第1160話・束の間

Side:無量寿院の僧


「ひとりも残らぬなどありえぬ。織田が根切りにしたか、南蛮崩れに奴婢ぬひとして売ったのではないのか?」


 織田から幾つかの末寺を返すと言うてきたので受け取るために人を送ったのだが、末寺の者どころか民のひとりもおらぬ地を返されたと慌てて戻ってきた。


 主立った者らが集められて話をするが、とうとう戦かと騒然としておる。


「いえ、そのようなこともなく。皆、織田に従うと出ていったようでございます」


 食い詰め者が出ていくことまではあると思うておったが、まさか皆で出ていくとは誰も考えておらなんだろう。


「たわけ! その場で即刻『織田が寺領の民に害を為した!』と、六角なり、北畠なりに使いを走らせぬか! 何故その程度の気も利かぬ! 出ていった先で如何に為ったかなど、誰も知らぬわ!」


「そう申すな。此度は尾張の末寺風情が勝手をしておるからな」


 織田の怒りを買うて、処刑・処罰されたのではと恐れおののく者がおる中で、尊き我らがままならぬことに怒り、理由を察した者の言葉に、怒りを抑えた者も別の怒りが込み上がり、皆が怒り心頭の様子となった。


 織田にそそのかされて我らに楯突く愚か者どものことだ。少し探ると、かの者らが皆で移り住むことをそそのかしておったのだと分かったらしい。


 上納するものを出しておるのだから口を出すな。奴らの言い分も分からんではない。他国には他国の事情があるものだ。


 されどこれはやりすぎであろう。


「いいではないか。小作人に『田畑を与える』と申せば、それでよい」


「だが末寺の地に行くにも織田の関所がある。織田は関所を減らした分だけ税が高い」


「ふん、夜更けにでも行かせればよい。あのような成り上がり者に払う税などないわ」


 ここまでくると退けぬと豪語する者の声が大きい。六角と北畠も内心では我らに心寄せており、織田が禁じる品をこちらに売って寄越しておることが気を大きくさせておる。


「されど、それをやれば我らの寺領の民が減りまするぞ」


 確かに田畑を持たぬ者に与えれば喜ぶはず。されど、寺領の民が減ると我らの動員する兵も減ることになる。織田が末寺を攻めるとそれぞれに撃破される恐れもあるのだ。


「民などいかようにもなる。我らはあのような下賤な者らと違う。真宗の総本山なのだ」


「とはいえ帝はこちらに味方されまい。近江公方を動かすには織田を超える贈り物がいるぞ」


 思い上がった者らでも我らには手を出せぬと思い込むのは勝手だが、織田の動きも決して油断してよい相手ではない。


 現に斯波と織田に分限ぶんげんを知らしめるために観音寺城の公方様に嘆願の使者を出したが、色よい返事がいただけぬと文が届いた。それどころか先代の猶子であった尭慧様が寺を去ったことで、側近に真智に寺を継がせればどうかと言われたそうだ。


 さらに尾張から公方様に年に幾度も献上品が送られておることも示唆された。このような荒れた世で忠義を尽くす斯波と織田を、公方様は『見処あり』と評価されておられるとか。


 側近衆からは『これ以上公方様に取り次ぐためには、天下に名の知れた真宗の総本山ならば分かるであろう』と言われ、献上品が足りぬと暗に示されたのだ。さらには長島の輩が運び手と為っており、『あれらは、よう働いておる。して、その方らは如何した?』と揶揄されたとのこと。


「強欲な者らめ。送ってやればよかろう」


「……織田は年に四度送っておる。さらに品々も多い。他所では手に入らぬ品から銭まで献上しておるのだ。あれを見て無下に出来ぬのも仕方ない」


 集まった者らが静まり返った。織田が帝や公方様に献上しておる品々を教えると誰もが言葉を失うたのが分かる。


 奴らとて無策で我らを敵に回そうとしておるわけではない。数年前から幾度も献上品を贈っておるのだ。その甲斐もあってか、次の管領は斯波家になると観音寺城下でさえ評判だという。


