第1041話・リースルの懸念と菊丸の思い
Side:久遠一馬
公家衆がそれぞれの駿河と越前に戻ると、ようやく尾張は平常に戻る。
尾張の織田家では熱田祭りと花火大会の報告が上がってきている。毎年改善しているが、それでも新たな問題点と課題が浮き彫りになる。
オレたちにはこの時代より遥か先までの歴史という膨大な知識と記録がある。その視点で見ると事前にわかっていた問題点や課題もあるが、致命的なもの以外は細かく指摘していない。
ひとつひとつ学び失敗しながら経験することが、なにより織田家のみんなに必要なことだからだね。
また細々とした問題に関しては解決が難しいこともある。犯罪などはその典型で、いくら文明が発展しても人が人である限りなくなることはないだろう。
領外からの人が多く、領民も動くこの時期は犯罪が多発する。織田領の領民は他所よりはマシだが、ほんの数年前まで好き勝手していた戦国の人間だ。血の気も多いし、トラブルも多い。
「このままでは遠からず限界が来ます。日ノ本は広く、当家の所領を合わせるとさらに広大になります。そろそろ新たな形を模索するべきです」
「そうか、リースル。悪いけどみんなで相談して試案としてまとめて。急がなくていいからなるべく多くの人の意見を聞いて」
それとリースルからは、町単位でまとまっている物流と既存の商人の連携不足を指摘された。織田も大きくなり尾張は誰もが驚くほど発展している。それでも日ノ本の経済の中心となるにはまだまだ足りないものが多い。
「それと伊勢の桑名、安濃津はすぐにでも整備するべきです。津島、蟹江、熱田に商いが集中し過ぎです。なにかあれば共倒れになります」
「共倒れでございますか?」
「地揺れや津波に野分。天変地異はいつ起きるかわからないのですよ。八郎殿。伊勢は近いのでなにかあれば同じく被害を受けるかもしれませんが、それでも助かるところがあるかもしれない」
エルたちとも前々から話していたことでもあるんだけどね。尾張の発展は一極集中し過ぎていると。今までが未開だったことで最優先事項だったんだけど。さらに伊勢が他国だったからね。今までは手を付けられなかった。
それと桑名に関しては織田家中では未だ警戒する声も多い。北畠に関してもね。安濃津は内陸部が北畠領になるからな。
ただここで考えなくてはならないのは、経済の発展と今後の需要など見通せているのはウチだけだ。尾張の商人でさえ見通せていない。
「堺がもう少し大人しゅうしてくれておれば良かったのでございますが……」
今後の見込みを大まかにだが知っている湊屋さんは、リースルの言葉に少し困ったように唸った。
畿内にはまだまだ大きな町もあるし商人もたくさんいる。とはいえ堺の力が落ちたことと、良銭が未だ尾張を中心に離れれば離れるほど手に入らなくなるのが現実だ。
良銭を求めて、畿内から尾張にわざわざ品物を売りに来る商人だっている。三好に堺銭の問題点を教えて改善するための錫の提供を申し出たが、未だに動いていないことも大きい。
堺は未だに反斯波、反織田で会合衆は固まっているからな。銭の鋳造をやらせるにしても一筋縄ではいかないらしい。
三好はウチと違って、商人や職人を直接管理してなにかやらせるノウハウもないしね。それと堺、形式として幕府の自治領なんだよね。あそこ。
それと本来、銭を調達するのは幕府の役目なのだが、肝心の幕府に銭の調達能力がない。またウチや織田家のように勝手に密造しているところも少なからずある。とはいえ三好が大々的に銭の鋳造をするには幕府の許しもいるだろう。
無論、三好もいろいろ検討をしているようだが、もうすぐ一年になるというのに具体的な動きは未だにない。どうしたことか。
まあ、それが今の時代の世の中の動くスピードでもあるんだから、仕方ないのかもしれないけどさ……。
Side:菊丸
「塚原様、花火見た?」
「ああ、見たぞ。あれは凄かったの。仏様も驚いたであろう」
学校の武道場にて子らに剣を教えておった師が、子らの問いに嬉しそうに笑った。
年始のうちにオレは師に文を送り、美濃や伊勢を旅しながら花火大会に来られぬかと待っておったら来てくれたのだ。伊豆まで行くと織田の船が来るのでそれで来たらしい。
無論、武衛や一馬には居場所を知らせているが、師は元来あまり目立つことを好まぬ。公家衆や近隣の者らが集まる場に出るよりはと、オレと弟子たちを連れて少し離れた村から花火を見ておったのだ。
公家衆が帰ったと聞き、何食わぬ顔で師は清洲城に出向いて、しばし尾張で武芸を教えることにしたらしい。
「仏様でも驚くのか」
「仏様ならば同じことも出来ようが、人があれほど見事なことをするとは思うまい」
尾張の民の中には花火を見ながら拝む者もおった。仏の弾正忠はまことに仏の力を使えると信じておる者もおるとか。
花火が並ぶもののなき見事な技であることは確かであろう。されど恐ろしきは、それで数多の者に夢を見せて信を得ておることか。
一向衆が織田の地では大きな力を得られず、大人しゅうしておるのもわかるというもの。己らよりも仏に近いと思える者がおるのだからな。
「菊丸よ。そなた、よき顔をするようになったの」
見上げるとお天道様が見える。子らと別れしばし休息をしておると、師がこちらを見て声を掛けてきた。
「今でも迷い悩む日々でございます」
「かっかっかっ。わしとて同じよ。日々衰えるこの身に悩み、世を見て悩み迷うこともある。鹿島とて尾張と比べるとあまりに鄙びた地。尾張の真似をしたくとも出来ぬ」
始めは世を知り己を知れば、もっと己の進むべき道が見えると思うた。されど見えた先にはさらなる悩みがある。オレはそれも己が未熟なればこそかと思うておった。ところが師ですら悩むと聞いて驚きと同時に納得した。
「一馬らも悩んでおるのでしょうか」
「悩んでおろう。わしやそなたとは違う悩みであろうがな」
見えた先にも悩みがある。尾張ばかりか日ノ本の光にならんとする一馬らの悩みは如何程のものであろうか。仮にも将軍として生まれたのだ。背負うものの重さは理解しておるつもりだ。
オレは……。
「鉄砲や金色砲も花火も同じ玉薬か。武芸も同じなのであろうな。人を殺めもすれば救うこともあるが、もっと違うこともあるのやもしれんと思う」
「師よ……、オレは……」
「悩むがいい。じゃがの、ひとりで悩んではいかん。共に悩む者がおるのじゃ。わしもそのひとりであるからの」
すでに捨てたつもりであった。将軍としての地位。今でもいつ退いても良いとすら思う。
されど近頃思うのだ。
「一馬の見ておる先にオレは懸けたいと思うております」
「わしにしてやれることは多くない。されどな。そなたが汚名を被るとするならば、わしが共に汚名を被ろう」
一馬の目指す世のためにオレはやるべきことがあるのではとな。
足利家当主として、将軍として。争いのない世のために、オレはやらねばならぬことがあるのではと思う時があるのだ。
師は、そんなオレの思いを察しておられた。
「まあ、悪いようにはなるまい。苦労はすると思うがの」
オレは足利家最後の将軍になってもよい。
願わくは、師と共にこうしていられたら……。
それでいい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます