第1191話・同盟

Side:北畠晴具


 屋敷は見事であるな。隅々までよう造っておるわ。口惜しいところもあるが、織田との力の差は開く一方であろう。


 供の側近は入念に選んだ。これを機に公方様が実は健在だなどと漏れると、北畠家が漏らしたと疑われてしまい公方様の敵となってしまう。家臣とて、いずこまで信じてよいか分からぬところがあるのだ。


「久しいの」


 わしと倅の次に到着されたのは六角左京大夫殿であった。公方様を真似てか少数の供を連れてやってきた。


「さぞ驚いたであろうな。されど恨んでくれるなよ。皆、悪気などないのだ」


 さほど親しいわけでもない。会うたのは尾張の花火に続き二度目だ。とはいえ血縁もありそれなりの誼はある。


「恨むなどあり得ぬ。この戦乱の世、皆が悩み苦労しておるのは承知の上のことよ。されどまさか尾張から世が変わるとは思わなんだがな」


 苦労をしておるのであろうな。わしが恨んでおるのではと案じておるとは。公方様が病と偽り、前例にないことを始めた。お止めするべきか迷うところもあるが、致し方なかったのはわしでも分かる。


「確かに……」


「戦乱の世しか知らぬ我らには見えぬものがある。今ではそう思うておる」


 久遠とはいかなる者らなのか。ずっと考えておった。戦乱の世しか知らぬ武士とは違う世を生きてきた者らなのであろう。


 左京大夫殿も思うところがあるのであろう。しばし無言のままわしと向かい合っておった。




 謁見は茶の湯の席ですることになった。不要な側近も遠ざけて、僅かな者のみで腹を割って話したい。それが公方様の望みとか。


 畳を敷きつめた部屋は寒うないように暖められておった。南蛮暖炉なるものがある。中に炭や薪をくべて部屋を暖めるものだそうだ。


 武衛殿、内匠頭殿、尾張介殿、久遠殿、それと奥方の大智の方か。女がおることに少し驚くものの、公方様が命じたのならば口を出すことではない。六角からは左京大夫殿と蒲生殿と後藤殿か。当家からはわしと倅に鳥屋尾石見守がおる。


「上様の御成でございます」


 その言葉で皆が平伏する。


「面を上げよ」


 上座におられるのが上様か。若いな。倅とあまり変わらぬ。驚いたのは鹿島の塚原殿が同席しておることか。倅が上様と塚原殿を見て信じられぬと言いたげな顔をしておるわ。


「まず詫びておこう。このような形で呼び出してすまぬ」


「ご尊顔を拝し恐悦至極に存じます」


「宰相とは幾度か会うたことがある。覚えておるようだな。黙っておってすまぬ」


 臣下としての型通りの挨拶をかわすと、上様はすぐに気を緩めたのか笑みを見せて倅に声を掛けた。されど会うたことがあるとは……。


「まさか菊丸殿が上様だとは……」


 戸惑う倅と上様の話から驚くべきことを知った。上様が塚原殿の弟子として諸国を巡っておったとは。倅と気が合いそうではないか。


 きっかけは武衛殿らの上洛であったという。かの者らと会われた上様は広い世を見聞するために偽りの身分で旅に出たという。どうりで左京大夫殿が苦労するわけだ。


「堅苦しい挨拶はもうよい。そなたらと腹を割って話したかったのだ。エル、皆に茶を持て」


「かしこまりました」


 上様は楽にせよと言うと、大智の方が茶を淹れて皆に運んでくる。茶の湯と違いひとりにひとつずつ茶椀が出されるようだ。


「余は今の乱れた世を変えるつもりだ。尾張のように平穏な国を日ノ本すべてに広げたいのだ」


 出された茶に口を付けると、それを待っておった上様が単刀直入に本題に入られた。他の者に驚きはない。知らぬのは我らだけか。


「北畠の助けがほしいのだ。ここにおる者らと共に新たな世を創る助けがな」


 返答に窮するとはこのことか。お立場から命じてしまえばよいものを。我らの意思を重んじるというのか。


「よろしくお頼み申す」


「なっ!」


 滅多に取り乱さぬ鳥屋尾石見守が思わず上げた声が響いた。それもそのはずだ。上様は自ら上座を降りられて、我らの前で深々と頭を下げられたのだ。驚かずにおれというほうが無理というもの。


