第1161話・再会して思うこと

Side:京極高吉


 穏やかな日々じゃ。兄と家督を争うて以来、これほど穏やかな日々はなかったかと思うほどじゃ。諦めると楽になるとは我ながら情けないが、これもまた定めであろう。


「されど、まさか病であるはずの公方様が尾張にて御身分を偽っておられるとは……」


「先例から考えるとありえぬの。されどそれで世は治まっておる。元より己で動くことを重んじた御方だ。分からんでもない」


 三木は未だ信じられぬところもあるようじゃの。無理もない。わしとて幾度も顔を拝した御方でなくば信じなんだやもしれぬ。


 ただ、あの御方は我ら側近衆に疑念を抱いておられた。理由は管領であろう。あの管領を見ておると周りの者が信じられなくなられてもおかしゅうない。


 塚原卜伝殿のような縁も所縁もない武芸者を好んだのも、そんな我らへの不信が根底にあられたのであろうな。


 ちらりと三木を見ると落ち着かぬ様子で顔色が悪う見える。ここは清洲城にある南蛮の間じゃ。我らは久遠殿の招きで茶を飲むためにここに来ておる。表向きはな。


 椅子と卓というたか。日ノ本にはなかったものが置かれておる部屋だ。久遠殿が来るとわしと三木は頭を下げた。このようなものにしておるせいで、いかに振る舞えばよいか分からぬ。これはいかなる趣向であろうか。


「久しいな長門守。両名とも楽にせよ」


 上座に座られた上様の御言葉が、観音寺城で聞いた時よりも穏やかであることに胸を撫で下ろした。先日、久遠殿に子が生まれたというので祝いに出向いた際に、久遠殿が『いろいろ思うところもございましょう』と言うて上様との間を取りなしてくれたのだ。


 清洲城のこの部屋を使うたということは武衛殿も内匠頭殿もご存知のことであろう。とはいえこの男の力はすでにわしを遥かに超えておるわ。


 同席しておるのは塚原殿か。この男も随分と上様に肩入れしたものよ。


 茶が運ばれてきた。紅茶というたか、赤みのある茶で未だごく少量を久遠殿が持ち込む以外は誰も手に入らぬものだ。


「まさかこのような形でご尊顔を拝することになるとは思いませなんだ」


「先日は驚かせてすまぬな。尾張におるとは聞いておったが、まさか余の顔を知る者と会うとは思わなんだ」


 すまぬという御言葉に驚きを禁じ得ぬ。与一郎を始めとしたわずかな者以外は気を許さぬ御方であったはず。上様の詫びなど初めて聞いたわ。


「長門守、余はな。武衛や内匠頭、それとここにおる内匠助と共に、『この乱世を治めん』と思うておる。それがようやく見えてきたのだ」


 変わられた。まるで別人のように見える。わしを真っ直ぐに見つめ、自ら胸の内を話されるとは……。御不快ごふかいそうに、わしを見ておられたかつての御姿とまったく違うわ。


「足利の今までのやり方では駄目なのだ。父上や尊氏公以来代々の将軍が成せなんだことを余が成せるとは思えぬ。それ故に新たなやり方を探しておったのだ」


 静かだ。三木は上様を見たまま顔を動かすことも出来ずに固まっておるわ。


「京極殿も三木殿も冷めぬうちに茶をお飲みください。そう固くならずとも上様はご理解いただけますよ」


「そうだな。少し急いてしもうたな。師によう気を付けるようにと言われておるというのに」


 三木が少しゆるむように動けたのは久遠殿が声をかけたおかげか。これでも先代の大御所様と上様にお仕えしておったのだ。それなりに理解しておるつもりだ。


 されど、この男はとことんわしの考えを超えてゆくの。上様の御話に口を挟むなどあり得ぬことじゃが、上様が久遠殿に笑みをお見せになったことに身震いがしたわ。


 茶の湯とは違う、この澄んだ赤い茶の香りがまるで上様の御心のようにわしの心に染み入ってくる。


 この男か。上様の御心を足利の枷から解き放ったのは。


「飛騨も山が多く、治めるに難しき地であるな。師と共に一度行ったことがあるわ。都におれば決して分からぬことよ。三木と申したか。そなたも随分と苦労したのであろうな」


「ま、誠にもったいなきお言葉、きょ、恐悦至極きょうえつしごくでございます」


「余のことは他言無用だ。だがな。そなたらがこの先、いかに生きるかは好きにするがいい。長門守の仕置きは隠居で終えたのだ。左京大夫も隠居した後まで口を挟むまい」


 思えば天下人とて己の思うままにはいかぬのが世の常というもの。先例を重んじて、そこから外れると近習が皆でお止めするのだ。大御所様が身罷られても己の思うままに出来ぬことが不満であったのであろうな。


「上様……」


 尾張では虎を仏にしたのは久遠殿だという噂があった。虎に翼どころではない。虎を仏にするなど戯言と思うたが。


 管領はなんとも恐ろしき男を相手にしておるものだ。しかも当人はそのことを、いまだ知らぬのだからな。




Side:足利義藤


「二度と顔も見とうないと思うたのだがな。こうして会うと悪うなかった」


 京極と三木が下がると一息つく。これであのふたりはおかしなことはするまい。元より京極も己で歯向かうほど、肝の太い男ではないからな。


 もう少し不満があるかとも思うたが、家の存続で満足したのか。他国とあまりに違う尾張に毒気を抜かれたのか。オレにも分からぬがな。


「人が生き方を変えるというのは難しいですしね。京極殿も致し方なかったところがあるのだと思いますよ」


「城の中というのは外とは別物と某は思いまする。上様が世を知らぬように京極殿もまたほかの生き方を知らなんだのやもしれませぬ」


 一馬と師の言葉に、オレは改めて己の至らなさに気付かされる。


「一馬、長門守は上手くやれそうか?」


「前にジュリアも言いましたが、大丈夫だと思いますよ。必ずしも働く必要もありませんし。書画でも和歌でもお好きなことをされるといいです。働きたいというのなら役目は幾らでもありますしね」


 あまり好かぬ男だが、足利を支えておったのも事実。大人しく従うなら新たな道を進ませてやりたいものだ。


「細川次郎氏綱のことも考えてもよいかもしれぬな」


 長門守と会うてみて良かった。人は変われるのだと改めて気付かされたわ。


 実は三好から細川次郎を丹波守護に任じてほしいと文が届いておる。正直、細川京兆家の者らにはうんざりするので考えておったのだが、今一度機会を与えてもよいとも思える。


「三好殿が望むならいいかと思いますよ。当然、手綱は握るでしょう。それに未だ細川の力は大きいです。畠山もいますしね。あまり畿内、ことに京の都近辺が荒れると主上も嘆かれますし、上様の権威にも傷が付きます。六角と北畠は新たな取り組みを始めたばかりで、畿内を鎮めるには今しばらく時が要りますから」


 一馬の考えにもっともだと思う。しかしこの男、出来ぬと言いつつ天下も治められるのではあるまいか?


 学校で子らに武芸を教えておると分かるが、人は正しく教え導く者がおればこれほど変わるとはな。足利に足りなんだのは、左様なことだったのやもしれぬ。


「三好か。あの男ともいずれ腹を割って話さねばなるまい。都と畿内の面倒事を押しつけてしもうたからな」


 人を従え使う。同じことをするというのに、一馬はまったく違うことをする。


 父上、見ておられますか? 余は父上とはまったく違う道を見つけましたぞ。あの世でお叱りを受けるか、褒めていただけるか。楽しみだ。



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