第1164話・血縁の先

Side:柳生家厳


「なんと賑やかな湊だ」


 齢五十を過ぎて初めて大和を出た。倅の新介の婚礼のためだ。


 大和から伊賀を通って伊勢に入り桑名から黒い船で尾張に着いたが、海の広さに驚き、湊の賑わいに驚かされた。


 途中、伊勢の寺で一夜の宿を求めた折には、柳生と名乗ったことで新介の父だと分かると大層驚かれて歓迎された。秋に行われた武芸大会なるもので新介が名を上げたことは聞き及んでおったが、まさか織田の領国の外にまで名が知られておるとは思わなんだ。


「ここに来られる他国の方は皆、驚かれますな。ささ、案内いたしまする」


 蟹江という湊で待っておった久遠家の者に案内されて馬車なるものに乗る。織田の家紋があるものだ。周りの者らも一目置いておるのが分かる。


「これは硝子の窓か」


 馬車の中は炭で暖をとっており暖かい。湊は風が冷たいが、そのようなことを忘れるほどの心地よさだ。


 久遠家が贈り物としておるという硝子。それが窓板になっておることに我が目を疑った。畿内では硝子の盃ひとつあれば城がもらえるとの噂もあると聞いたことがある代物だ。


 当家にも久遠殿からいただいた盃があるが、決して割らぬようにと大事に蔵に仕舞っておる。


「新介殿の御父上が参られるというので、皆、楽しみにしておりました。某も新介殿には武芸を教わっておりましてな」


 案内役の者が楽しげに語る姿から、新介がここでしっかり励んでおることが分かると父としてはやはり安堵する。


「なあに某は大和のしがない土豪にすぎませぬ。新介ほどの武芸の腕前もありませぬぞ」


 馬車の中で案内役の者と話す。


 正直言えば、久遠家には頭が上がらぬ。興福寺を筆頭に筒井家など付き合いのあるところに様々な品を融通するべく、格別の配慮を頂いておるのだ。


 さらに新介の父ならば知らねば恥を掻くであろうと、珍しき品々や食べ物まで贈ってくださる。おかげで小領にもかかわらず大和で抜きん出るほど裕福になってしもうた。


 筒井家は先代が身罷られていかがなるか分からぬが、久遠家の配慮のおかげで柳生家は安泰なのだ。


 此度の新介の婚礼も、興福寺や筒井からは留守は案ずるなという心強い言葉をいただいたほど。聞けば久遠殿の猶父である織田内匠頭様が、以前興福寺に宛てた書状にわしのことを書かれておったとか。


 新介の縁組もあちこちから話があった。大和国内はもとより、いずこで聞きつけたのか摂津の三好家家中からもあったほど。


 新介は尾張で生きていく身故に、家を取り仕切ることになるさいは尾張からいただくことにしておると言うて断ったがな。そうでも言わねば角が立ってしもうたであろう。


「それにしても……、なんと豊かな地であろうか」


 ふと外を見ると一面に広がる田んぼと、なにかしらの賦役をしておると思わしき民が見えた。


 冬だというのに民があちこちで忙しげに働いておるのだ。無論、わしも倅と文をやり取りしておるので尾張のことは聞き知っておったが、こうして直に見るとまた違ったものに見える。


 世は広いのだな。




Side:久遠一馬


 信濃望月家から助けを求めるような文が望月さんに届いた。一言でいえば少しでいいので援助してほしいということらしい。


 元総領だった望月信雅さんたちが去って以降も、信濃では不作や実入りのない戦に駆り出されていいことがひとつもないみたいだ。


 それとあっちで役目のない一族の者をこちらに送りたいともある。


「大殿の許しが出たよ」


「はっ、申し訳ございませぬ」


 放っておいてもいいと望月さんは言ったけど、この時代の常識ではそうもいかないんだよね。血縁と一族の繋がりは元の世界と比較にならないくらい大切なものなんだ。信濃には援助として銭と米を送って、代わりに尾張に人を受け入れることになる。


 支援と言っても正直、たいした出費じゃない。それよりか下手に恨まれるよりはいい。


「信濃ね。真田殿たちも悩んでいるわよ。尾張にいてはなにも出来ないってね」


 この日はアーシャがあきらに会いに来ている。赤いジュリア譲りの髪を優しくなでつつ、尾張に滞在している武田家家臣のことを教えてくれた。そういえば真田家も望月家と同じ滋野氏の一族だったよね。


 信濃の国人の立場だと武田晴信と小笠原さんだと当然晴信を選ぶよね。強いし。ところがそこに史実にはない今川が介入したから地獄絵図になっているんだ。


 ただし真田家も晴信に恩義はあるものの、元の世界の創作ほどの優遇もされていないしあそこまで美化した忠義もないと思うんだけどね。


「某が言うのもいかがなものかと思いまするが、所領など捨ててしまえばと思わなくもありませぬな」


 望月さんは申し訳なさげにそう言うけど、実際には難しいよね。信濃の事を抜きにしても、望月家は甲賀にも所領が残っている。あっちは三雲家が甲賀から追放されて以降は特に問題もなく落ち着いている。


 実は望月さんとしてはもう甲賀の所領を六角家にでも献上してしまって、一族領民みんなで尾張に移住させてもいいと考えていたけど、三雲家追放以降、六角家が甲賀望月家を優遇し始めているので出来ないでいる。


 ウチの次席家老である望月家の存在価値は六角家でさえも軽くはないらしい。このタイミングで甲賀の領地を捨てることは出来ないだろう。


 ちなみに似た立場の滝川家は最初に所領を捨ててしまったので問題が起きてない。まあこれには資清さんと望月さんの知名度もあるんだと思う。


 忠義の八郎という名で都でも名前が知られている資清さんと違い、望月さんは有能な人としてそれなりに知られているけど、知名度では一歩劣るからね。


 出過ぎた杭は叩かれないというのは、ウチだけでなく資清さんも同じなんだと思う。


「銭で済むなら遠慮はしなくていいからね。血縁は大事だから出し渋ったら駄目だよ。オレも出すし、大殿も出してくださるそうだし」


「心得ております」


 うん。望月さんなら大丈夫だ。オレたちにとって大切なのは人の命や時間とか評判とか、お金では買えないものなんだ。


 信濃望月家の支援は非公式だけど織田家からも幾らか出してくれることになった。斯波家が信濃守護である小笠原家を支援していることもあるから、あまり大っぴらに出来ないけどね。


 望月さんもかなりの俸禄を貰っているのでお金に困っていないけどね。大変だろうということで信秀さんも助けてくれることになったんだ。この辺りは信濃云々というのではなく、望月さんへの気遣いなんだろうな。


 あとはこのあと何かあった時に恨まれないようにする予防線の意味もあるだろうか。いずれにしても大変だね。武田家は。


 そうだ、そろそろ石舟斎さんのお父さんが到着するはずだけど、どんな人だろうか? 文のやり取りは何度もしているんだけどね。実際に会わないと分からないことも多いからね。


 楽しみなんだよね。







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