第1040話・花火も終わり
Side:久遠一馬
花火が終わって数日が過ぎた。招待客もボチボチ帰り始めている。当主代理の場合はそこまで長居せずに帰っているんだ。
なんか飛騨の三木家があちこちに贈り物をして顔を売っていたが、姉小路家が戻ると一緒に帰っている。
「教養がある人じゃないと困るみたいだね」
「和歌を詠めと言われても困りますからな」
資清さんが苦笑いしているが、代理がさっさと帰ったのには訳がある。公家衆は花火後もお茶会や歌会などしているが、それに参加するスキルがないからだ。今川とか朝倉の家臣はさすがに教養がある人もいるが、信濃の小笠原家、木曽家などの代理はそんなスキルがない。
先ほどの三木家、当主が来ていて顔を売ってアピールしたいみたいだったが、そっち方面は全然駄目みたいで花火の前のお茶会や歌会では小さくなっていた。
ああ、具教さんも早めに来て尾張を視察していたこともあり、一足先に帰っている。代替わりしたばかりだし仕事も大変なようだ。
「橘屋三郎左衛門でございます。拝顔を賜り恐悦至極に存じます」
それはいいんだが、真柄さん、越前の公家衆と一緒に帰るみたいで挨拶に来た。武芸大会に出ないのかと聞いたが、その前にまた来るんだとさ。
せっかくだからお土産でもあげようかと、帰る前にもう一度寄ってほしいと言うと、ひとつ頼まれごとをされた。朝倉家の御用商人と会ってほしいそうだ。あとは先日宴の時に聞いたが、朝倉延景さんからも珍しいものがあれば買ってくるようにと命じられたんだとか。
御用商人、誰なんだろうと思って名前を聞いたら、微妙に聞き覚えのある人物だった。史実で朝倉家滅亡後に織田に従った商人として名が残っていたからね。
真柄さんと宗滴さんとの誼もあるのでオレが直接会うことにしたが、随分と堅苦しい挨拶をされた。官位の影響って凄いね。
「越前の橘屋といえば、薬や酒を扱う大店ですな」
商いの話かと湊屋さんを同席させたが、名前を教えると扱う品くらいはすでに知っていた。さすがは元大湊の会合衆だけある。
「酒と薬か。値が張ってもいいのならいろいろと融通出来ますよ。薬になる品はあとで湊屋殿とでも話してもらうとして、金色薬酒と梅酒なんかはどうかな? 金色薬酒は身元が確かなところにしか売っていませんし、梅酒も越前には朝倉家に贈っただけだったと思う」
宗滴さんと真柄さんの顔は潰せないしね。薬関係は一部の劇薬になるものでないのならば売ってもいい。あとは酒か。金色薬酒、これも人気があって需要はあるが、薬という扱いなので身元がはっきりしているところにしか売っていない。
梅酒はそうでもないんだが、生産量があまり多くないのと氷砂糖を使うことや原料のホワイトリカーの値段を高く設定しているので、一般の商人には売っていないんだよね。
しかし、御用商人に薬屋さんを寄越すあたり、宗滴さんの凄さを感じる。これで武器屋とかだと困るけど、薬ならウチの一存で売っても問題がない。
「まことでございますか!? 無論、言い値で構いませぬ」
金色薬酒と梅酒と聞いて顔色が変わった。金色酒はさすがにそれなりに広まりつつある。今でも品薄なのは変わらないが。
ところが金色薬酒と梅酒は主に義統さんや信秀さんが贈答に使うか、六角とか北畠とか三好とか友好関係のあるところにしか売っていない。ああ、石山本願寺もあるけど。
あと梅酒はね。北条でも造って売っているので、値が下がらないようにしているのもあるけど。
「真柄殿は尾張の焼き物をいかがですか? あれも値が張りますが、他ならぬ真柄殿ですし、いくらでも構いませんよ」
橘屋さんを紹介するために一緒にやってきた真柄さん、あまり興味がないんだろう。他人事のようにオレと橘屋さんの話を聞いているだけなので、少し巻き込んでやろう。
「はっ!? ありがとうございます」
やっぱりわかってないね。普通に驚いているよ。ここでなにを持って帰れるかで、真柄さんの越前での立場が変わる。
尾張産の磁器でも買って帰れば、延景さんも満足するだろう。いろいろ新作もあるし、出来のいいものは基本贈答用か友好関係のあるところにしか売ってないし。
結んだ縁は大切にしたい。真柄さんには大きな顔をして帰れるようにしてやろう。
Side:橘屋三郎左衛門
真柄の悪童は最初あまりいい顔をしなかったが、久遠様の家臣でもいいのでと頼むとなんとか久遠様に取り次いでもらえた。
久遠様はあまりご自身で他国の商人とは会わぬとか。大湊の会合衆から取り立てられた湊屋殿に任せておるとの噂は知っておる。さすがに無理かと思うたが、意外にすんなりと目通りが叶った。
若い。真柄の悪童よりは年上のようだし、二十歳を超えたと聞いておるが、まだ十代だと言われたほうがしっくりくるほどの容姿だ。
屋敷は畳を敷き詰めておるところは驚いたが、それ以外は取り立てて贅を尽くしたようなところは見られない。
久遠様に疎まれると商人として終わりだ。かつて畿内ばかりか日ノ本でも有数の町だった堺の現状を知る者は、皆がそう口にする。
下手をするとわしの首ばかりか一族郎党の命がない。そう覚悟して参ったが、あまりの若く温和な様子に驚かされた。
「お気遣いいただきありがとうございます」
「これもなにかの縁だから」
もうひとつ驚いたのは久遠様が真柄の悪童と親しげに話しておられることか。まさかこの悪童が気に入られるとは。武芸が好きなのか? 真柄の悪童が活躍した武芸大会とやらも久遠様の考えられたものだとも聞いたな。
しかし金色薬酒を売ってもらえるとは思わなんだ。先代の公方様が死の間際に飲まれて楽になると仰せになったという噂があるもので、越前でも欲しいという声があるが、手に入らなかったものだ。
宗滴様は織田から贈られて飲まれておると聞いたことがあるがな。
「真柄殿もいるので大丈夫でしょうが、橘屋殿も帰りの道中には気を付けて。美濃まではいいですけど、北近江が少し大変だと聞き及んでいるので。当家の荷をもって帰ったと知れると、狙われることもあり得ます」
「はっ、ありがとうございまする」
最後にすっと血の気が引く気がした。尾張におられて北近江三郡のことをすでにご存じなのか?
朝廷から官位を得ておる身分でありながら、決して威張る素振りもないのも恐ろしく感じる。関白様や近衛様などとも親交があると噂もある。もっと恐ろしい御仁かと思うたのだが……。
商人として多くの者と会うたが、これほど恐ろしいと思うたのは宗滴様以来かもしれぬ。
朝倉家はこのような御仁を相手に如何する気か?
宗滴様ならばよかろう。宗滴様ならばな。されど……。
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