「上様……何故……」


「すでに幾度も家臣に刃を向けられた足利将軍のめいなど何の役にも立たぬ。それにその場しのぎのために争うた者らを許したことも、今となっては悪い先例と言えよう。逆ろうたとて和睦してしまえばよいだけなのだからな。ゆえに余は悟ったのだ。最早、足利家ではこの戦乱の世は治められぬとな」


 倅の少し震えるような声に上様は取り繕うこともなく本音で話された。若い。そう思わずにはおれぬ。されど……。




Side:久遠一馬


 この場でどうするか。それは事前に打ち合わせはしていない。菊丸さんが……、いやこの場合は義藤さんか。彼が任せてほしいと言っていたんだ。


 足利将軍が上座を降りて対等な形で家臣である晴具さんと具教さんと話をする。これがいかに異例なことかは、戸惑うふたりと鳥屋尾石見守さんの様子を見ればよく分かる。


「余は足利家の最後の将軍となるつもりだ。新たな天下が要る。共にそれを創り上げてくれぬか?」


 義藤さんは将軍としては素晴らしいが、政治家向きじゃないのかもしれない。少しそう思ってしまう。駆け引きも切り札も関係なく、すべてを晒け出して味方にしようとするなんて。


 ただ、これが将軍足利義藤なんだ。


「何故、我らにそこまで……」


「本音を言えば余はそなたらをよく知らぬ。されど一馬や尾張介はそなたらを信じておる。それだけで十分だ」


 苦笑いが出そうになる。あまりに素直でまっすぐだ。


「我ら北畠一党、上様とこの場におる皆様と共に新たな世を創ることを天地神明にお誓い致しまする」


 晴具さんは僅かに笑みを浮かべて、深々と頭を下げて返事をすると、具教さんと鳥屋尾石見守さんも平伏した。


 信じた人に裏切られるならそれまでだ。義藤さんにはそういう割り切りがある。だけどね。相手は激動の歴史を生き残った北畠家だ。本心ではどう思っているのか、正直少し不安もある。


 ただ、ジュリアなら信じると言うだろうな。疑い出したらキリがないのは元の世界もこの世界も変わらない。誰しも信じられる人は信じたいからね。


 思えば信秀さんだって義統さんだってそうだ。信じたからこそここまで続いた道なんだよね。


 おかしな話だね。誓紙を交わした同盟でさえ裏切ることが珍しくない時代なのに、なぜかこの同盟は裏切られることはないと思えるんだ。


 戦国の世を終わらせるためにはこの道を進むしかないのかもしれない。オレたちにとっても。この場のみんなにとっても。




◆◆


 蟹江同盟。


 天文二十三年、一月十日。尾張国蟹江に完成した北畠家の屋敷を北畠晴具と具教親子が訪れている。


 表向きは新しい屋敷に行くというものだったが、北畠親子が将軍足利義藤と謁見するための尾張訪問だった。


 この場には尾張からは斯波義統、織田信秀、織田信長、久遠一馬、大智の方こと久遠エル。その他にも、六角家から六角義賢、蒲生定秀、後藤賢豊。北畠家からは鳥屋尾満栄らが同席したという。


 『久遠盟約』から始まり、足利義藤との『清洲の会談』を経たことで、義藤と義統と織田家では日ノ本統一に向けた動きを加速させている。


 この謁見もその一環だったようだ。六角家と北畠家が正式に加わり、事実上の尾江勢三国同盟とも言える体制が成立した。


 北畠晴具はこの件について『天が自ら動いた』と語ったという記録があり、元来それほど革新的な人物ではなかったものの、北畠家を残すには他に道なしと語ったとされる。


 また、北畠具教は義藤の仮の姿である菊丸とは、素性を知る前に塚原卜伝の同門の弟子として幾度か手合わせもしていたようで、『まさか上様だったとは思わなかった』と後に語っていたとされる。


 『織田統一記』、『足利将軍録・義藤記』では、この謁見自体が久遠家のお膳立てであると記している。特に義藤の久遠家への信頼は類を見ないほど厚いもので、『一馬らが信じるならば余も信じよう』と語ったとある。


 これにより尾張を中心に強大な同盟が成立したが、それは足利義藤の覚悟と共に時がくるまで秘匿されている。



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