第1187話・変わりゆく者たち

Side:安藤守就


「皆、出世したな」


 氏家殿、稲葉殿、不破殿と久しぶりに顔を会わせて酒を飲むことになった。西美濃四人衆とはいえさほど親しいわけではなかったが、こうして主を変えて生き延びると感慨深いものがある。


「安藤殿こそ良かったではないか」


 この中で出遅れたのはわしだ。生き延びようなどと思うておらなんだ。氏家殿に良かったと言われ、いかに答えるべきか窮する。


「領地のない武士か」


「思うところもあるが、それも世の流れであろう。確かに今までの治め方では世がまとまらぬというのは間違いあるまい」


 稲葉殿が喜ばしいとは言えぬ顔で領地のことを口にするが、不破殿の言うことも確かにその通りだ。


 織田の大殿ならば日ノ本をまとめられるやもしれぬ。されどそれでは先が続かぬ。誰が治めても戦など起きぬ世にする。それが織田の目指す治世だと教えられた。己の領地を守り、武によって生きる武士とはまったく異なる政だ。


「日ノ本の外も乱世であると聞く。ならば致し方あるまい」


 明や天竺、南蛮が敵になるやもしれぬと考える。そんな世迷言をと言うべきか、当たり前のことをと言うべきか。


 備えくらいはしておかねばならんと言う久遠殿の考えに異を唱えるなど、日ノ本の武士としていかがなものかとは思うがな。


「されどこうなるといずれは畿内との戦もあり得るな」


 くいっと酒を飲み干した稲葉殿が話を戻した。金色酒もよいが、この時期は澄み酒の熱燗が美味い。


「六角は味方か?」


「今のところは味方であろう」


 北畠は味方であろうが、気になるのは六角だ。あそこは一筋縄ではいかぬ相手。わしと共に国境を守る不破殿は味方と見るのか。


 朝倉はいつ敵に回ってもおかしゅうない。管領殿は若狭で健在だ。公方様は病で観音寺城から動かれぬこともあり、渋々ながらも三好に都を任せておる様子。


 公方様の病が良うなれば、西と東のいずれに目を向けるのであろうか。


 武衛様が次の管領だと噂があるが、果たして公方様は東で大きゅうなり過ぎた織田をお認めになるのであろうか?


 これまで大きゅうなり過ぎた大名はことごとく潰されてきたゆえ、公方様が管領殿と和睦をして三好や六角、朝倉に東を攻めさせても驚きはない。


「守護様と大殿は公方様と話を通じておる様子ではある。それに……、あの久遠殿と大智の方が無策で公方様と争うとはわしには到底思えぬ」


 いち早く織田の重臣となった氏家殿がこぼした一言に皆が考え込む。確かに、あの者らならばなにかしらの策を講じておると考えて当然か。


 あまりに早すぎるのだ。変わるのが。ついていくだけで精いっぱいであるほどにな。


 もう少しでよい。先を見えぬ者の心情を察してほしいものだ。




Side:斯波義信


「このような内々の場では、そなたのことを呼び捨てにすべきではなかろう?」


「今まで通り、一馬とお呼びいただいて構いませんよ。それに私はこれ以上の立身出世は望みませんし、私たち家族と家臣や領民の子や孫のために動いているだけです」


 元服から数日後、一馬の屋敷を訪ねた。世が変わり武士も変わろうとしておるというのに、この男だけは変わらぬ。


 名目上の同盟者ではない。まことの同盟者なのだ。家督も継いでおらぬ身で臣下として扱ってよい相手ではない。


 もっとも一馬は困ったように笑うておるがな。


「夢かと思うておったことをうつつとするとはの」


 夢か現か。誰もが夢を見て現を生きる。しかし一馬らは夢を現とするのだ。それが知恵だというのは分かるが、それを理解してもあまりに驚くべきことだ。


「戦で日ノ本を統一するよりは楽ですよ。実際に出来ることですし」


 こたつに入って温かい茶を飲む。せんべいという菓子を食いながら一馬はそう言うて笑うた。


「日ノ本は外と戦となるか?」


「いずれは戦となるでしょう。その時は私たちは生きていないでしょうけどね。船がもっと良くなり、多くの人が遠くに行けるようになると必ず。言葉も信じる神も生き方も違う者たちと一度も争わないなんて出来ると思いますか?」


「確かに無理であろうな」


 学校でアーシャとも幾度か話したことがある。日ノ本は外と戦になるのかとな。この世のすべてを制して治めでもしない限り、戦はなくなるまい。


 されどそれは一馬らでも出来ぬことだという。ならば備えるしかないか。


「驚いたのは公方様か。仮の姿で旅をしておるだけではなかったとは」


「政とて何一つ思うままになりませんからね」


 確かに思うところはあろうな。されどそれが生まれ持った定めと言えよう。日ノ本を治めるべき御方が、自ら新たな世を望むとは……。まことにそれで良いのであろうか。


「ああ、そういえば春先に上洛をすると聞いたが」


「若武衛様のいただく官位の返礼ですね。もっとも若武衛様の見聞を広めるための旅でもありますけど。それと朝廷は今まで以上に重んじていかないといけませんから。あらぬ誤解をされると面倒になります。私たちは少々力を持ち過ぎていますからね」


 父上から春先に上洛する話があると聞き及んでおる。それも問うてみるが、朝廷と公家というのも厄介な相手よの。


 元服するのも楽ではないか。公方様のことをいかがなものかなどとは言えぬわ。窮屈な立場になると一馬が羨ましくなるわ。




Side:松平広忠


 またもや美濃衆に先を越されたな。


「まさか所領を自ら手放すとは……」


 家臣らも信じられぬと驚きを隠せずにおる。


 やはりわしは斎藤山城守殿にも及ばぬか。先んじて所領を献上しておれば、忠義と織田家における立場を確かなものと出来たものを。


 あの場で領地の献上を申し出られればよかったが、わしは言えなんだ。


 嘆かわしいことに、家中には織田もいずれ勢いが衰える時がくる。それまでの辛抱だ。この期に及んでもまだ陰でそう囁く者がおると聞き及ぶ。


 領地にて、民を己の手足の如く扱うことを好む者が少なからずおるのだ。そ奴らは信義でもなくば利や家の行く末のためでもなく、単なる愚か者にすぎぬ。


 されどいかに世が変わろうとも、それに抗おうとする者が必ず出るのは致し方なきことなのであろうな。


 大殿は我ら三河衆にも十二分に配慮をされておる。吉良殿ですら役職をいただき、わしも東三河の代官を拝命した。されど役目を頂いたからと言うて喜んでもおられぬ。所領を献上することを考えねばならぬ。


 すでに平手殿ら家老衆と譜代の者らは所領を献上しておる。あまり後れを取っては今後に差し障るからな。


「二度と武士が各々で所領を持つ国には戻るまい」


 家中でも久遠殿の本領に行った者とそうでない者では意見が異なる。あれを見ると二度とかつてのような国は戻ってこぬのだと理解するのであろう。


「殿……」


「矢作川の新しき川。あれを見て民が織田を見限ると思うか? すでに我らの所領はないに等しいのだ」


 戸惑う家臣に諭すように言い聞かせると異を唱える者はおらぬ。


 織田家が三河に投じた銭は莫大だ。さらに川の氾濫の折には、泥にまみれて行方知れずの民を探しておったのだ。もはや西三河で尾張者だというだけで従わぬという愚か者など幾人もおるまい。


 今川とて織田との争いを避け続けることで、なんとか生きながらえておるのだ。もはや戦をすれども織田には勝てぬはずだ。


 世とは無情よな。




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