第1165話・親孝行
Side:柳生宗厳
父上と会うのは数年ぶりか。年始には戻るようにと殿には言われておったが、父上が戻らずに励めと言うので数年大和に戻らず役目に励んでおったのだ。
「息災なようでなによりじゃの。しかし恐れ入ったわ。尾張がこれほど栄えておるとは」
数年ぶりに会うた父上は、白髪も増えていささか歳を
「はっ、しかし父上。何故、興福寺の者が供をして参ったのでございまするか?」
ゆるりと話しておりたいが、その前に聞かねばならぬことがある。興福寺の僧兵が父上の警護として共に来るとは聞いておらん。
「大和を出る前に一声掛けたら、警護にと人を寄越してな。織田と誼を深めたいのであろう。伊勢は昨年から少し荒れておるとも聞き及んでおるからの。口実に使われたわ」
そういうことであれば仕方なきことであるな。大和において興福寺には逆らえぬ。昔は拙者も興福寺というだけで畏れ多いと思っていたからな。
もっとも今では興福寺というだけで盲信はせぬが。久遠家にお仕えしておると
まずは殿にお知らせしておくか。いかがするかは殿か織田の大殿がお決めになるであろう。
「旅をして尾張に来て確信した。そなたに尾張で別家を立てさせてよかったとな。今のところ領地は安泰だが、このような立派な屋敷に住めるような身分は大和ではあり得ぬ」
今も領地を守っておられる父上には申し訳ないが、すでに大和と尾張の実入りには大きな開きがある。父上もご存知のことであるがな。
「拙者はこれを機会に、父上、母上を尾張にお呼びしたいと思うておりました。殿には内々にお許しを得ております。誰か血縁の者に領地を譲ってはいかがかと。同じ家中に甲賀の望月家がおりますが、そのようにしております」
「わしが今更ここに来ても邪魔であろうに」
「あいにくと織田は人が足りぬほど。役目ならば幾らでもありまする」
父上がもっと領地にこだわるのならば言わずにおこうかと思うたが、尾張での拙者を認めてくれておる。ならば父上たちを呼んで家族一緒に暮らしたい。そろそろ楽をさせてやりたいのだ。その程度の実入りはある。
八郎様や出雲守様にも相談したが、領地を維持するならば誰に憚ることもないであろうと言われておる。捨てるとなると興福寺や主家である筒井家の顔色を窺わねばならぬがな。いっそ献上する形であれば、顔は立てられよう。その時は一族全ての同意が要ろうが…。
「返答は急ぎませぬ。お考えくださいませ」
「あい分かった」
父上もすぐに断らぬところを見ると思うところがあるのであろう。先祖代々守ってきた領地なのだ。こだわりはあるのであろうが、遠くないうちに土豪が領地を治めることはなくなるやもしれぬのだ。
それは一族の中では殿の下におる拙者が一番理解しておる。
それに……ないとは思うが、筒井家や興福寺が織田と敵対すれば父上は厳しい立場に置かれてしまうからな。
Side:柳生家厳
那古野にある倅の屋敷があまりに立派なことに驚かされた。広い屋敷を頂いたとは聞いておったが、これほどとは思わなんだ。
織田家のこと久遠家のこと、倅や久遠殿と文をやり取りしておるわしが恐らく大和で一番知っておるであろう。新しき国の治め方を始めておること、久遠家には日ノ本の外に広大な領地があること。
倅は今の乱れた世が変わるとまで言う。尾張に来るまでは信じられなんだが、足を運び、自らの目で見た今では倅を信じるべきか。尾張と大和との違いには驚かされた。
「ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じまする」
久遠殿に挨拶にきた。若い。二十歳を過ぎておるはずが、もっと若く見える。
「遠路はるばる、よくおいでくださりました」
噂で聞くよりも穏やかで拍子抜けするほどにも見える。
挨拶もそこそこに、さっそく歓迎の宴となった。大和ではお目にかかれぬ海の幸が並ぶのは食卓という台の上だ。これが久遠家の流儀なのか。
以前、興福寺に献上した際に騒ぎとなった硝子の盃や白磁の皿が、当たり前のように使われておることに驚きを隠せぬ。
興福寺の者らも同席を許されて共におるが、皆、いままで見たことがないほど大人しく、久遠殿を恐れておるようにも見える。
「これは美味しゅうございますな」
「海の魚の刺身だけは大和では食べられないかと思い用意しました。喜んでいただけたなら良かった。新介殿は今や当家に欠かせぬ男です。その御父上に喜んでいただけるようにと皆で考えたのですよ」
朝廷から官位も頂いた御方だというのに、こちらが困るほど腰が低い。興福寺の者らもそれに驚き顔を見合わせておるほどよ。三河の本證寺や伊勢の無量寿院のことも聞き及んでおったゆえな。
明日には織田内匠頭様と斯波武衛様とも目通りが許されるとのこと。一介の土豪相手にここまでせずともよいものを。
されど、胸中の懸念を払拭出来たというのが本音か。倅と柳生の者らが久遠家の皆様方と親しげに話す姿に心底安堵した。他国からの新参者がここまでよい扱いをされるなどそうそうあることではない。
子は親がおらずとも育つのだな。よい子をもったものだ。
Side:久遠一馬
石舟斎さんのお父さんを歓迎する宴は和やかな雰囲気だ。
嬉しそうであり誇らしげでもある。我が子が遠い国で立身出世を果たしている。嬉しいだろう。喜んでくれているようでなによりだ。
気になるのは興福寺のお坊さんたちか。藤原氏と縁が深いだけに藤原姓を称する織田との関係は悪くない。もっともあまり深入りもしておらず、柳生家を挟んで品物のやり取りがあるくらいだ。
本願寺のように直接の取り引きを望むのか? 現状だと柳生家を挟んだ取り引きだけで十分なんだけど。
まあ興福寺の相手は信秀さんにお任せする。オレが出しゃばる必要はないしね。
お刺身、湯引き、しゃぶしゃぶ。鮮魚を活かした料理が今夜のメインだ。寒い季節なので野菜と魚介の鍋もあるけど。醤油仕立てのあっさりとしていて出汁の利いたものだ。
お酒も金色酒だけでなく、清酒の熱燗とか梅酒のお湯割りも出してみた。皆さん遠慮気味に飲んでいるが、気に入ってくれたみたい。
お酒もね。この時代だと贅沢品だから。
柳生家に関しては、大和におけるウチの商品の仲介をしているので経済的には悪くないはずだ。とはいっても若い腕利きの男たちは尾張に来ているから、裕福な割に力がある状態ではない。
だいぶ前に信秀さんにお願いして興福寺に釘を刺してもらったんだよね。欲を出しておかしなことをする人が出ないとも限らない。ウチの影響で故郷が攻められたら申し訳ないしね。
今のところ上手くいっている。ただ大和柳生家は後継者問題が片付いてないんだけど。
石舟斎さんはそろそろ家厳さんに隠居をしてもらい、一家を尾張に呼びたいみたいだし、滞在期間中にそのことをしっかりと話すことになるはずだ。
望月さんもそうだけど、石舟斎さんも領地を引き払ってはどうかという考えもあるみたいだけど、現状では結構難しい。
オレの名前が売れたこともあり、ウチの家臣の実家というだけで厚遇され始めているからな。
せめてお父さんお母さんに楽をさせてやりたいという石舟斎さんの力になりたい。
どうなるかな。
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