが第一でしょうか。また家臣を俸禄にすることもお願いしたいです。奪うのではなく増やすということを前提に考えてほしいのです」


「領地を認め臣従させるだけでは駄目ということか」


「遥か昔からその地で生きてきた皆様には申し訳ないの一言に尽きますが、税を集めることや人を裁くこと、そして兵を集めることなどはすべて公儀が行うべきことです。家臣の所領はなくしていかねばならないと考えております」


 正直、義藤さんの権威で語っているので少々居心地が悪い。虎の威を借る狐みたいに見えないだろうか?


「わしからもひとつ言うておきたい。家中でも公にしておらぬが、斯波と織田と久遠はすでに対等な同盟を結んでおる。一馬と久遠は日ノ本の外に領地がある者。いわば帝や公方様の御威光の及ばぬ地が本領なのだ」


 いろいろ思案している皆さんに追撃のように語ったのは義統さんだ。そこも説明しちゃうのか。まあ名門の斯波家に対等と言われると少し困るんだけど。でもそういう認識で間違いではないね。


「ああ、それは余も認めた。久遠の日ノ本の外の領地は余が口を出せるところではない。久遠の者らが独力で切り開いたのだ。当然であろう」


 オレはあまり気にしないけど、この時代の人はどうしてもウチの権利とかを最優先で気にするね。配慮はありがたいけど、あまりやり過ぎて異質になるのも困るんだけど。


 まあとりあえず情報交換するべきことは山ほどある。日ノ本の統一に向けたプロセス以前に価値観のすり合わせが要る。単に武力前提の同盟なら苦労はないんだけどね。その先を見越す必要があるんだよね。




Side:北畠具教


 恐ろしい。今日ほど一馬が恐ろしいと思ったことはない。あの男、天下など要らぬと言うておったにもかかわらず、いずこまで見ておるのだ?


 平穏に暮らせる世がほしい。誰もが願うことであろう。されど隣の者が富める者なら羨み妬み奪うのが世の常だ。薪を採る山ひとつ、川の水利ひとつで代々争っておるところなど数知れぬのだ。


 一馬はそれらを根底から変える気か?


「久遠殿、北畠家の実入りはいかほどと見ておられるのだ?」


「所領全体では多くて二十万貫ほどかと。北畠家の実入りはおよそ二万貫ほどと見ております」


 ずっと無言であった父上は一馬に北畠家をいかに見ておるか問うた。北畠の実入りは間違っておらぬ。実際には二万もないが、大差ない数だ。されど北畠の所領全体で二十万貫というものはわしも分からぬ。家臣や領内の実入りなど知らぬからな。


「こちらも大差ないの。家臣の実入りは分からぬ故、いかんとも言えぬが」


 左京大夫殿がそれに続いた。なんと六角も実入りは大差ないと? 北畠と六角の使える銭は二万貫ほどで織田と久遠が七十五万貫だと? 船やら俸禄が多いので出ていく銭も多かろうが。それにしてもこれほど差があるというのか。


「北畠家と六角家の領内を整える費用を賄うために無量寿院との商いを考えましたが、あれも長く保たないと思います。下手すると秋になる前に終わるでしょう。氏素性も定かではない私の考えを聞くことはご不満もありましょうが、領内を富ませることは決して北畠家や六角家の損にはなりません。どうか今は領内を整えていただきたいと考えています」


「ふふふ、そういうことではないのだ。久遠殿。そなたの氏素性や考えに異を唱えてなどおらぬ」


 一馬が頭を下げると父上は面白そうに笑った。


「我らは領内がいかほどの銭を生み出しておるか知らぬのだ。知恵や技以前のことだ。当家は倅が尾張を真似て励んでおるが、それとて家臣の領地には口を出せぬ。それにの、知恵や技も教えられてもすぐに使えぬことは理解しておる。大根の漬物の作り方を教わったが味が違うての。難儀しておるわ」


 ああ大根か。確かに父上はあれ以来変わったと言っても過言ではない。昨年の冬か。大根の漬物を頂いて以来変わったのだ。


 見知らぬものではない。いずこにでもある漬物というものであるが故に父上は興味を引かれ、それすら敵わぬということに思うところがあったのであろう。


「では領内をまとめ、富ませるための話を一から始めましょうか。北畠家と六角家なら出来ることからやれば必ず結果が出ます」


 ふと思った。一馬はこちらが領内のことを知らぬことなど、先刻承知なのではないのかということをな。


 氏素性のことや不満など上様の御前で持ち出す話ではない。一馬はあえて父上や左京大夫殿が口を出せるように導いたのではあるまいか?


 人を動かすということに関してもわしは一馬に及ばぬのか? いささか口惜しく思えるわ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る