第1122話・第六回武芸大会

Side:尭慧ぎょうえ


 兄上がようやく尾張から戻られた。随分と帰りが遅いということで気を揉んでおったが、無事に戻られて良かったと安堵する。


「そなたら、織田と戦をする気か? それとも吾を軽んじておるのか?」


 あまりご機嫌が芳しくないことで皆が黙る中、兄上は不満げにそう口にされた。


「兄上、そのようなつもりは毛頭ありませぬ。いかがされたのでございますか?」


「吾に仲裁を頼んでおきながら、吾の許しもなく、裏ではこそこそと末寺に脅しを掛ける文を送った者がおるらしいな。武家相手に交渉する苦労を知らぬ愚か者がおるとはの。理解しておらぬようゆえ言うておく。向こうがその気になれば関白様や近衛公が出てくる。そうなればもはやそなたらの言い分など通らなくなるのだぞ」


 ああ、勝手をした者のことがお耳に入ったのか。されど言い分が通らなくなるとは、さすがに乱暴ではあるまいか。関白様らは道理も仏道も無視するというのか?


「織田は主上や大樹には折々おりおりの挨拶にと高価な献上品を欠かしておらぬ。戦もなく皆で飢えぬように励んでおると主上ですら喜ばれておるのだぞ。そのような勤皇の者らの面目と実利を朝廷が無視出来ると思うか?」


 兄上の話に顔色が悪うなる者や不満げに苛立つ者が多い。さすがに異を唱えることはせぬが、面白うないのは皆同じであろう。


 もっとも兄上の言い分もまた間違うてはおらぬ。道理や仏道ですべてまかり通るのならばこの世から争いはなくなる。そのようなことなどあり得ぬ故に、我らも戦ってでも守らねばならぬのだ。


 それにわしは亡き大御所様の猶子であるが、今の公方様とはあまり縁がない。公方様が織田贔屓だという噂を知らぬ者はおるまい。公方様とて我らにお味方くださるか分からぬのは確かだ。


「このあたりの寺領や織田領以外の末寺も酷いものよ。いずこも食べる物がなく、中には賊に寺領を奪われて困窮しておる所が多かった。末寺も民もそなたより仏の弾正忠の援けを望み拝んでおるぞ。内匠頭は坊主になどなる気はないと言うておったにもかかわらずな」


「お待ちください。兄上、末寺には我らも出来得る限りのことをしております」


「尭慧。そなたは寺の中に籠ってばかりで世の真の姿というものを知らぬようだな。六角領の末寺では飢えから民を織田領に逃がしておったわ。本山に援けを求める文を送っても一向に返事はなく、食べ物が送られてきたのは一度だけ、それも僅かな量しか届かなかったとな」


「そ、そのようなことがあるはずは……」


「無量寿院の寺領もそうじゃ。何故か、食えておる所と貧しき所に分かれておったわ。与えられた者と与えられておらぬ者の違いがあまりに大きすぎる。力ある者は己の昵懇の者だけを優遇し、そうでない者は冷遇する。与えた食料が途中で消えて誰かの懐が温まるなどよくあること。そなたらの言い分を鵜呑みにするほど吾の目は節穴ではない。見くびるではないぞ」


 兄上の怒気が込もった言葉に皆を見るが、誰も目を合わせようとせぬ。


 まさか……。それほどに堕落しておるというのか? 仏に仕える者が。


「斯波と織田のやることがすべて正しいとは言わぬ。されどな、なるべく民を飢えさせず寺にも務めを果たせるようにと配慮しておるのは紛れもない事実よ。かの者らも悩み苦労しておるのじゃ。一年もの間、民を飢えさせず末寺を助けてくれた織田に、対価も示さずに末寺を返せと強弁できるほど吾は厚顔無恥ではないぞ。本願寺は織田に五千貫出したそうじゃ。本證寺の不始末もあっての。そなたらは幾ら出す? あまりに少ないと世の笑い者となり、本願寺よりも劣ると自ら天下に示すことになるのだぞ」


 兄上はよく考えろと言い残してこの場を後にされた。


 自力本願のこの世で、織田はまことに他者を救おうというのか。あり得ぬ。下賤な銭で末寺を惑わしておるだけでないのか?


 皆を見て、答えを待つ。されど誰も口を開かぬのは何故だ?




Side:久遠一馬


 いよいよ武芸大会だ。といっても予選を含めて清洲では数日前から大会期間と同じくらいに賑わい盛り上がっているが。


 来賓としては昨日目立っていた六角や北畠以外にも、木曽、姉小路、願証寺、伊勢神宮、大湊の会合衆などがいる。本当は無量寿院も招く予定だったんだけどね。飛鳥井さんを一方的に呼んだことで今回は見送った。


 こちらとは話もしたくないというのならば呼ばなくていい。評定でそう決まった。


 戦を避けていたこともあり舐められている。それが不満だった人が多い。


 ウチの影響でだいぶ穏やかになったし、変わってきている織田家の皆さんだけど、本質は戦国時代の武士たちなんだ。その辺りには機敏に反応するんだよね。


 この件に関しては、正直ウチの方針が少し悪い方向に影響を及ぼしたと言わざるを得ない。


 なるべく穏便に話し合いをする。それはいい。だけど力で優劣をはっきり示しておかないと、無量寿院のようにこちらが無量寿院を恐れているとか、寺社の権威に屈しているとかおかしな受け止め方をする可能性があるということだ。


 武士だけじゃない。寺社だって簡単に挙兵する時代だ。別に本證寺がおかしかったわけではないからね。


 まあ、伊勢神宮の神官の皆さんは少し呆れていたけど。末寺に見限られる程度の寺ということや、欲張りすぎだというのが彼らの見方らしい。


 飛鳥井さんには武芸大会を見てほしかったんだけどな。忍び衆の報告では北伊勢を結構歩いてあちこち見て回ってから無量寿院の寺領に入ったようだ。しばらく向こうで話をするんだろうし来られないだろう。


「今年もみんな怪我とかしないで終わってほしいね」


 オレは今年も運営本陣にいる。見ているより働いたほうが性に合うんだよね。同じく信光さんも審判する人たちのまとめ役として今年も働くことになっている。


 他にもケティたちは救護班として、セレスたちは警備兵と共に働いているし、運動公園やその周囲には屋台や市も出ていて、そこでは清洲や近隣の農家の子供たちが今年も集まって働く手筈が整っている。


 あとリリーたちはウチの屋台を出しているし、近隣の寺社だって各地から集まった領民の宿泊所としてにぎわっていて、本当にみんなで盛り上げるお祭りになった。


 北畠家や六角家の皆さん、東三河の皆さんは驚いているだろう。この時代のお祭りとは規模が違うものになっているからね。


 東三河の皆さんには冬を越すための支援を送る準備はすでに整っている。臣従を認めることになっているからね。


 街道整備を中心にしつつも、西三河の矢作川の河川改修賦役などにも人員を投入する予定だ。冬の間に飢えずに食べて行ければ東三河が裏切ることはなくなるだろう。


 人口調査と検地も大切だけど、人手と時間が掛かるので領地があちこち広がり過ぎて順番待ちだしね。


 さあ、武芸大会の始まりだ。



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