第1157話・終わりと始まり
Side:朝倉宗滴
「そうか。大儀であったな」
真柄の悪童から尾張の様子を聞き出した。相も変わらず止まらぬか。
しわが増えた自らの手を見る。年々細り、年老いておるのだと実感する手じゃ。
東三河と飛騨が降ったことに驚きはない。むしろ寝返った東三河に対して今川が兵を挙げぬことに驚いた。今川もまた理解しておるか。織田と争えば先がないことを。
「わしは一向衆との戦い方を誤ったのやもしれぬな」
真柄の悪童は気になることも言うていた。関東は下野高田の地にある専修寺から本山を移したという伊勢無量寿院と織田が争うておるという話じゃ。
あれだけ領地が広がれば寺社とて争うこともあろう。されど織田の寺社に対する策は恐ろしいまでに巧妙じゃ。寺社から民の信を奪うなどわしでも考えつかぬことをするものよ。
我らとて加賀一向衆と戦をすれば勝つことは出来るが、時を経ればまた戦となる。その繰り返しじゃ。もはや坊主も信徒も根切りにするしかないと思うておったが、まさかあのような策があるとはの。
わしはもう歳じゃ。五年、十年先まで生きておるかわからぬ。されど殿はまだ若く、家中は己らの危うさを理解しておらぬ。
「止まらぬな」
孫のような歳の久遠殿の顔が浮かぶ。わしが育てておる鷹のことを熱心に聞いておった姿が忘れられぬ。知恵や技の使いどころを知っておる男じゃ。
寺社相手にああも見事に動くと、最早止められる者はおるまいて。
今川の姿こそ朝倉の明日の姿ではないのか? 意地を張り、力を蓄えて戦をする。そんなところじゃろうが。はたして織田は今川が望むような戦を受けるであろうか?
わしならば受けぬ。じわじわと追い詰めて臣従をと言いだすのを待つであろう。そのほうが無駄な血を流さずに済むからの。
変わった。すでに世は変わったのだ。公方様ですら尾張をお認めになっておられる様子じゃ。
いかがすればよい? 確かに斯波家とは因縁があるが、今まで多くの者が命を懸けて守ってきた朝倉の家をなんとしても残さねばならぬ。
たとえこの命を引き換えにすることになろうともな。今川の後手に回ることだけは避けねばならぬ。殿とよう話さねばならぬ。それがわしに出来る最後の務めじゃろう。
最早、時は残されておらぬ。
Side:久遠一馬
中伊勢にある北畠領ではプランテーションによる復興が進んでいる。そんな報告書を受け取ってホッとした。
この秋には大根の作付けをしていて、これも評判がいい。元から尾張の宮重にて自生していたものだし、探せば伊勢にもあるのかもしれないけど。とはいえ新品種を提供したという事実が重要なわけで、北畠や伊勢の人たちがこれで頑張ってくれるのならば、これ以上ない成果と言えるだろう。
伊勢でいえば沿岸部に対して海苔の養殖の指導もしている。見よう見まねで知多半島の養殖を模倣していたようだけど、謝罪とある程度の弁済で和解したことから養殖のノウハウを有償できちんと教えているんだ。
伊勢からは近江、大和や伊賀など海苔や魚介の販路はいくらでもあるからね。大型の網での漁業も順調で安価な煮干しや干したイワシは伊勢でも出回り始めているんだ。
結果として北畠領での織田への抵抗感や反感は急速に減りつつある。まあそこには戦っても勝てないのだからという諦めにも似た感情もあるんだろうけどね。
反対に伊勢で徐々に評判を落とし始めているのが無量寿院だ。織田と戦うのかと内心では期待した者も多かったのだろう。和睦で収めたことを評価する意見がある一方で、結局織田を恐れたのかと失望した人も多いみたいだ。
その背景には無量寿院との交渉の経緯や結果をかわら版や紙芝居で北畠領で知らせているんだ。かわら版は行商人などが各地に運んでいくし、紙芝居は以前から北畠領で続けている活動のひとつだ。無論、これは北畠家の許しを得てやっていることだけどね。
弱腰だとの批判は織田側にもあるけど、無量寿院側にもあるんだ。さらにろくに支援もしないで離れた末寺を返せと騒いだことで、自分たちの利益だけを追求する強欲な動きにも見えるからね。
勅願寺という権威と神仏の信頼で成り立つ寺社において、末寺やその寺領を救済したのは織田であり、無量寿院はろくに救けもしなかったという事実は、民を救済すべき寺社としての存在意義を揺るがし始めていると言っても過言ではないんだよね。
それに加えて織田が無量寿院とは絶縁しても、領内の高田派の寺には特になんの罰も与えていないことも大きい。
伊勢はとうとう長い戦国の世の出口が見え始めたのかもしれないな。
「かじゅかじゅ」
この日、ウチの屋敷はバタバタしている。ジュリアの陣痛が始まったんだ。遊びに来ていた吉法師君は、初めてのお産になんだなんだと驚くような様子になっている。
「殿方はどんと構えているものです」
お市ちゃんも急遽学校から駆け付けてきてくれた。お祭りかと少し騒ぎそうな吉法師君にお市ちゃんは落ち着くようにと言い聞かせている。
オレたちとお市ちゃんは似ている。お市ちゃんは戦国の世の価値観とオレたちの価値観の双方を学び理解しているからだ。出産に関してもこの時代のやり方とオレたちのやり方を理解していて助かる。
「ジュリア、大丈夫か?」
「大丈夫だよ。この程度ならね」
エルの時と違い、少し苦しそうなジュリアにオレは声を掛けてやることしか出来ない。ケティたち医師と侍女さんたちが万全の態勢で付いているんだ。
こういう時の男は無力だなと実感する。
「ジュリア、大丈夫だからな。エル、ケティ、姫様。ここはお願いしますね」
二時間ほど過ぎただろうか。信秀さんたちが来たというので出迎えることにする。
「アタシとこの子は大丈夫だよ」
男には男の仕事がある。まあ、挨拶をしてすぐに戻ってくるつもりだけど。
出産のための部屋を出ると、ロボ一家がお座りして待っていた。ああ、ロボたちも分かるのかもしれないな。新しい家族が誕生しようとしていることを。
ロボたちにもジュリアのことを頼み、オレは信秀さんたちを出迎える。
「いかがだ?」
そこには信秀さん、義統さん、信長さん、岩竜丸君、政秀さんを筆頭に武士ばかりか奥方衆や僧侶なども数多くが駆け付けてくれた。
生まれたあとのお祝いではなく、みんな心配して駆け付けてくれたようだ。なかなかないんだよね。この時代だとこういうこと。
「エルの時よりは苦しそうですが、順調なようです」
「そうか」
皆さんに説明するとひとまずホッとした空気が流れる。メルティの指示で、侍女さんたちがそんな皆さんにお茶と菓子を出していく。
集まった寺社の関係者の皆さんはいつの間にか祈ってくれている。
お互い本音で話し合いたい。オレがこの時代で始めたことのひとつだ。配慮することや慣例に従って動くのもいいだろう。
でもね。きちんと言葉にしないと伝わらない。そのことを真っ先に理解してくれたのは寺社の人たちだった。
無量寿院のことなどで、時には意見の対立もあった。それでも意義は大きいと目の前で祈る皆さんを見て実感する。
多くを望むつもりはない。無事に生まれて、母子ともに無事でいてほしいだけだ。
ケティたちのことは信じている。
でもね。最後の一押しとしてオレも祈ることで、どうかどうか無事に生まれてほしい。
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