第1186話・大評定・その二

Side:久遠一馬


 休憩を挟んで昨年の報告から行われた。


 新しく臣従した皆さんの挨拶と、新領地の説明から始まる。伊勢、志摩、飛騨、東三河などそれなりに新しい領地があるからね。


 続いて今年の織田の体制を発表する。大きな変更点は内務だろう。当初から懸念はあったんだけど、内務は業務範囲が膨大で総奉行の信康さんの負担が大きすぎた。信康さんが織田一族のまとめ役であることもこれには影響している。


 実はオレの商務も大変なんだけど、ウチのみんなの能力でなんとかなっているんだよね。


 そこで信康さんの負担を軽減するために内務の業務を細分化して、内務総奉行の配下にいくつかの奉行を新設することにしたんだ。具体的には税務、文務、刑務の三つになる。


 税務はその名の通り徴税に関する部署だ。奉行は吉良義安さん。家柄とやる気と能力からリストアップした人材を評定で決めた。


 選ばれたわけは吉良家が名門という理由が大きいとは言えるけど、実際、野分の時に西条吉良家が命令違反で処罰されたことは、吉良家の名声を落とすには十分だった。早めに名誉挽回の機会を与えるべきではというのが結論だ。本人が頑張っていることもあるけどね。


 文務、これは教育関係ではなくて公家対応の部署なんだよね。図書寮の再建と書物の写本、尾張を訪れる公家の応対をまとめる部署になる。政秀さんとか伊勢守家の信安さんの負担が大きいんだ。そういうわけで奉行は公家出身の姉小路高綱さんですんなり決まった。


 刑務、これは罪人を管理する刑務所のような部署になる。北伊勢の一揆勢などの罪人は強制労働刑にしているので彼らの管理と運用がメインとなる。奉行は稲葉良通さん。元の世界でいう一鉄さんだ。


 あの人、頑固一徹と言われるとおり真面目なんだよね。浅井相手に武功もあったことから、西美濃で罪人を使って賦役をやらせていたんだけど、家柄と美濃での立場とか総合的にちょうどいいのでそのまま奉行に抜擢することになったんだ。


 罪人はね。流民とか人口流入が多いので不届き者は相応にいる。重罰は死罪だけど、あとは強制労働刑にして働かせているんだ。罪人の人権や更生とか考える時代じゃないし。オレたちもそこには元の世界の価値観で口を出すなんてしていない。


 それと道三さんの隠居と西美濃四人衆の領地献上に伴い、美濃統治の代官も細分化することにした。中央部を斎藤家、西部を不破関の代官をしている不破家、北部を東家、東部を遠山家が代官として管理することになる。


 これは道三さんの負担軽減の意味もある。義龍さんは工務総奉行で忙しくて美濃の代官を兼任なんて出来ないし。代官筆頭は斎藤家になるけどね。


 ちなみに氏家直元さんは土務総奉行で、安藤守就さんは鈴鹿関の代官をしているので、これで西美濃四人衆は全員役職に就くことになった。この辺りのバランスはみんなで考えたんだよ。実力も大切だけど、家柄や地位とのバランスも取らないと不要な不満と争いの元になるからね。


 仕事のやり方はこれから順次教えていけば、そこまでおかしなことにはならないだろう。


 三河に関しても東三河の代官を松平広忠さんにすることにした。あっちには松平一族が多くて土地勘があるし、安祥城の信広さんから東三河が大変だという報告がずっと上がっていたんだよね。


 吉良義安さんも候補だったけど若すぎるからね。今川、織田と臣従していた広忠さんの苦労経験が買われた結果だ。それに三河武士って相変わらず頑固で誇り高いというか、面倒で扱いづらい面も消えたわけではないからね。


 次に伊勢に関してだけど北部の代官を神戸利盛さん、中部の代官を安藤守就さんにする。安藤さんは鈴鹿関の代官と兼任だけど、こちらは西が近江の甲賀、南は北畠家に降った長野家で無量寿院も近くにあるので、それなりに戦も出来る人でなくてはならないことが理由になる。


 不破関の不破さんもそうだけど、国境警備はやはり大変なんだよね。安藤さん、気難しい一面もあるけど、仕事の評価は高いんだ。


 志摩の代官は佐治為景さんになった。こちらは九鬼さんと最後までどちらにするか決まらなかったんだよね。ただ、あそこはほとんど水軍の地域で、今後は熊野水軍とかの対応もあるからさ。佐治さんも打診したら光栄だけど忙しいって少し悩んでいたけどね。


 それと飛騨に関しては現時点では代官を決めていない。検地も人口調査もまだだから当面は直轄地だね。検地も人口調査がひと通り終わったら道三さんか三木さんに頼むことになるだろう。道三さん、隠居するんだけどね。越中と国境を接することとか江馬や内ヶ島がいたりと意外と難しい土地だから安定するまでは道三さんに頼みたい。


 新しい政策も発表になる。まず銀行業務だけど、三河、美濃、伊勢、飛騨、志摩、伊豆諸島にも業務を拡大することにした。これ清洲でしかやっていなくて商人とか不便だったんだよね。


 あと銀行の利用対象を領民にも拡大する。無論、審査はあるけどね。どうしても銅銭は重くてかさばるので資産を守るのが大変な時代だ。特に商人は銀行を利用すると商いがよりやり易くなるだろう。


