第1121話・それぞれの面目

Side:飛鳥井雅教


 織田領から梅戸領へと入った。あれから織田領の末寺を回り、時には願証寺の末寺も訪ねてみた。いずこの寺も暮らしは楽ではなく、織田が食わせておる所も多かった。


「……これほどとは」


 梅戸領に入って最初に訪れた寺には目を背けたくなった。寺領の田畑は荒れ果てており、今年はなにも植えておらぬようじゃ。肝心の寺も焼け落ちたようで唯一残っておった本堂で僅かばかりの坊主が暮らしておる。


「お公家様。悪いことは言いませぬ。もう少し先を急がれて織田領に入られませ。向こうならせめてものおもてなしを受けられましょう」


 父上よりも老齢の坊主が吾を見てそう口にした。善意からであろう。寺は荒れていて人も多くない。追剥ぎなど無礼があれば申し訳ないというのであろうな。


「この有様はいかがしたのじゃ?」


「昨年の秋に起きた一揆のせいでございます。織田領から追われて逃げてきた一揆が寺領と寺を荒らしました。我らには防ぐ力もなく、また助けも来ぬまま……」


 そうか。梅戸と六角は助けなかったのか。とはいえ自力本願が当然といえば当然じゃ。助ける余力がなかったとみるべきじゃの。織田は万を超える兵を出したそうじゃが、六角はその半分にも満たぬ兵だったと聞く。近隣の国人や土豪もほぼ助けられておらぬからの。


「ここらはこのような寺ばかりか?」


「然様でございます。織田は飢えぬようにと援助しておるようでございますが、こちらは今までと変わりなく。ここらはいずこの寺も似たような有様でございます」


 聞けば動ける者は織田領に行けと送り出したという。あちらは働けば流民も食うことだけは出来るからと。されどそれではこの寺が立ち行かなくなるではないか。


「幾人かは残り田んぼを耕そうとしたのでございますが、六角方の者どもが寺領を奪ってしまい……。ここはもう終わりでございます」


 六角は捕らえた一揆勢を使い田畑を耕させておるらしいが、逃げ出した罪人どもが賊となり、寺と寺領を荒らしておるようじゃ。


「何故、本山に知らせぬのじゃ」


「知らせは出しましたが……、なんの返事もありませぬ」


 いかんの。これでは織田領の末寺が離れるのも分かるというものじゃ。残ってもこの有様ではの。無論、これが当たり前なのじゃが。されど織田が他所ではまったく考えられんことをしておるのじゃ。今までと同じでよいとは安易に言えんと思うがの。


 勅願寺ということで驕っておるのは無量寿院のほうではないのか? 道理だからと己の都合ばかり言うても仕方あるまい。


 まったく、難儀なことじゃ。




side:久遠一馬


 北畠家一行も尾張に到着した。六角、北畠両家からの出場者は北畠の愛洲宗通さんだけになる。


 これに関して言えば、こちらからは出場を勧めていないこともある。この時代の場合は負けたら家名や流派に傷が付き、自分ばかりか主家の恥になると考えるからだ。


 もっと言えば因縁が生まれ恥を掻かせられたと恨むこともあり得る。よほどの自信家や物好きで自ら出たいと考える人以外は勧められないのが現状なんだよね。


 織田家中ではそうならないように信秀さんが何度も言い聞かせていたり、ジュリアたちとか信長さんの武芸の師だった人たちが鍛練を通じて切磋琢磨させているという理由がある。


 なお、北畠と六角は血縁があるものの、当然ながら主要な家臣が一堂に会するなど前代未聞のことになる。互いに血縁がある者がいたりはするんだろうが、織田、六角、北畠と立場の違う大勢の武士が揃うと少し異様な雰囲気になっていた。


 とりわけオレは注目を集める立場なので大人しくしていたが。


「三河衆もなんというか、微妙だね」


「致し方ありませぬな。今川と織田に振り回された結果とも言えまする。もともと因縁のあるところもあれば、決して皆が上手くやっておったわけではないこともありましょう」


 明日は武芸大会本番ということで、今日は清洲城では六角と北畠を迎えて宴を開いて大いに盛り上げたが、それぞれの立場や派閥からかいつもの宴のように楽しい雰囲気とは到底言えなかった。


 オレと資清さんは揃ってため息をこぼしてしまうが、三河衆では義元の義弟になる鵜殿家は分家が来たが、あとは主要な国人はほぼ揃ったと思う。


 ため息をこぼした理由は、彼らが終始ピリピリとしていたことだろう。松平広忠さんや吉良義安さんもなんというか申し訳なさそうにしていたくらいだ。


 とはいえ彼らにも面目はある。東三河の国人は織田に臣従を求めているが、それでも毅然とした態度で己のプライドを維持しようとする。三河だってもともと東三河と西三河の地域間の対立や国人同士の対立など、ひとつひとつ挙げていくとキリがないほどの問題はあるんだ。


 そんな微妙な三河の情勢が、そのままピリピリした雰囲気になっていたようなんだけど。


「かようなものであるの。わしはむしろ尾張や美濃の者らが珍しいと思う。同じ家中とはいえ気を許せぬことも珍しくあるまい。織田は客人が多いこともあり慣れたのであろうがな」


 困ったもんだと少し愚痴をこぼすと、卜伝さんに苦笑いされた。


 まあ、それがこの時代の武士なんだろうな。社交性とか外交とか理解していない武士が多い。三河の場合は長いこと国をまとめた人がいないので、余計にギスギスしているんだろう。


 織田に臣従するにしても頭を下げるのは信秀さんやその主君の義統さんに対してであって、その家臣に対してではない。それも間違いではないんだけどね。


「ほう、吉岡の弟が来たのだな」


「ああ、わざわざ都から訪ねてこられたんですよ」


 一方、本選出場者リストを見ていた菊丸さんが驚いたのは、都から吉岡一門の吉岡直光さんが来ていて本選に勝ち進んだことか。


 上洛の際に兄の吉岡直元さんとは会っている。家伝の染物業を営んでいて都で道場を開いているんだよね。ただ、この吉岡直光さん。史実では義藤さんに剣術指南役として仕えた人でもある。


 だけど義藤さんが病ということで都に行かないこともあり、この世界では直光さんは未だ主を持たず染物業と道場で暮らしているらしいが。ちなみに史実で宮本武蔵が一乗寺下り松で戦った相手は直光さんの息子らしい。


 史実の有名どころで今年新しく参加したのは彼くらいだ。六角家にも相応に名の知れた人はいるんだけどね。たとえば弓術で日置流の吉田重政さんとか。


 まあ、出るわけないよね。負けたら面目が立たないから。


 北畠家の愛洲さんは具教さんが渋る中を口説き落としていたことと、いつまでも亡くなった父親のことばかり褒めたたえて、自身を未熟者だと囁く兄弟子たちに嫌気が差して出たと前に聞いたことがある。


 あの人、今でも尾張に来て武芸の指導をしているからなぁ。どちらかと言えば尾張での指導のほうが楽しいらしい。


 あと去年の活躍した奥平定国さん。彼も出場していて本戦に勝ち進んでいる。ちなみに彼は、今年は三河亀山城の奥平本家と不仲で半ば絶縁していた兄たちやその息子が来ていて、違う意味で苦労しているが。


 その奥平家も臣従をしたいと言っているんだ。まあ織田家での彼の後見人は政秀さんなので大丈夫だと思うけどね。



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