第1158話・尾張の慶事と若狭の日常
Side:久遠一馬
ジュリアの出産は陣痛が始まってから五時間くらいかかっただろうか。これでも早いほうだと年配の人が言っていた。
生まれた子供は元気な女の子だ。
ずっと待っていてくれた皆さんにお祝としてお酒を出した。もう日が暮れているからね。皆さんには泊まってもらおう。
「本当に良かったよ」
「心配性だね」
母子ともに健康だと聞くと、ホッとして力が抜けた。生まれたばかりの我が子を抱くジュリアはお母さんの顔になっている。
ケティの許可も下りたのでロボ一家も部屋に入って、大武丸と希美やエルたちみんなで赤ちゃんを見ているところだ。
「名前どうしようかね」
男の子だったら幼名を信秀さんにお願いしようかと話していた。ただ女の子だと生涯使う名前になるので、自分たちで付けてやりたいとエルたちも交えていろいろと考えていたんだよね。
発表までにはまだ時間があるからもう少し考えたい。
落ち着いているのはロボとブランカか。新しい家族だと理解したのかお座りして見守ってくれている。対して大武丸と希美は生まれてきた赤ちゃんに喜んでいるようだ。
家族が増えたんだな。
落ち着いた赤ちゃんをそっと抱いてやると、まだまだ小さく軽いなと感じる。
希美やこの子が大きくなる前に日ノ本を統一して隠居したいな。この時代の武士に嫁がせることはしないつもりだ。欲しがる人はいるだろうけどね。
信秀さんにはちらりと話したことがある。血縁のために娘は出さないと。
統一したら島に戻って交易と海外領地の差配をしつつ、オレたちの生き方に従い賛同してくれる人たちと静かに生きていければと思う。滝川家や望月家は一緒に来てくれると思うしね。
「私が母なのでござるよ~」
「私も母なのです」
ちょっと将来のことに思いを馳せていると、気が早いすずとチェリーが赤ちゃんに顔を覚えさせようとしている。君たち、いくらなんでも早すぎるよ。
「殿、そろそろ皆様方のほうにも……」
「そうだね」
このまま子供たちと一緒にいたいけど、いつまでも義統さんたちを放置しておくわけにもいかない。あっちはメルティとセレスが相手してくれているけど。
エルに促されて赤ちゃんにしばしの別れを告げて広間に行く。
「無事に生まれて良かったの」
「ありがとうございます。ホッとしました」
皆さんにオレから改めて報告をすると、義統さんからお言葉をもらった。
こちらはすでに宴になっている。出生率も低く、出産そのものが元の世界よりずっと危険な時代だ。母子ともに無事だというだけでも喜ぶべきことになるんだ。
塚原さんと菊丸さんもこの場にはいる。塚原さんたちはジュリアの出産が近いからと尾張に滞在していたんだ。
あと、塚原さんには清洲の一等地に屋敷が与えられている。信秀さんが最優先で用意させた屋敷になる。
奉公人とか警護の人員は織田で用意していて、生活費なども織田が出すことになった。あくまでも客人だからね。塚原さんは。
オレは集まった皆さんひとりひとりにお礼を言って、お酒を注いでいく。当然、オレもお酒を注ぎ返してもらうので飲むことになるけどね。
こういう日頃からのコミュニケーションが大切なのはいつの時代も変わらない。
話題は先日の文化祭の影響もあって学校の話もある。特に学校に子供を通わせている人たちからは、いろいろと聞かれることも多い。
他にはこれからの織田領のことを聞かれた。このまま争いもなく国を治めていけるのか、みんな半信半疑なところがあるみたいだ。
子供たちには飢えるような暮らしはさせたくない。そんな思いは当然ある。
みんなで慶事を祝い、明日のことを話す。これもまた必要なことだ。赤ちゃんと一緒にいたいけど、今しばらく我慢しよう。
Side:若狭武田家家臣
「管領殿はいつまでおられるのだ?」
「知らん! わしに聞くな!!」
三好を叩いて都に戻ると言うていたのはいつのことであったか。あちこちに文を出して謀をするも、一向に都に戻る気配などない。
賊に押し入られ、腰を抜かした管領だと家中では笑い者になっておることも知らずに図々しいことこの上ないわ。
「公方様もそろそろ和睦をしてくださればよいものを……」
「今更、あの腰抜け管領殿など要るか? 家柄しか取り柄がない男ぞ」
噂だと公方様の細川嫌いは相当なものだとか。三好が主君と立てている細川氏綱ですら疎まれておるとのこと。氏綱は管領の代わりに細川京兆家の家督をと望んだらしいが相手にされておらぬ様子。
「次の管領は斯波殿とか。あちらは年に幾度も公方様に献上品を送っておるとのこと。公方様と斯波殿は機を見ておるのであろう」
このようなことになるのならば、年明けの時に賊と共に始末してしまえば良かったわ。公方様の御怒りが我らにも向けられておるのではあるまいな?
公方様が病で動けぬというので、長くないのではという噂もあった。さすれば次の将軍を擁立して管領が返り咲くことも考えられた故、我らも大人しくしておったのだが。
管領と共にやってきた者らの話では、公方様は己の力にて天下をまとめることを望んでおられた御方だとか。それが三好と和睦をして戦もせぬという事実に、よほど病が深刻なのだと言うておったのだ。
「丹波衆も不甲斐ない」
「三好長慶。あの男はなかなかの戦上手だからな」
管領の謀は見事に打ち砕かれた。丹波は三好相手に後手に回っておるし、周囲に三好を倒せる勢力はおらぬ。
六角は公方様を抱えておるからか高みの見物だ。その向こうの織田は畿内など関わりたくもないようで、六角と誼を深めて東に領地を広げておる。
織田と六角、それと斯波か。あちらももう少し荒れるかと思うたのだがな。増長する織田が面白うないのは同じであろうに。
斯波は管領待ちであろうな。管領の地位を得て織田を抑えていくつもりであろう。六角は代替わりしたばかりで今は動けぬというところか。
「先日など腹を下しただけで毒だと騒いでおったと聞く。さっさと出ていってくれればよいのだが」
管領らは最早、行くところなどないのだ。丹波にでもさっさと行けばよかったのだが、三好が恐いようで動かなかったからな。
管領は待っておるのであろう。公方様が身罷られることをな。
困ったものだ。
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