 すでに領内の寺社はほぼ織田の統治を受け入れている。当然ながら金貸しでアコギなところは淘汰されることになるので業務転換をしてもらいたいという思惑もあるんだ。


 次に悪銭と鐚銭の使用規定を分国法に定めた。商人が支払いや返金で領民に悪銭や鐚銭を使用するのを禁じるんだ。


 アコギな商人は領内にもいて、力関係で弱い者に悪銭とか鐚銭で支払って儲けようとした事例が幾つも報告に上がった。領内と近江や伊勢では、すでに悪銭や鐚銭の価値を原材料分くらいしか認めていないのに悪質だよね。


 ただ、規制だけだと困るだろうから、同時に悪銭や鐚銭の回収もすることにして、祭りへのスポンサー制度を法制化した。後援商人制と織田家では呼んでいるけど、これを分国法で正式に定める。


 今までも小規模の行商人や旅人からは悪銭や鐚銭も額面で受けとるように命じていたけど、それを具体的には祭りのスポンサーという形で出す銭については、質を問わずに織田家にて額面で受けとることにしたんだ。受け取った悪銭や鐚銭は、祭りの後にウチで良銭に交換して織田家に渡すことにした。


 無論、織田家で受け取る時に審査はする。これの担当は商務のウチになるから、その商人の商いの規模や儲けなどから問題ない範囲の悪銭や鐚銭かをチェックする。わざと織田領の外から悪銭や鐚銭を大量に持ち込んで、スポンサーになって名を売ろうなんて魂胆は絶対に認めない。


 これもね。最終的には悪銭や鐚銭をウチが良銭と交換することになるから、評定衆からはウチが損をすることになるけどいいのかという意見が出た。ただ、ウチが銅銭の鋳造をしていることはみんな知っているしね。海外領のこともあるのでそこは負担することにしたんだ。


 正直、今となっては悪銭や鐚銭の流入はもう止められない。となれば領内の貨幣価値を維持するしかないんだよね。ただでさえ暮らしの格差が開いて、同じ戦国時代と思えない様子になっているからね。


 商人には領内に出回る悪銭や鐚銭の流通を減らすため回収するよう努力させる。その代わり織田家の祭りに対してスポンサーになる際には悪銭や鐚銭での支払いを認める。これで商人も名を売れるからお互い利を得られるという寸法だ。


 こうでもしないと悪銭や鐚銭の駆逐は難しいだろう。


 まあ、この辺りはほとんどウチの私案をもとに決めたことだ。許容範囲内だね。


 最後に海運の保険業務を一部で行うことにする。これ実際は織田家というよりウチなんだけどね。保険料を払うことで船が沈んだ際には一定の補償金を出す仕組みだ。元の世界ではイギリスの保険組合が有名だけど海運保険自体は古代からあったんだよね。伊勢湾では以前と比較にならないレベルで海運が盛んになっているけど、悪天候の高波とかで相応に沈む船もあるんだ。


 その背景としては経済を回す必要はもちろんあるけど、肝心のウチにお金が溜まりつつあるんだ。朝廷や寺社への寄進も限度があるし、やり過ぎても良くない。そこでエルたちとも相談して、そろそろ次のステージに進んでもいいだろうという結論になったんだ。


 まあ対象は織田家が認めた領内の善良な商人や輸送業に限定するけどね。堺みたいに悪質な商人は保険金詐欺とか企みそうだからね。


 大評定は他にも倫理規定に当たる行動の規制などいろいろ発表して、夜まで行われることになる。




◆◆


 天文二十三年、一月五日。尾張清洲城では定例となっていた大評定が行われた。


 同日、斯波義信よしのぶが元服したこともあり、大評定はお祝いムードの中で行われたと記録にはあるが、斎藤利政の隠居と彼と西美濃四人衆の領地献上など歴史的に見ても大きな転換点と言えることがあった。


 特に斎藤利政は織田家臣従より前は目的のためには手段を選ばないところがあり、不忠者と呼ばれたとの記録もある。ただし、同時代の美濃守護家であった土岐家の内紛が酷い時代でもあり、利政としては美濃を守るには他に手段がなかったとも思われる部分もある。


 織田家臣従以降はそれまでと打って変わったように真面目に働いていて、『仏の弾正忠が蝮を改心させて白蛇に変えた』と巷で噂になったという。


 これを裏付けるように彼の隠居の際には、隠居後も役目を続けてほしいと息子の義龍に頼んだ久遠一馬の書状が斎藤家に残されている。


 また、斎藤義龍が後年にまとめた『斎藤家伝』には、利政が『わしの隠居をもって過ぎ去りしことをすべて忘れよ』と告げたとあり、彼が時代の流れをいち早く掴んでいたことが窺える。




 同年の大評定で織田家は領地制の廃止を正式に決めている。これにより徴税権と検断権は織田が『公儀』としてまとめることになった。


 また前年から試していた織田家による官製銀行が本格的に始まることとなり、この後の織田領の発展に大きく貢献することになる。


 銀行については久遠家が事実上差配したことのようで、当時金貸しで暴利を貪る寺社に対する対策であったとも言われる。


 久遠家が海運保険を始めたのもこの年からになる。類似する制度は世界に古くからあったが、日本圏の近代保険の礎を築いたのはこの時となり、現在は久遠総合保険として残っている。


 この年の大評定では斯波義信の元服記念の金貨と銀貨が発行されている。


 前年に織田家による金貨と銀貨の発行に続いてのものだが、この時の金貨と銀貨は久遠家が鋳造をしたもののようで、当時としては異例の品質となっている。


 金貨と銀貨の発行自体、現代と比較すると数が少ない。また当時の斯波家と織田家はあくまでも足利体制の守護の権限しかなく、貨幣を鋳造することは厳密には出来ないことだったために工芸品として鋳造している。


 現存数はそれなりにあるものの、基本的にはそれぞれの家で家宝となっていて市場に出回ることは稀である。




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