第1033話・梅雨のひと時
Side:久遠一馬
「お久しぶりでございます!」
真柄さんが大武丸と希美のお祝いを持ってきた。朝倉家のお祝いを一緒に持ってきたことには驚いたけど。なんというか、ここまで嬉しそうにウチに来る人も珍しい。
そこまで親しくないと緊張するんだが、真柄さんは本心から嬉しそうなんだ。
ああ、宗滴さんからの文も持参している。真柄さんに関して、武辺者なので迷惑をかけるかもしれないがよろしく頼むとある。意外と気に入られているのか?
「来るなら秋かと思ったけどねぇ」
「ハハハ、某もそのつもりでした」
産休中で暇をしていたジュリアも出迎えたが、裏表ない人なんだろう。いつ尾張に行こうかと考えていたら、宗滴さんに上手く使われたと笑っている。
「暇を持て余したら来るといい。アタシは子が出来たんでね。手合わせの相手はしてやれないけど、修行くらいなら見てやるよ」
「おおっ、子が出来たとは。おめでとうございます!」
なんというか他にも朝倉家家臣がいるが、真柄さんがあまりに馴れ馴れしいので、その人たちがビックリしている。昨年の武芸大会の時にそんな扱いだったんだよね。織田家の武闘派の人たちとウチで酒を飲んで仲良くなっていた。
彼らは清洲城に滞在しているんだが、今日はウチでもてなして泊まってもらうか。お祝いを遥々持ってきてくれたんだし。
「へぇ。北近江か。やっぱりね」
お酒が入ると和やかな雰囲気になる。真柄さんたちは北近江で騒動でも起こりそうだったと教えてくれた。
途中で賊にも襲われたというが、近江に入ると治安が悪くなるんだよね。六角もまあ無策ではなく賊を討伐するように命じているが、北近江三郡の国人衆からするとそこまで熱心にやっていない。
賊を討伐してもすぐに国人の利になることはないし、そもそもこの手の賊は地元の人間が絡むことがよくある。一応、やっていますよと言っているらしいが、真面目に賊を討伐しているのは半数もいないだろう。
ただ、それでもマシだと言えるほど東海道の治安が悪いんだけど。
「そのうち六角が動くだろうね」
「ほう、そうでございますか?」
「伊勢も落ち着いたしね。六角にとってあそこは先代が得た地だから。いつまでも勝手にさせないと思うよ」
六角の動きを予測したことを告げると、真柄さんたちが軽くざわついた。伊勢の騒動のことも美濃に入ってから知ったらしく、それも驚いたらしい。
とはいえ北近江三郡は越前の人たちにとっても他人事ではないからね。またあそこで戦かと懸念している感じか。
北近江三郡の国人衆は、どうも騒動を起こせば織田が首を突っ込むと勝手に勘違いしているが、それはないからね。
首を突っ込むのが当たり前の時代だけどさ。あそこに手を出して六角を敵に回すなんて冗談じゃない。
Side:斎藤義龍
喜太郎と共に時計塔を見上げると、大きな雲が見えた。
幼いと思うておった喜太郎も、もう六歳だ。近頃は那古野の学校に通い、学問や武芸を習うておる。子が育つのは早いものだと思う。
「ちちうえ?」
喜太郎は織田の一家臣として、なんの疑問も持たずに育っておる。斎藤家がかつて美濃の守護代家だったことなど遥か昔のようだ。
「いや、なんでもない」
ふと先日、殿より言われたことを思い出してしまった。久遠殿の本領にいく故、わしも一緒に行かぬかと誘われた。遥か海の向こうにあると聞く島だ。
守護様も行かれるということで誰が供をするのかと騒ぎになっておるが、まさかわしがお声をかけていただくとはな。
本音を言えば、今でも織田に従うて良かったのかと己に問う時がある。他に道がなかったとしか言いようがないのだがな。
ただ船旅は船が苦手な者には辛いようで、そこを殿は気にされておった。わしが断れば父上を連れて行くおつもりのようだ。おそらく父上は喜ばれよう。
肝心の久遠殿は久々に本領に戻ろうかと話しておっただけのことが、大事になったと少し困っておったのが印象深い。わしが美濃に戻るように頻繁に戻れぬこと、辛くないのかと一度聞いてみたいものだな。
「喜太郎、船は好きか?」
「はい!」
わしも幾度か乗ったことがあるが、喜太郎も学校の子らと共に久遠殿の南蛮船に乗ったことがある。久遠殿は子らに多くのことを学ばせたいと熱心なのだ。船に乗せたかと思えば、牧場村に連れていき畑仕事もさせておる。
喜太郎が元服する頃には、船に乗るのなど当たり前のことになっておろうな。
行かねばなるまい。
父として武士として見ておかねばならぬ。織田が目指す先がいずこにあるのか。久遠殿が如何なる地で生まれ育ったのかをな。
Side:孤児院の奉公人
歳じゃの。転んで怪我をするなど若い頃はなかったのじゃが。骨が折れておらんのが幸いか。この歳で歩けなくなると、死を待つしかなくなる。
わしはすでに生まれ育った家を追い出された身。六年前の流行り風邪の際に倅に出ていけと家を追い出され、死に場所を探しておったところを織田様に拾われたのじゃ。
そんなわしに、この歳まで働く場を与えてくださった。久遠様にご迷惑をお掛けするわけにはいかぬ。
「じーじ、だいじょうぶ?」
「ああ、大丈夫じゃよ」
幼い子らが交代で世話をしてくれる。わしの世話などせずとも良いというておるというのに。慈母の方様の命だと言うて世話をしてくれるのじゃ。それだけで涙が出そうになる。
「じーじ、はなび、見られないね」
「いいんじゃ。こうして生きておるだけでわしには過ぎたるものじゃからの」
「あれ、じいさまたちは前日までに熱田のお屋敷に連れていくって聞いたぞ。熱田まで歩けない奴は馬車で連れていくって」
幼い子が花火を見に行けぬことを案じてくれるが、こうして動けぬ者に飯を食わせてくれるだけで感謝しかない。
ところがそこで信じられぬことを口にしたのは、すでに孤児院で幼子の世話をしておる元孤児じゃ。
「そうなの。じーじ、よかったね!」
「源太、まことか?」
「うん。御袋様が言うてたぞ。じいさまたち去年も残っていただろ。歩くの辛いからって。だから今年は連れていくって。殿のお許しも出ているから支度するようにって言われてる」
なんと、こんな年寄りに馬車を使うというのか? あり得ん。そのようなことをしていただける身分ではない。
涙が出そうになる。わしは如何様にしてこのご恩を返せばよいのじゃ? 久遠様は命を粗末にするものを許さぬというお方。死して尽くすことも出来ぬ。
「弱気になるなって。じいさまはすぐに歩けると言われたじゃないか」
「そうだよ! またいっしょにはたらこう」
血の繋がりもなにもないわしを皆が案じてくれる。なんとわしは幸せ者じゃろうか。
「ああ、働かねばならん。返しても返しきれぬ恩があるからの」
この子らがわしのような歳になる頃、世は如何になっておるのであろうかの。
せめて屋根のあるところで死ねる世になっておればよいのじゃがのぅ。
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