第1133話・第六回武芸大会・その十一

Side:塚原卜伝


 日も傾き、空は茜色に染まりつつある。酒も入り賑やかだった者もおるが、この試合だけは見ているほうも息を潜め静かになった。


 己の武芸にて天下を取るとまでは言わぬが、これほど分かりやすい形で己の力を示すことが出来ることは羨ましいとさえ思える。


 ましてや他流派の者と争うことなく、互いに切磋琢磨できるなど、ここでなくばあり得ぬことだ。


 己と向き合い、己の道をひたすら突き進むのもよかろう。されどこうして皆で修練を積むことでより高みを目指せるという場は、わしの若い頃にはあり得なんだものだ。


「さて、始まるの」


 いかなる試合を見せてくれるのか。年甲斐もなく高ぶってしまうわ。


 勝者に待っておるのは末永い名声ではない。また敗者にも負けという烙印が永久に押されるわけではないのだ。今年の試合が終われば、また来年の武芸大会を目指して鍛練をする。それだけのこと。


 わしはこの尾張という国に随分と魅せられてしもうたらしい。


「おおっ!」


 周囲がどよめいたのは先に動いたのが柳生殿だからか。昨年は場に飲まれた愛洲殿が攻めたが、今年は柳生殿が攻めに出たか。


 愛洲殿は体捌きで可能な限りかわしており、かわしきれぬ太刀だけを木刀でいなしておる。


「ふふふ、愛洲殿も律儀だねぇ」


「やはり、そう見るか?」


「新介は初試合だ。体も心も幾分温まっていない。それを愛洲殿が理解して付き合っているように見えるね」


 ジュリア殿がそんなふたりに笑うと周囲が驚いた顔をした。その訳を察していたのはわしだけであったらしい。


 そうじゃの。今のうちに勝負を決めれば愛洲殿に分があるようにわしも思う。最後の試合まで見ておるだけであった柳生殿と、真剣勝負に等しい試合を勝ち上がってきた愛洲殿ではいささか違いがあるとみる。


「あのふたり、楽しんでおらぬか?」


「そう見えるの」


 ジュリア殿とわしの言葉に驚きつつも試合から目を逸らさずに見ておる宰相殿と武衛殿は、少し呆れたような羨ましいような口調でそうこぼされた。


 武士としてこれほどの人に見られながらの試合など、未だかつてない誉であろう。特に宰相殿は常々この大会に出たいと願っておられる御方。武芸者の心情をよく理解しておられる。


「始まるね」


 いかほどふたりは木刀を交えたであろうか。一旦離れたふたりが息を整えるように動かなくなると、先ほどまでとは一転して様子が変わる。


 ジュリア殿の言葉に再び場は静かになる。


 先手は愛洲殿か。柳生殿に斬りかかるが、紙一重でかわすと柳生殿は一歩踏み込み反撃に転じた。


 ああ、双方ともに相手の力も技もおおよそ知っておるからこその動きじゃ。少しでも間の取り方を間違うと負けてしまう。


「なっ!!」


 声を上げたのは宰相殿か。愛洲殿が自ら避けられぬほど踏み込んだからじゃろう。これで決められねば柳生殿の次の一撃はかわせまい。


「なんだと!!」


 思わずわしも手に力が入った。柳生殿が木刀にて愛洲殿の一撃を刹那の際で逸らした。勝負ありかと思ったその時、愛洲殿が柳生殿の手を掴んでおった。


 まさか、そうくるとはの。わしも驚かされたわ。じゃが柳生殿はすでに鹿島新當流と久遠流の免許皆伝に相応しき力がある。陰流とて無手では久遠流に勝る技はあるまい。


 愛洲殿もこの一年で久遠流を学んだようじゃが、あえて自ら不利な戦いを望むとはの。


 柳生殿はすぐに木刀を手放して愛洲殿と組んだ。これも正しかろう。あの間合いでは剣はむしろ邪魔にしかならぬ。


 剣の最後の試合で互いに無手で組み合うとは奇妙な光景じゃ。


 最後の最後まで力の限り、互いの隙を窺うが……。


 動きに動くふたりが止まった時、柳生殿は茜色の日を背にしておった。いや、柳生殿はわざとそうなるように動いたのであろう。愛洲殿は夕日が目に入り、刹那の際、柳生殿の動きを見失ってしもうたか。


「一本それまで! 勝者! 柳生新介!!」


 互いに勝ちのみを望んだ試合ではなかった。流派の面目など関係なく、ただただこの試合を楽しみ、愛洲殿はあえて昨年敗れた無手での勝負に挑んだのじゃ。


 なんと……なんと……。




Side:ジュリア


 この武芸大会、一番楽しんだのはあの二人かもしれないね。勝ち負けの先を一切考えていなかった。


 勝つための試合ではない。相手より強くありたいという一心だけの試合だった。


 少し羨ましいね。


「ジュリア殿、今年は誰が代わりをするのかの? セレス殿か?」


「いや、セレスは出ないよ。代わりに弓で出たんだ」


 周囲の領民からはアタシの名を呼ぶ声がする。妊娠していることを知らない領民も多いんだろう。妊娠したことを教えているわけではないからね。遠方の領民は知らないんだろう。


「そうか、ならばわしが弟子として代わりを務めたいと思うが、いかがでございましょう」


「ちょっと先生!?」


 武芸大会も終わったと余韻に浸っていると、先生が思いもよらぬことを告げてこの場の皆が驚き視線が集まる。


「わしは構わぬが……」


 守護様もまた驚いているね。駄目と言えることでもない。とはいえ今まで一度も出ようとしなかったのに。


「では某が代わりを務めましょうぞ」


 嬉しそうに笑みを見せると、直ぐに支度をするとこの場を出ていく。驚き呆気に取られているのは弟子たちも同じだ。


「くっくっくっ、師も人の子ということか」


 宰相殿が面白そうに笑った。アタシはその言葉の意味を理解した。先生でさえも羨ましかったのだということを。


 会場の領民にも最後の手合わせを先生が務めると知らせると、大きなどよめきが起きた。塚原卜伝の名はすでに尾張では知らぬ者はいないだろうからね。


 公方様や宰相殿にも剣を教えたという話や、アタシとの勝負のことは半ば伝説化して噂話も交えて広まっている。


 試合が終わった新介も戸惑っているようだね。




 地平線に太陽が沈みつつある中、急遽、かがり火が用意されて先生が出てくるのを待つ。


 先生が姿を現すと観客が一気に沸いた。


 体力的には新介が圧倒的に優位だ。でも先生も普通じゃないんだよね。自身の衰えを誰よりも理解して、衰えに合わせた武芸が出来ている。


 長年の経験に基づいた勘と瞬時の判断力。この辺りは人生経験の差で若い新介に勝っているのは間違いない。


 形としてはあくまでも勝者に対する褒美のようなもの。弟子が師に挑むという形になる。とはいえ負けたらどうなるかと考えないとはね。先生も本当に武芸馬鹿のひとりだったってことかね。


 手合わせが始まった。新介が遠慮なく先生に打ち込む。技では勝てないことを新介も知っている。


 でもねぇ。


 人の限界に挑む、この時代にこれほどの男がいるなんてね。


 まるで楽しむかのように新介の猛攻をかわし、いなしていく。


「一の太刀か」


 先生の反撃はたった一度だけだった。伝説の一の太刀。新介の隙をつき、見事に決まったその一撃で今年の武芸大会が終わった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る