第1166話・大和の者
Side:柳生家厳
「よい婚礼でございました」
斯波武衛様と織田内匠頭様に拝謁致して、倅の婚礼も恙なく終わった。
家中の婚礼は皆の慶事なのだというのが久遠家の慣例らしい。見たことも聞いたこともない料理や菓子の数々が出された婚礼は、大和ではあり得ぬほど見事なものだった。
なにより皆が祝ってくれたことが嬉しかった。余所者だと軽んじられることもなく、良かったと皆が言うてくれるのだ。父親としてこれほど誇らしいことはなかろう。
織田家と久遠家の力も改めて分かった。唐天竺の料理もあった宴の料理などは、すべて久遠家で用意してくれたものなのだ。さらに武芸の教えを受けておる織田の若い衆が、次から次へと祝いの品を持って参ることにこの国の凄さを見せつけられた。
上の者から下の者まで皆が大和とは違う。
「柳生殿は尾張に移ることにされたと伺いましたが……」
倅の屋敷は今日も祝いの使者で賑わっておるであろう。わしは久遠様に呼ばれた。暖かい部屋で茶を頂き、用件をうかがう。
「はっ、ご迷惑をお掛けせぬように致しまする」
「いえ、そうではなく、尾張に移るおつもりでしたら私から筒井家と興福寺に文を出しておこうかと思いましてね。形式として私が招くという形ではいかがでしょう? 大丈夫だとは思いますが念のために」
煩い年寄りが来ると懸念されたのかと案じたが、久遠様はそんなわしの懸念に驚かれて共におられる大智の方様と顔を見合わせて笑うてしまわれた。
倅と幾度か話したが、大和の家督と領地は次男の七郎左衛門重厳に譲ろうかと思うておる。武芸を好まず茶を嗜むような男であるが、今の柳生の里を治めるにはむしろあ奴の方が向いておろう。
それで進めようと思うておったのだが……。まさかこのようなことまで気遣いしてくださるとは。
「誠にかたじけなく存じまする。某に異存はございませぬ。良しなにお願いいたしまする」
大和の所領とわしの面目まで気に掛けてくださるとは。驚くべき御方だ。織田の家臣として振る舞っておられるが、ほぼ同盟者と言うてよいことは倅から聞き及んでおる。おかげで武衛様や内匠頭様までわしを気遣ってくれたほどだというのに。
「大和での商いのほうは引き続き柳生家に仲介をお願いします。それと私は大和にあまり伝手がありませんが、甲賀と伊賀は伝手があります。あちらにも文を出しておくので、所領も懸念はないでしょう」
そこまでしていただかなくてもよいとも思うが。争いを好まぬ御方だということか。
されど大和の領地も今では久遠家の荷を融通することで暮らしておるようなものじゃ。荷が途絶えると困るのは確かじゃが。
「某にお役に立てることがあれば、いずれなりともお申し付けくだされ」
「隠居をされてもよいのですよ。もちろん働きたいとおっしゃるならば喜んでお願いしますが。尾張に移られるまでにゆっくりと考えてください」
倅もゆるりとしてよいと言うが、次男ならばともかくわしはそのような生き方を知らぬ身じゃ。見たところ織田は忙しそうなのだ。某のような老いぼれでも役目のひとつくらいはいただけよう。
御恩を受けたならば奉公せねばならぬ。それが武士としての道であろう。
Side:胤栄
「新介殿、随分と立身出世を果たしたものだな。今や大和でそなたの名を知らぬ者はおるまい」
数年前からであろうか。大和において尾張という地の話が聞かれるようになったのは。柳生家の者が尾張にて仕官して武芸で名を上げたというのもそのひとつだ。
わしと新介殿はさほど親しいわけでもなく幾度か顔を合わせたのみ。されど互いに武芸に秀でた者として噂される身であったことから、気にせんかったと言えば嘘になろうな。
その新介殿が尾張で婚礼を挙げることになり、柳生殿が行くというので興福寺では護衛として人を遣わすことになった。
上はこの機に織田と誼を深めればと考えたようだ。織田は藤原姓を称しておるが越前の出であり興福寺との縁も所縁もなかったのであろう。また噂の久遠を家臣としてから日の出の勢いである尾張の様子も気になるのであろうな。
ちょうど今年の初めに師から免状をいただき、宝蔵院槍術を始めたわしは都合がよかったのであろう。柳生殿に同行をするように命じられた。
「運が良かっただけだ。殿に拾っていただかねばあのまま燻っておったであろう」
「ハハハ、良いではないか。されど筒井の者などはそなたの名を聞くたびに面白うないようだがな」
新介殿は以前とは変わったように思える。落ち着きが出たというべきか。今、手合わせをすれば勝てぬやもしれぬ。
他国で名を挙げるほどの男を従えられなんだとして、筒井はいささか面目を潰した。とはいえ柳生家としては従うておるのだ。文句も言えぬ。さらにあまり騒ぎ立てると度量の小さな男だと噂され、恥の上塗りとなるからな。
「父上には済まぬことをしたと思うておる」
「懸念には及ばぬ。織田が後ろ盾となり根回ししておるからな。筒井も愚痴をこぼす以上のことは出来はせぬよ。それに立身出世を果たすのならば筒井より遥かに良かろう。わしがそなたの立場であっても同じ道を選んだであろうよ。武衛様も内匠頭様も内匠助様も天下に通じる御方だ」
尾張の織田。一刻の勢いなのか、それとも天下にその力を示すのか。それは興福寺でもあれこれと噂されておるが、こうして尾張の地にくれば、自ずとその答えが見えるというものだ。
織田は、少なくとも戦に勝った程度でいい気になっておる三好とは違う。戦に勝つよりも国を治めるということに真摯に向き合うておる。
「興福寺も気にするほどか」
「堺のこともあるからな。多少は気にするさ。さらにあれだけ見事な品々を次から次へと世に出しておれば当然であろう」
新介殿は興福寺の名を口にしてこちらを見極めんと見ておる。互いに知りたいことは多いか。
「我が殿は信義を重んじる御方だ。正しき仏道を歩むならば興福寺に対して思うところなどなかろう」
信義か。確かに。民を救うは仏道の本分でもある。すっかり忘れておる者も少なくないがな。わしとて槍を持ち武芸に励むのは民を守るため。
興福寺は今のところ織田と争うつもりなどない。上もあまり気にしてはおらぬが。とはいえ、無視するには織田は少しばかり力を付けすぎのような気はするがな。
公方や管領はいかがするのであろうな。
また世が乱れねばよいがな。
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