「飛鳥井卿を怒らせたのは失態であったな」


 ひとりの者が呟くと、あちこちで斯波と織田への怒りや不満が次から次へと出てくる。最早まとめられる者がおらぬのだ。織田に頭を下げても誼を持とうという慮外者らは大半が寺を去ったからな。


 さらに次の住持も一向に決まらぬ。尭慧様を支えておった者らも、関東は高田の専修寺からきた者らと当地である伊勢の者らの意見には隔たりが大きい。


 住持はそれなりの身分の家の者が望ましい。都から公家の子弟でも呼べぬかと人を遣わしておるが、飛鳥井卿を怒らせたことでうまくいかぬこともあり得る。あの京雀きょうすずめ共は噂で生きておるからな。


 我らと織田の争いで笑うておるのは本願寺であろうな。この先いかになるのやら。




Side:久遠一馬


 ジュリアの産んだあきら。生後七日には名前の発表と親しい人たちにお披露目をした。


 あとはお祝いに来てくれる人たちの応対と仕事で結構忙しい日々が続いている。


 少し驚いたのは京極さんが自らお祝いに来てくれたことか。結構な身分だし、家臣とかを使いとして出してくるかとは思ったけど、本人が来るとは思わなかったな。


 京極さんに関しては、菊丸さんと茶の席でも設けることにしているんだけど、オレが忙しいこともあって日程が決まっていない。塚原さんも同席すると思うけど、非公式の席なのでオレも同席してほしいと菊丸さんに言われているんだ。


「赤子は無垢で、その純な眼差しは、見る者の心を映し、心を洗う。真に良いな。人の上に立つ者はまずは赤子を育てることから学ぶべきやもしれぬ」


 この日も菊丸さんがウチに来ていて、大武丸と希美と遊びつつ輝の様子を見て楽しげにしている。大武丸と希美はよく遊んでくれる人として覚えたほどだ。


「きく、きく!」


 ふたりは菊丸さんを『きく』と呼んで懐いている。名前を呼ばれた時の嬉しそうな顔は忘れられないほどだったね。


「京極殿と会うなら、北畠の宰相殿とも会っておいたほうがいいね」


「北畠か。そういえばそなたらは親しいのであったな」


 大武丸と希美、そろそろ歩き始めてもおかしくないとのことで、最近だとみんな立って歩く練習をさせている。菊丸さんも大武丸の手を取り、歩く練習をさせながらジュリアも交えて今後のことを少し話している。


「味方は増やしておいたほうがいいよ。宰相殿ならアタシたちで推挙出来る」


 菊丸さんの様子は可もなく不可もなく。特に思うところもないようだが、北畠家とは接点があまりなかったからだろう。


「そうだな。一度会うてみるか。幾度か師の弟子として会うた男だ。悪い男でないのはわかる」


 菊丸さんの仮病、現状だと止められないんだよね。政治の中心が観音寺城になり、経済の中心は尾張。そして権威の中心である京の都を三好が抑えていることで奇妙なバランスが取れた状態になっている。


 仮病を止めると都に戻るのが筋だけど、それをやると義藤さんもオレたちも畿内のごたごたに巻き込まれることになる。細川京兆家の権威は健在だし、京の都にある五山とか宗教勢力は政治に深く関わる坊主たちも多く、彼らを遠ざけていられるのって病だからなんだよね。


 菊丸さん本人もあまり戻る気はないみたい。義藤さんのお母さんとか苦言を呈する人もいるみたいだけど、上手いこと安定した政治のバランス関係が出来ちゃっているからね。


 正直、畿内は戦乱に疲れているという感じもある。そういう意味では、病ながらに上手く治めている足利義藤の権威は先代の義晴さんの頃よりある気もする。


 束の間の安定なんだろうけどね。




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