第1039話・都にて
Side:近衛稙家
「尾張では花火を上げておる頃かの」
ふと東の空を見てしまう。見えるはずがないというのに。
昨年、尾張に共に参った関白らを呼んで、ささやかな宴を開くことにしたが、皆、あの短き尾張での日々を懐かしんでおる。
「都を、天下を目指さぬ者らか。分別を弁えておるとみるべきか。それとも……」
金色酒の盃を干した関白がそんな一言をもらした。左様、己の分別を弁えておるように見えるが、見捨てることも辞さずという本音もあろう。特に今の武衛は、内匠頭が清洲を落とすまでまことに傀儡であったと聞く。
誰も己を助けてくれなんだという思いが強かろう。内匠頭と内匠助という乱世の英傑と異才に出会い、武衛は己の道を定めたのやもしれぬ。
耳を澄ますと虫の声が聞こえる。花火の音も賑やかな民の声もない。にもかかわらず目を閉じると花火が見えて、あの賑わいが聞こえるような気がする。
「鰻は美味いの。これを食えば尾張を思い出す」
三条公は宴の料理にと出した鰻を懐かしそうに食うておる。西国の周防も行けば、尾張にも行った男じゃからの。思うところもあろう。
周防は亡き大内卿を慕うておった者らは遺言に従い尾張へと行ったこともあり、かつての栄華の見る影もないほど寂れておると聞く。
都では下魚として見向きもされなんだ鰻が上魚となり、一気に値が上がった。人の欲とは恐ろしいものよの。内匠助や大智が都のためにと利を捨てて広めてくれたもので、愚か者どもが儲けようとする。
今では近隣の川ばかりか、近淡海の鰻が大津から高値となり都に届く。そのことに主上が御心を痛め、
決して口には出されぬが、尾張に
三好も悪うないが、織田と比べると物足りぬのが本音じゃからの。
『いっそ尾張に都を…、
「尾張から線香花火が届いておる。皆で楽しまぬか?」
「おお、それはようございますな」
ふと見渡すと尾張を懐かしむばかりで、いささか気落ちしておる者もおる。尾張から届いた線香花火でも皆でするか。
ああ、この花火もよいの。優しく儚い。
Side:久遠一馬
今年は昨年に引き続き、黄色や青色の花火を打ち上げた。基本であるオレンジ色の花火もいいが、色が変わると人々の反応も変わる。
今日は海も穏やかだ。水軍衆は久遠船で見物しているだろう。特に伊勢志摩の水軍衆には見物に来るようにと誘った。お互いに交流していくことがもっと必要だからね。
今年初参加になる真柄さんとか、無量寿院の高僧や木曽家の皆さんは唖然としているが。初めて花火を見る人はたいてい驚いて固まるね。
そうそう、北条と三好が縁組を考えているらしく、尾張で双方の家臣が話し合いをしているみたい。これは史実にはなかったことだ。どうも北条家の娘を三好長慶さんの嫡男である義興さんに嫁がせる方向でだいぶ話が進んでいるらしい。
形式としては幕府政所執事である伊勢家の養女となって嫁ぐらしいが。
北条も中央との繋がりを求めたんだろうね。こちらとの誼は深まっているが、その一点張りというのも危ういと思ったか。
三好も伊勢も立場が微妙だ。堺の没落で経済の中心は尾張に移りつつある。義藤さんは良くも悪くも三好と都に興味や未練がなく、その行く末も
三好は六角とこちらが組んでいるのではと警戒している動きもある。伊勢家の伊勢貞孝。オレは彼と会ったことはないが、都で三好と共に幕府の政務をしているはずだ。
晴元派ではないらしいが、義藤さんとも微妙な距離がある人物だと以前聞いたことがある。彼ももしかすると、斯波管領六角政権を警戒しているのかもしれない。
北条の娘って誰だろう? まさか史実で今川氏真に嫁いだ早川殿か? 史実では仲良かったと聞くが、現状だと今川と北条の婚礼はないと思うんだよね。
まあ、このあたりはもう少し情報収集をする必要があるな。あとで望月さんに頼んでおこう。
「駿河の公家、少々寂しくなっておるようじゃの」
花火もそろそろ終盤に差し掛かる。オレは信秀さんや義統さんと一緒に見物している。ここにいるのが一番ゆっくり見られるんだよね。ふたりとも身分も力もあるから、周りも気をつかうし。
そんな中、義統さんの言葉に信秀さんが微かに笑みを浮かべた。
「周防のこともあるのでございましょう」
確かに今年は駿河から来た公家が去年までと比べると少し少ない。あまり気にしていなかったが、駿河に滞在している公家は減っているんだよね。信秀さんの言うように、公家だからといって安全とは限らないと改めて理解したこともあるだろう。
そもそも今川自体が落ち目というか危ういのではと見る人もいる。駿河に骨を埋めるつもりだったり、帰る場所がすでに都にない公家は駿河から動かないと思うが、数年滞在して戻ったりする人も普通にいる。
いつの間にか駿河から越前に移った公家もいるみたいなんだよね。
この世界だと、後世で史実のように今川が評価されることはないのかもしれない。太原雪斎さんは別だろうが、義元は評価が微妙になりそうだね。
「おおっ!」
「なんと美しい」
義統さんたちと話していると、一際大きな周りの声が聞こえた。今年の新作である二色の色を混ぜた花火が打ち上がった時だ。
驚いてくれたらしい。
「これは……」
「当家の氷菓子でございます。牛の乳を使ったもの。溶けぬうちにお召し上がりください」
そろそろだなと思っていると、宴の締めにとアイスクリームが運ばれてきた。今年はバニラアイスになる。
「……今年も氷菓子があるのか」
「いやはや関白様らがおられぬというのに……」
公家の皆さんが驚いている。確かに去年ほど身分の高い人はいないけどね。身分が低い公家だからと軽んじられたとか言われても面白くないし。
「なんともよい味じゃの」
「贅沢なことよ。花火といい氷菓子といい、尾張でしか得られぬもの」
牛乳の味がわかるように作ったバニラアイス。美味しい。今度子どもたちにも振舞ってあげよう。
織田家の女衆の花火見物にも同じくバニラアイスを出しているはずだ。あっちも喜んでくれているといいけど。
さて、今年の花火の様子を聞いて、宗滴さんや雪斎さんはどうするかな?
相手は史実の偉人だ。決して油断出来る相手じゃない。
こちらは手を抜くなんてする気はない。
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